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①抗う残り火と、白銀の残響ー3

 「……う、あ……」

アレンの指先がピクリと動いた直後、その口から漏れたのは、低く、掠れた呻き声だった。


「アレン! 目が覚めたのかい!?」

エルザがすかさずその顔を覗き込む。

アレンの瞼がゆっくりと持ち上がる。

だが、その瞳の焦点は合っていなかった。

ガラス細工のように無機質で、深い虚無を湛えた瞳。

それだけではない。

カイルの術式によって静まり返ったはずの右腕から、ドクン、と不気味な鼓動が再び響き渡った。

 

「おや……?」

 カイルが眼鏡の奥の目を細める。

アレンは、エルザの顔を、そして周囲に佇むガロウやカイルの姿を、ただ「見つめる」のではなく「観測する」かのように見回した。

感情の機微が一切消え失せたその表情は、まるで精巧に作られた人形のようだ。


「……熱源、確認。魔力伝導率、正常。出力、制限状態(ロック)。」

「ア、レン……? 何を言っているんだ……?」

エルザが怪訝に、そして恐怖に声を震わせる。

アレンは自身の右腕を持ち上げ、手のひらを握ったり開いたりしながら、機械的な声で言葉を紡ぎ続けた。


「個体名『アレン』――精神領域の自律修復を開始。現在、表層意識はスリープモードに移行中。聖鱗の修復及び『白竜の炉心』の防衛システムを優先稼働します。」


「おい、カイル! 一時的な封印は完了したんじゃなかったのか!?」

ガロウが鈍色に光る鋼鉄の左腕を軋ませ、カイルを睨みつける。

カイルは冷や汗を流しながら、慌ててアレンの右腕へ再び手をかざし、エメラルドグリーンの魔力を放った。


「おかしいな、術式は完璧に噛み合っているはずだよ! 暴走因子は眠らせた。だけど……これは暴走じゃない。まるで、僕の封印ロックを『最初から組み込まれていたシステムの一部』として認識して、別の防衛プログラムが起動したみたいだ……!」


アレンはベッドの上にゆっくりと上体を起こした。

その瞳の奥で、一瞬、白銀の光が冷酷に明滅する。

彼はエルザを見つめ、感情の抜け落ちた声でこう告げた。


「警告。これ以上の魔力干渉は、本機への敵対行動とみなします――」

「敵対行動、と来たか。……冷たいね。せっかく命を救ってあげたのに。」

 カイルは冗談めかした口調を崩さなかったが、その額には一筋の冷や汗が流れていた。

彼はアレンから放たれる圧倒的な威圧感に気圧されることなく、むしろ狂気的なまでの知的好奇心に突き動かされるように、さらに一歩、アレンへと歩み寄った。


「カイル、下がれ! そいつはアレンじゃない!」

エルザが叫び、アレンとカイルの間に割って入ろうとする。

しかし、カイルはそれを手で制した。


「大丈夫さ、エルザちゃん。ここで僕が引いたら、この子は一生『人間』に戻れなくなっちゃうよ。」

カイルは懐から、奇妙な幾何学模様が刻まれた数枚の銀色の魔導呪符を取り出した。

それをアレンを取り囲むように空中に配置すると、カイルの指先の動きに合わせて、呪符が淡く発光し始める。

アレンの体を透視するように、その体内の魔力回路を強制的に外部へ投影(スキャン)したのだ。

空中に浮かび上がったのは、アレンの右腕から全身へと張り巡らされた、異常なほどに緻密で、禍々しい白銀の魔力経路。

それはまるで、人間の血管を侵食する寄生生物のようだった。


「……なるほど、そういうことか。」

カイルは眼鏡を指で押し上げ、その奥の瞳を鋭く光らせた。

彼の声から、いつもの軽薄さが完全に消え失せる。


「暴走じゃなかったんだ。僕の封印術式は確かに成功した。でも、それが引き金になった。僕が施した『ロック』を、このシステムは【外部からのリミッターの装着=安全装置の完了】だと認識したんだよ。」


「……どういう意味だ?」

ガロウが低い声で問いかける。


「僕たちが暴走と呼んでいたものは、人間というあまりに脆い器(コンテナ)が、白竜の巨大すぎる力を制御できずに溢れ出させていた、ただの『エラー(拒絶反応)』に過ぎなかったんだ。だけど、僕がそのエラーを無理やり抑え込んだことで、器の中の環境が安定してしまった。

