②奪還作戦ー2
――そして、そんなセーフハウスでの緊迫した作戦会議を経て、一行はついに王宮「紅蓮閣」の直下へと到達していた。
赤茶けた岩肌をくり抜くように造られた、巨大な排熱ダクトの前。
火山地帯特有の息が詰まるような熱気が、じわりと一行の肌を焼いていく。
「ここからが、本当の綱渡りだよ。」
カイルが手元の魔導端末を操作し、ダクトの鋼鉄の隔壁を無音で解錠させた。
彼の背中には、【竜神族】の証である漆黒の強靭な竜の翼が、衣服の隙間から覗いている。
その翼が、周囲の熱気による気流の乱れを完璧にいなしていた。
「僕のIDで、このエリアの熱源スキャナーは十秒間だけ『誤認』させてある。レイラ、先行を。」
「分かった。」
レイラが深紅の翼を鋭く羽ばたかせ、音もなくダクトの闇へと滑り込んだ。
一世紀以上の年月を共に生き、軍の上層部で数十年にわたり切磋琢磨してきた百十二歳の絶対的相棒。
表舞台の「光」たるレイラと、裏社会の「影」たるカイルの連携は、一瞬の澱みもない。
「行こう、アレン。」
エルザが背負った大剣を鳴らさないよう慎重に、アレンの腕を引いた。
レイラから新調された深紅の革鎧を纏ったエルザは、緊張からか、頭部の一対の「竜の角」の根元にある手首の竜の鱗が、かすかに鈍く光っている。
感情の高ぶりに応じる、彼女が【竜人族】である証だ。
「ああ、分かっている。」
アレンは深くフードを被り直し、新調された純白の魔導衣を翻してダクトへと飛び込んだ。
翼も角も持たない、最も標準的な【人間族】の肉体。
しかしその右腕には、他種族のような火や風の属性に一切染まっていない神聖なる白竜の力が眠っている。
――魔導通路の内部は、静寂と、冷や汗が出るほどの緊張感に満ちていた。
「止まって。」
先頭を飛んでいたレイラが着地し、鋭い手招きで全員を壁際に寄せた。
お尻から伸びる太い尾が、警戒を示すようにピタリと水平に固定される。
ガロウが鋼鉄の左義手を引き、アレンとエルザの前に立ちはだかるようにして身を潜めた。
歴戦の勘が、前方の異常を察知していた。
通路の曲がり角の先から、重々しい金属音と、どろりとした異様な魔力が近づいてくる。
「クカカ……地脈熱の伝導効率が、北側エリアでコンマ二パーセント低下しているな。脳足りんの第二師団どもが城下町で騒ぎを起こしている影響か?」
現れたのは、全身を機械の義肢や魔導具で補強した異様な風貌の男――第三師団長、ゾルディンだった。
カイルの直属の上司であり、白竜の『心臓』を使った焦土兵器『ラグナロク』の開発主導者。
(……チッ、よりによってクソトカゲの本尊かよ。)
カイルの顔からいつもの軽薄な笑みが完全に消え、眼鏡の奥の瞳が冷徹に細められた。
ゾルディンが持つ魔導センサーが、アレンたちの潜む壁際へとゆっくりと向けられる。
一歩のミス、わずかな魔力の漏洩すら即座に死へと繋がる、極限の隠密。
「カイル。貴様、そこにいるな?」
ゾルディンの濁った瞳が、カイルの隠れていた影へと突き刺さる。
カイルは一瞬で表情を「軽薄な部下」へと切り替え、何食わぬ顔で影から歩み出た。
「おやおや、ゾルディン閣下。さすがの洞察力ですねぇ。魔導通路の結界残響にわずかなノイズがあったので、主席魔導参謀として点検を行っていたところですよ。」
「フん……。遊撃隊長のレイラも一緒か?」
ゾルディンの視線が、カイルの背後に立つレイラへと移る。
レイラは一切の動揺を見せず、第一師団のエリートとしての誇り高きオーラを纏い、冷徹に放った。
これこそが、竜神族固有の絶対的能力の一つ――高位魔法を詠唱なしに紡ぎ出す『属性王権』の応用による隠蔽魔法。
そして、他種族を威圧する圧倒的な魔力量の誇示だった。
