第2話 旅立ちの霧、鉄の街ー1
「――リガルドへ行け....。あそこの古本屋「黒梟の灯」に....俺の古い馴染みが..いる。お前のその腕のことも、何かわかるはず.....だ。」
それが、育ての親であり元傭兵のバルドが、息を引き取る間際にアレンに遺した言葉だった。
白煙の谷を覆っていた火災の熱がようやく引き、黒い灰が雪のように降り積もる中、アレンは生き残った集落の住人たちを率いて、隣の領地にある安全な村へと向かっていた。
住人たちの足取りは重く、誰もが絶望に打ちひしがれていた。
家を焼き、家族を奪った魔獣への恐怖。
そして、その魔獣を「人間離れした力」でねじ伏せたアレンへの、隠しきれない畏怖と怯えの視線。
「アレン……あなた、その腕は……」
避難の道中、幼馴染の少女がアレンの右腕を恐る恐る指差した。
衣服の隙間から見えた白銀の鱗。
アレンは何も言わず、ただ無言でボロ布をきつく巻き直し、袖の奥へとその異形を隠した。
命を救ったはずの村人達から向けられるのは、感謝よりも先に、化け物を見るような冷たい視線だった。
アレンは彼らを安全な村の入り口まで送り届けると、中には入らず、その場に立ち止まった。
「ここから先は、領主の兵が守ってくれる。俺はここまでだ。」
「待って、アレン! あなたはどこへ行くの?」
引き留める少女の声を背に、アレンは一度も振り返ることなく歩き出した。
感謝の言葉を口にする者は誰もいなかった。
むしろ、厄介者が去っていくことに安堵するような空気が、集落の大人達の間に流れていた。
(助けても結局は厄介者扱いだ。人は自分達とは違うものを嫌うからな。ハナから感謝される気はないさ。)
冷めた現実主義者であるアレンは、彼らの反応を当然だと受け止めていた。
未知の強大な力は、平穏に生きる人々にとっては恐怖でしかない。
谷の出口へと戻ったアレンは、孤独な旅路のための準備を始めた。
まずは、焼け焦げたバルドの家があった場所から、頑丈な革製の背嚢を掘り起こした。
中には、数日間はもつであろう干し肉と、硬く焼かれた配給食料のパン。
そして、旅費となるわずかな銅貨。
最後に、バルドが愛用していた古い砥石を拾い上げ、背負った鉄剣の手入れを行う。
シャリ、シャリ、と静かな音が、誰もいなくなった谷に響く。
「……バルド。俺はあんたの言う通りにする。だが、それだけだ。」
念入りに刃を研ぎ終えた鉄剣を鞘に収め、アレンは右腕の感覚を確かめるように拳を握り込んだ。
服の上からでも分かる、奇妙な熱と、皮膚を覆う硬質な鱗の感触。
準備はすべて整った。
背負うのは一本の鉄剣と、わずかな食料。
そして、誰にも明かせない呪われた右腕。
アレンは一人、白煙の谷を降りる道を歩み始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アレンは17歳という若さに似合わず、冷めた現実主義者だ。
他人が語る夢や冒険については興味はなく、養父に剣術を叩き込まれ、毎日鍛錬に励む日常を送っていた。
白竜の意志を受け継いだという実感は未だに薄く、頭に突然流れてきた膨大な記録はアレンの脳では処理しきれず理解出来なかった。
ただ、あの圧倒的な力が偽物でないことだけは、右腕に宿る奇妙な熱が証明していた。
(英雄になんて、なる気はない。俺はただ、この腕の呪いの正体を知りたいだけだ。)
自分に言い聞かせるように心の中で呟き、アレンは歩みを進める。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数日間の過酷な山越えを経て、アレンの目の前に巨大な城壁が姿を現した。
五大国が互いを監視し合う境界線に位置する、どの竜王の支配も受けない中立地帯
――交易都市「リガルド」。
活気に満ちた街へ一歩足を踏み入れると、様々な種族の喧騒と、鍛冶屋から響く鉄を打つ音がアレンの鼓膜を震わせた。
だが、その活気の中に、特有のピリついた緊張感が混ざっているのを、アレンの鋭い感覚は見逃さなかった。
原因はすぐに分かった。
街の広場の一角で、物々しい黒と赤の鎧を纏った兵士たちが、一人の少女を取り囲んでいたのだ。
鎧に刻まれた紋章は、他国への侵略を繰り返す烈火の竜王国「ドラグニル」のもの。
「往き生えの竜人族め。大人しく投降しろ。お前たち生き残りの処遇は、我が主イグニス様の思し召しのままだ。」
ドラグニルの重装兵たちが、嘲笑いながら剣を抜く。
囲まれているのは、頭部に立派な角を持つ竜人族の少女だった。
その身の丈ほどもある大剣を構え、全身に傷を負いながらも、彼女の瞳は決して屈していない。
「ふざけるな……! 我が故郷を滅ぼしたドラグニルの犬どもめ。私はお前たちの軍を、一人残らず叩き斬るまで死なない!」
彼女が叫び、大剣を振るう。
しかし、多勢に無勢。
負傷した彼女の動きは鈍く、重装兵の連携にじりじりと追い詰められていく。
(……関わるべきじゃないな。)
人混みの影からそれを見ていたアレンは、即座に踵を返そうとした。
自分の目的はあくまで古本屋を探すことだ。
ここでドラグニル軍と揉め事を起こせば、目立ちたくない右腕の秘密が露見するリスクが高まる。
他国の戦争や復讐劇など、今の自分には関係のないことだ――。
だが。
「ぐっ……あ……!」
重装兵の盾に弾かれ、少女の体が派手に地面を転がった。
手放された大剣が、乾いた音を立てて石畳を滑っていく。
一人の兵士が、無抵抗になった彼女の首根っこを掴み、乱暴に引きずり起こした。
その時の、少女の悔しさと絶望に歪んだ表情が、なぜか数日前、魔獣に襲われて燃え盛っていた故郷の集落と重なった。
『お前が……世界を繋ぐ者だ。』
脳裏に、あの時の声が小さく反響する。
「チッ……クソが。」
アレンは小さく毒づくと、歩みを止めた。
現実主義者を気取ってみても、目の前の理不尽に背を向けられるほど、彼はバルドから薄情な育てられ方をしていなかったのだ。
「おい、そこまでにしておけ。」
騒然とする広場に、低く、だがよく通る声が響いた。
ドラグニルの兵士たちが一斉に振り返る。
そこには、フードを深く被り、一本の鉄剣をだらしなく下げただけの、一見どこにでもいる少年が立っていた。
「あ? 何だお前は。ガキがドラグニル軍の邪魔をする気か?」
「いや、邪魔をする気はない。ただ、そいつを放して、とっとと国へ帰れと言っているだけだ。」
アレンの全く物怖じしない態度に、兵士たちの顔色が変わる。
「舐めた口を……! まとめて血祭りにあげてやる!」
二人の歩兵が、一斉にアレンへと躍り出した。




