①抗う残り火と、白銀の残響ー4
(……ここは、どこだ……?)
アレンは、底の見えない純白の空間にポツンと浮かんでいた。
体はひどく重く、まるで深い泥の底に沈んでいくかのように、指一本動かすことができない。
遥か上方、現実世界を映し出す「視界の窓」のようなものが、歪んで小さく見えている。
そこには、必死に自分へ手を伸ばすエルザの姿や、新しく現れた黒いレイピアを持つ女騎士、そして自分を抑え込もうと身構える人々の姿が、音の消えた世界でスローモーションのように動いていた。
『――排除プロセス、続行。これより、最大出力の15%を開放する。』
どこからともなく、自分自身の声をした、けれど全く血の通っていない冷酷な声が頭に響く。
その声が響くたび、アレンの魂の周りに、白銀の冷たい鎖が幾重にも巻き付き、彼をさらに深い闇へと引きずり込んでいく。
(やめろ……。俺は、戦いたくない……! エルザを、あの人たちを傷つけたくないんだ……!)
アレンは心の中で必死に叫んだ。
しかし、彼の「声」は肉体へと届かない。
それどころか、アレンの右腕から溢れ出す白竜の意志は、彼の意識を完全に「異物」として排除しようと、その魂を削り始めていた。
(くそっ……体が、動かない……。意識が、遠くなる……)
エルザたちの声はもう聞こえない。
白銀の光が徐々にアレンの精神世界を侵食し、すべてを無に帰そうとする。
その時だった。
アレンの脳裏に、「視界の窓」から聞こえたカイルが放った言葉が微かに、けれど確かに木霊した。
『僕の封印術式は確かに成功した。でも、それが引き金になった。僕が施したリミッターを、このシステムは安全装置だと認識したんだ』
(……リミッター? 安全装置……?)
遠のきかける意識のなかで、アレンの直感が閃く。
この白竜のシステムは、外からの攻撃には過剰なほど防衛本能を剥き出しにする。
けれど、カイルが施した「封印」のように、『システムを安定させるための内側の力』に対しては、従順にそれを受け入れた。
(だったら……外から抑え込むのが無理なら……俺の、内側から……!)
アレンは、白銀の鎖に縛られた左手を、自らの右腕へと、精神世界のなかで必死に伸ばした。
『――よせ、アレン。』
頭に響いていた機械的な声が、突如として地鳴りのような、しかし不思議と静謐で、どこか深い慈愛を湛えた優しい声へと変わった。
アレンを縛り付けていた白銀の鎖が、一瞬にして光の粒子となって霧散する。
同時に、現実世界を映していた「視界の窓」がピタリと停止した。
アレンの肉体が外の世界で放とうとしていた、すべてを消し去るほどの熱量と冷気の嵐が、まるで時間が凍りついたかのように、完全にその動きを止めたのだ。
(……暴走が、止まった……?)
アレンが驚愕して顔を上げると、純白の空間の奥から光の粒子を纏った一人の男がゆっくりと現れた。
白銀の長い髪を流し、すべてを見透かすような澄んだ琥珀色の瞳を持つ、年齢不詳の浮世離れした美貌の男。
その姿が何者であるのか、今のアレンには知る由もなかった。
ただ、その琥珀色の瞳がじっと自分を見つめている。その眼差しは、猛り狂う怪物のそれではなく、傷ついた我が子を愛おしそうに労る親のそれであった。
『随分と手荒に扱われてしまったようだね、私のかわいい子。……やはりお前は面白いな。あの男に、記憶も体も、すべてを徹底的にリセットされたはずだというのに、再び我が力を内側から制御しようとするなんて。』
「……え?」
アレンは息を呑んだ。その言葉が、自分の理解の範疇を超えていたからだ。
「記憶をリセットされた?」
自分には、養父と出会う前の幼い頃の記憶がない。
それはただの幼かった故の精神的ショックによるものだと思っていた。
「あんた……何を言っているんだ? 俺の過去を知っているのか……!?」
アレンの問いかけに、白銀の髪の男はそっと目を細め、慈しむように、そして酷く哀しげに微笑んだ。
『知っているとも。お前がその小さき命をこの世界に宿したとき、私たちは確かに共にいたのだから。……お前がまだ、今の姿ではなく、どこまでも無垢で純粋な人間の赤ん坊として、温かな光に包まれていた頃のね。』
その言葉が響くたび、アレンの脳裏に、見たこともないはずの断片的な光景が、霧の向こうの幻灯機のようにかすんで揺らめいた。
どこか静かで、穏やかな白銀の宮殿の気配。
自分をあやすように優しく微笑む、男女の曖昧な温もり。
そして、その場所へ舞い降りたこの男から授けられた、魂の最奥に深く刻み込まれるような、完全なる「祝福」の残照――。
それらは今のアレンにはまだ、形をなさず朧げな、けれど確かにそこに存在したはずの「本当の始まり」の記憶だった。
目の前の男が何者なのかはわからない。
けれど、その温かさだけが魂に染み渡っていく。
(俺は……ただの孤児なんかじゃ、ない……。俺には、大切な……!)
激しく心を揺さぶられるアレンを、男はそっと包み込むように、慈愛に満ちた声で言葉を紡ぎ続けた。
『アレン。我が力を、これ以上お前の小さな肉体に留めておくのは危険だ。……だが、もう大丈夫。一時的に、我が意志の防衛プロセスは眠らせよう。お前を傷つけるために、この力を振るわせるわけにはいかないからね。』
男の幻影が、ゆっくりと光の中に溶け込んでいく。
それと同時に、停止していた現実世界の「視界の窓」が、再び激しく動き出し始めた。
『愛しい子よ、行きなさい。次にお前が自身の限界を超えて我が力を引き出せば、その時こそお前の魂は完全に消滅してしまう。
……どうか生き抜いて、お前を縛る因果の糸を、自ら
の手で解き明かすのだ。』
「待ってくれ! あんたは誰なんだ――!!」
アレンの叫びも虚しく、純白の世界は眩い光の中に弾け飛んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
現実世界。
レジスタンスの洞窟内では、レイラ、カイル、エルザ、ガロウが、アレンの放つ圧倒的な魔力の前に、全滅をも覚悟した決死の構えを取っていた。
しかし、アレンの背後に揺らめいていた強大な幻影が、唐突に霧のように霧散する。
空間を支配していた絶対零度の冷気と狂気的な熱量が、嘘のようにアレンの右腕へと吸い込まれていった。
「――っ、はぁあぁっ!!!」
アレンの瞳から白銀の光が消え、元の人間らしい瞳に戻る。
激しい呼吸と共に、アレンはその場に崩れ落ちるように膝をついた。
「アレン!!」
エルザが真っ先に駆け寄り、その体を強く抱きしめる。
アレンはエルザの温もりを感じながら、まだ激しく脈打つ右腕を抑え、涙を流しながら掠れた声で呟いた。
「エルザ……俺、は……。夢の中で、あれ?」
アレンの意識が混濁する中、エルザは彼の背中を優しく、しかし離さないように強くさすり続けた。
「大丈夫、大丈夫よアレン。あなたは戻ってきたの。私たちはみんな無事だから……!」
エルザの声は震えていたが、そこには確かな安堵が満ちていた。