「防空近衛大隊の任務として、王宮下層の不審物検問を行っている。第三師団長といえど、私の臨検を拒否する権限は無いはずだが?」
一触即発の睨み合い。
ゾルディンはくつくつと不気味に笑い、センサーを収めた。
「クカカ、相変わらずお堅い近衛殿だ。……まぁいい。せいぜいネズミ捕りに励むことだ。間もなく『心臓』の固定が完了する。そうなれば、すべては灰だ……」
不気味な金属音を響かせ、ゾルディンが去っていく。
その姿が見えなくなった瞬間、全員が抑えていた息を大きく吐き出した。
「……死ぬかと思ったよ。ギルバートのじいさんの数式を解くより心臓に悪いね。」
カイルが冷や汗を拭いながら眼鏡の位置を直す。
だが、安堵したのも束の間。
アレンの右腕の『白竜の聖鱗』が、ドクン、とこれまでになく激しく脈動した。
「くっ……!」
アレンは激痛に耐えるように、左手で右の前腕を肉が凹むほど強く抑え込んだ。
その血のような赤眼が、無意識のうちに、かつてない白い光の眼光を帯びて、王宮のさらに上層を見据える。
「呼応してる……。この上に、イグニス王がいる。……それと、この世の者じゃない、ドロドロとした最悪の『闇』が」
エルザが息を呑み、その瞳が完全な縦スリットの「竜の目」へと変化して大剣の柄を固く握りしめた。
ガロウが不敵にニヤリと笑い、鋼鉄の義手をきしらせる。
「役者は揃ったな。……行くぞ、年少組。狂ったトカゲの王様の目を、覚ましにいってやろうじゃねえか。」
カイルとレイラが再び翼を広げ、アレンとエルザ、そしてガロウを伴って、最深部の玉座の間へと続く中央魔導エレベーターへと静かに駆け出した――。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
中央魔導エレベーターが最上層へと到達し、重厚な扉が左右に開かれたその瞬間。
一行を待ち受けていたのは、赤茶けた石造りの回廊を焼き焦がすほどの、凄まじい熱気と狂気の魔力だった。
「――見つけたぞ、ドブネズミどもがァ!!」
回廊の奥から躍り出たのは、第二師団長バルザック。
リガルドでの屈辱を晴らさんと功を焦り、私兵を率いて先回りしていたのだ。
その顔は深淵の闇の汚染によって醜く歪み、身の丈を超える大剣から爆発的な炎を噴き上げている。
「バルザック……!」
その姿を目にした瞬間、エルザの身体から凄まじい闘志が爆発した。
感情の高ぶりに応じ、彼女の頬や手首の【竜人族】の鱗がまばゆく発光し、瞳が完全な縦スリットの「竜の目」へと変わる。
「アレン、先に行け! ここは私とガロウで食い止める!」
「おう、あの時のテメェの炎、ここでまとめて精算してやるよ、バルザック!」
エルザが背負った巨大な鉄剣を引き抜くと同時に、ガロウが鋼鉄の左義手を引き、顔の左半分にある大きな火傷の痕を歪めて不敵に笑った。
数年前、この男の侵略によってすべてを失った二人の復讐者が、新調された深紅の革鎧と鋼鉄の拳を構えて並び立つ。
「ガロウ……! そして数年前に殺し損ねた辺境のトカゲのガキが! 死に損ないどもが揃って灰になりに来たか!」
「お前を討って、私はアレンの剣になる! アレン、行って!」
「……っ、頼んだぞ、二人とも!」
アレンは強く頷き、エルザとガロウが作り出した隙を突いてバルザックの脇をすり抜け、王宮の最深部へと走り出す。
「逃がすかァ!」
バルザックが炎の大剣を振り下ろすが、その一撃はエルザの重厚な大剣と、ガロウの放った鋼鉄の義手による強烈な裏拳によって強引に弾き飛ばされた。
激しい火花が散り、かつてない重厚な金属音が回廊に鳴り響く。
