「距離が…近すぎる」
鷹宮ひとえに「今夜は外に出ないこと」
そう言われた僕は、素直に従った。
……正確には、従うしかなかった。
部屋に戻って制服を脱いでも、胸のざわつきは消えない。
靴箱に入っていた花束。そこに添えられていた、あの一文。
《凪くんは私のもの》
文字が、まだ頭に貼りついている。
夕飯はコンビニの弁当だった。
箸を動かす手が、何度も止まる。
気づくと、カーテンの隙間から外を確認していた。
見えるのは、いつも通りの住宅街。
街灯。家。静かな夜。
——なのに、胸騒ぎがする。
突然、インターホンが鳴った。
心臓が跳ねる。
反射的に息を止める。
深呼吸して、モニターを覗いた。
宅配業者の制服を着た女性。
昼間に見たのと、同じような笑顔。
「お届け物です」
居留守を使えばいい。
そう思ったのに、指が勝手に通話ボタンを押していた。
「……置き配でお願いします」
「承知しました。——東條さま、ですよね?」
名前を呼ばれた瞬間、背筋が凍った。
「……なんで」
「伝票にございます」
当たり前の理由なのに、心臓がうるさい。
玄関の外に置かれた小さな箱。
差出人は、記載なし。
(……まただ)
怖い。
でも、放っておくのも怖い。
カッターでテープを切った。
中に入っていたのは、防犯用品だった。
防犯ブザー。携帯ライト。簡易鍵。
そして、メモ。
《ちゃんと守れるように、準備してね》
《凪くんが無事なら、それでいい》
字は分からない。
でも、今日の靴箱のメモと、どこか似ている。
僕は箱を閉じて、椅子に沈み込んだ。
——守る。
その言葉が、もう優しく聞こえない。
スマホが震えた。
《男性保護局:安全確認アプリ導入案内》
《学校:保護局協力要請について》
導入“案内”。
案内なのに、断れる気がしない。
通知を開く。
《位置情報共有・緊急通報機能付きアプリの導入を推奨します》
《ご本人の安全のため、ご協力ください》
「……安全のため」
スマホを伏せ、天井を見る。
(これ、いつまで続くんだ)
前の世界なら、友達に愚痴って終わりだ。
でも今は、誰に言っても「守られてるんだからいいじゃん」で終わる。
眠れないまま、夜が過ぎた。
---
翌朝。
校門の前に、昨日と同じ保護局の女性が立っていた。
顔は、覚えないようにした。
覚えた瞬間、それが“日常”になってしまいそうで。
「おはようございます。東條さん」
「本日も安全確認を行います」
「……おはようございます」
返した瞬間、周囲の視線が集まる。
興味じゃない。
距離を測る目。
教室に入ると、机の上に封筒が置かれていた。
担任からの配布物かと思った。
でも、表には僕の名前だけ。
「東條くん。職員室へ」
職員室には、鷹宮ひとえがいた。
「保護アプリの導入同意書です」
「……同意、ですか」
「形式上です」
つまり、拒否権はない。
「拒否したら?」
「認められません。あなたは危険性が高い」
最初から、選択肢が潰されている。
「……監視ですよね」
「保護です」
「同じです」
一瞬だけ、鷹宮がまばたきをした。
「あなたがそう感じるのは理解しています」
「ですが、やめません」
職務。
正しさ。
「……慣れろ、ってことですか」
「最低限の生き方に」
生きるための最低限が、監視されること。
笑えなかった。
---
放課後。
「凪くん、送る」
「私も」
昇降口で、女子たちが言い争いを始める。
僕の意思は、最初から含まれていない。
「……今日は、一人で帰りたい」
言った瞬間、空気が凍る。
悲しみ。
苛立ち。
疑念。
そして——敵意。
「なんで?」
「誰かに言われた?」
保護局の女性が前に出る。
「無理強いは——」
「無理強いしてない!」
“凪くんのため”。
その言葉が、何度も胸を刺す。
鷹宮ひとえが現れ、短く言った。
「解散しなさい」
それだけで、女子たちは引いた。
ワゴン車に乗り込むとき、背中に視線が刺さる。
振り返れなかった。
---
部屋に戻り、アプリをインストールする。
《位置情報常時取得》
《データ共有》
同意を押した瞬間、画面に表示される。
《保護状態:有効》
——守られている。
同時に、檻の鍵が閉まる音がした気がした。
スマホが震える。
《今夜、少しだけ外に出て》
《保護局には言わないで》
心臓が跳ねる。
その直後。
インターホンが鳴った。
連打。
モニターに映るのは、学校で見た女子たち。
全員、笑っている。
でもその笑顔は、もう“いつもの笑顔”じゃなかった。
——今夜、何かが起ころうとしていた。