その結果――眠っていた『白竜の意志(オリジナル)』のコアプログラムが、本格的に覚醒を始めてしまったのさ。」


カイルは投影された白銀の回路の一点――アレンの心臓付近で、まるで卵が孵化するように脈動する光の塊を指差した。

「今この坊主の表層意識を乗っ取っているのは、アレンくん自身の魂じゃない。彼の身体自体に宿る『白竜の炉心』そのものの防衛本能、つまり白竜の残滓(ざんし)だ。

このままシステムの完全同期(シンクロ)が終われば、アレンくんの精神は白竜の意志に完全に上書きされ、消滅する。そして……この世に人間の姿をした、意思を持つ『生体破壊兵器』が誕生する。」


「なっ……!」

 エルザの顔から、完全に血の気が引いた。

アレン――否、アレンの肉体を借りた「何か」は、カイルが投影した魔力回路を冷徹な目で見つめ、トーンの一定な声で再び告げた。


「……外部からのスキャニングを確認。精神汚染の危険性を検知。これより、排除プロセスに移行します。」

アレンの白銀の瞳が、いっそう強く輝きを増した。


「排除プロセス、開始。」

アレンの口から放たれたのは、感情の乗らない無機質な声。

その直後、洞窟内の空気が一変した。


「――ッ!? 全員、退がれ!!」

 ガロウが叫ぶと同時に、アレンの右腕から白銀の衝撃波が爆発的に吹き荒れた。

ベッドは一瞬で粉砕され、カイルの展開していた魔導呪符は跡形もなく吹き飛ぶ。

常軌を逸した冷気と熱気が同時に室内に吹き荒れ、洞窟の壁が一瞬で凍り付き、次の瞬間には熱で爆ぜた。


「くっ……これが、炉心の出力かい……!?」

カイルは障壁を展開しながらも、その凄まじい風圧に数メートルも後方へ吹き飛ばされる。

アレンはゆっくりと宙に浮き上がっていた。

その瞳は完全な白銀に染まり、右腕からは結晶化した竜の鱗のような魔力の衣が、まるで本物の竜の腕のように這い回り始めている。


「アレン! やめるんだ、私だ! エルザだよ!!」

エルザは激しい魔力の嵐に抗いながら、必死にアレンへと手を伸ばす。

しかし、アレンの視線はエルザを捉えていながらも、そこには一滴の情も宿っていない。


「対象の接近を拒絶。……第二種迎撃形態。」

アレンが右手を軽く振るう。

それだけで、空間に無数の氷の楔(くさび)が形成され、猛烈な速度でエルザへと射出された。


「しまっ――」


「甘いぞ、エルザ!」

間一髪、ガロウが前に躍り出た。

鈍色に光る鋼鉄の左腕を掲げ、肉体強化の魔力を込めて氷の楔を殴り飛ばす。

ガキィン!と金属音が洞窟に響き渡るが、ガロウの巨体がわずかに後退した。


「チッ、重てぇな! 傷つけずに抑え込むってのは、言うほど簡単じゃなさそうだ!」

「ガロウ、アレン君の体はまだ人間のままだよ! 強い衝撃を与えたら、器(からだ)の方が保たない!」


カイルが後方から警告の声を上げる。

攻撃して倒すことは許されない。

しかし、手加減をして抑え込めるような次元の力ではない。

絶望的な矛盾のなか、アレンはさらに出力を上げていく。

アレンの背後に、巨大な白竜の幻影が、咆哮を上げるように揺らめいた。


「臨界限界(オーバードライブ)まで残り、百二十秒。周囲の脅威を完全に排除します。」

アレンが両手を広げる。

洞窟の天井全体が赤黒く燃え上がり、同時に足元は絶対零度の氷床へと変わっていく。

この一撃が放たれれば、レジスタンスの隠れ家ごと全員が消滅する――エルザが覚悟を決めて地を蹴ろうとした、その時だった。

 

「――そこまでだ、白き竜の残滓よ!」

 洞窟の入り口から、一筋の漆黒の斬撃が奔った。

その闇の魔力を孕んだ一閃は、アレンが放とうとしていた熱量と冷気の均衡を完璧に断ち切り、霧散させる。


「なっ……!?」

エルザが驚愕して振り返る。

立ち込める霧の向こうから現れたのは、ドラグニル軍第一師団の軍服を翻す、一人の美しい女騎士だった。

その手には、不気味な黒い光を放つ細剣(レイピア)が握られている。


「……レイラ!!」

ガロウがその名を呼んだ。

第一師団遊撃隊長であり、ガロウを救い、アレンたちを逃がす手引きをしたもう一人のダブルスパイ、レイラだった。

レイラは凛とした表情で大剣を構え直し、アレンを見据えた。


「遅くなってすまない、ガロウ、カイル。……そして、竜人族の娘エルザだな。話は後だ。あの少年の精神が完全に上書きされる前に、力ずくで意識の底から引きずり出すぞ!」

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