エルザの鋭い一撃と、三十五歳という脂の乗った全盛期のガロウによる、血の繋がりを超えた「擬似親子」の完璧な連携戦が、ここに幕を開けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――時を同じくして、アレンたちを追って回廊を進もうとしたカイルとレイラの前に、二つの巨大な影が立ちはだかった。
「クカカ……やはり裏切り者は貴様らだったか、カイル、レイラ!」
「軍律を乱す不穏の影、我が魔導槍をもって即座に処刑する。」
冷酷な笑みを浮かべる第三師団長ゾルディン。
そして、光を収束させた超高熱の魔導槍を携えた、第一師団長「極光の龍神」ヴァルキアス。
それぞれの「直属の上司」であり、軍の最高壁である二人が、完璧な包囲網を敷いて待ち構えていたのだ。
「おやおや……これは最高に分の悪い、最悪の『算式』だねぇ。」
カイルはいつもの軽薄な笑みを浮かべながらも、その瞳の奥には一世紀以上の時間を共に生きてきた戦友への絶対的な信頼を宿していた。
カイルとレイラは互いに相棒らしい視線を交わし、同時にその背に生えた【竜神族】の強靭な翼を大きく広げた。
「カイル、ゾルディンの魔導兵器を封じろ。ヴァルキアス様は私が抑える。」
「了解だよ、僕の可愛い大隊長殿。最高位種族の格の違い、たっぷりお見せしようか。」
百十二歳、人間換算で二十代半ばの瑞々しい外見のまま、数十年以上にわたり軍の上層部で切磋琢磨してきた『光と影』の絶対的バディが動く。
レイラが『天翔』による世界第二位の飛行速度で空中へと舞い上がり、ヴァルキアスの放つ極光の槍と激突する。
カイルは肌表面に薄く展開した『竜鱗の加護』でゾルディンの高熱レーザーを無効化しながら、詠唱なしで最高位魔法を紡ぎ出す『属性王権』を解放し、指先一つで第三師団の魔導兵器を次々と破壊・蹂躙していく。
「アレン! ここは僕たちが食い止める! トカゲの王様の後始末、頼んだよ!」
カイルの叫びを背に受けながら、アレンはついに、最深部――「紅蓮の間」の巨大な扉を押し開けた。
轟、と吹き荒れる、すべてを灰にする超高熱の業火。
その渦巻く炎の奥、巨大な玉座に深く腰掛け、猛々しい真紅の髪を逆立てている男がいた。
片手で軽々と「大炎灼竜剣」を弄ぶその男こそ、南部・烈火の竜王国の絶対君主、紅蓮の竜王イグニス。
「――待っていたぞ、白銀の髪の小蠅。いや、白竜帝アルヴァの『後継者』よ。」
イグニスが立ち上がり、大剣の切っ先をアレンへと向けた。
弱肉強食を体現する覇王の赤眼には、狂気による精神汚染のどろりとした闇が渦巻いている。
だが、アレンの姿を認めたその瞬間、彼の神話級の闘争本能が歓喜に震えていた。
「人間の身でその力を宿すお前は、極上の獲物だ! その力が本物か、俺の炎で焼き尽くして確かめてやる!」
ドクン、とアレンの右腕の『白竜の聖鱗』が、かつてない激痛と共に跳ねるように脈動した。
火の竜王の圧倒的な熱量に呼応したのだ。
アレンはその暴走を力ずくでねじ伏せるように、左手で右の前腕を強く、肉が凹むほどに握り潰して抑え込んだ。
「英雄になる気はない、って言ったはずだ。」
アレンは鉄剣の柄に手をかけ、顎を僅かに引いた。
赤眼の視線だけを一直線にイグニスの核へと突き刺す。
その瞳の奥に、かつて全ての竜王を平伏させた白竜の「琥珀色の眼光」が残影として重なり、白い光を帯びて輝き始める。
「だけど……これ以上、お前の狂気で世界を溶かされてたまるかよ。」
「ふぅ……」
抜く直前、短く冷徹な吐息をひとつ。
バルドの教え、完璧な呼吸法のスイッチが入り、世界が神速の泥濘へと没入していく。
どの属性にも染まっていない白竜の魔力だからこそ扱える、光と空間の干渉能力。
「行くぞ、イグニス。――お前の目を覚ましてやる!」
アレンの身体が消えた。
竜王の絶対的な武力と、空間を置き去りにする白竜の『神速』が、燃え盛る世界の中心で今、激しく激突した。




