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貞操逆転世界で、僕は希少な男子らしい  作者: きなこもち
第1章

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4/50

「誰にでも優しい男」

 


 昼休みが近づくにつれて、教室の空気は少しずつゆるんでいった。


 四限の終わりを告げるチャイムが鳴る。

 先生が「じゃあ、ここまで」と教科書を閉じた瞬間、あちこちで椅子の脚が床を擦る音が重なった。

 誰かが笑い、誰かが立ち上がり、弁当の袋を取り出す。

 いつもの昼休み。

 そのはずなのに、僕の周りだけ、見えない膜が一枚張ったみたいに落ち着かなかった。


 机の中にしまった小さな紙袋の存在が、ずっと気になっている。

 別に爆弾でも入っているわけじゃない。

 ただのクッキーだ。たぶん。

 それなのに、引き出しを開けるたびに、そこから何かもっと重たいものが漏れ出してくる気がした。


(…昼、どこ行こう)


 教室で食べるか。

 中庭に出るか。

 それとも購買で何か買って、適当に空いてる場所を探すか。


 少し考えてから、僕は弁当を持ち上げた。

 今日は、ここでいいかもしれない。

 朝からいろいろありすぎて、これ以上どこかへ移動する気力がなかった。


「凪くん」


 また声がした。


 今日は本当に、朝から何度呼ばれているんだろう。

 僕が顔を上げると、今度はクラスメイトの女子が二人、机の横に立っていた。

 一人は前から何度か話している子で、もう一人はそこまで親しくないけど顔は知っている。


「一緒に食べない?」


 明るい調子だった。

 あまりにも自然で、まるで僕が断る可能性なんて最初から想定していないみたいな言い方だった。


 たぶん、前の僕なら、そんなに深く考えずにうなずいていたと思う。

 誰かと食べれば楽しいし、断る理由も特にない。

 それに、こういう誘いを受けるのは、やっぱり少しだけ気分がいい。


 けれど今日は、ひよりの言葉と鷹宮さんの声が、妙にしつこく頭の奥に残っていた。


 ――誰にでも優しい。

 ――誤解を招く。

 ――相手にとっては、軽くない。


「…あー」


 返事に詰まる。

 その一瞬の間だけで、二人の表情がほんの少しだけ揺れた。


 ああ、だめだ。

 こういう“曖昧な間”そのものが、たぶん一番よくない。


「今日は教室で食べる」


 なるべく普通に言ったつもりだった。

 強くもなく、冷たくもなく、でも誤解が残らないように。


 すると、二人は一拍置いてから「あ、そっか」と頷いた。


「じゃあ、また今度ね」


「うん」


 それだけで会話は終わる。

 前ならもっと引き止められたり、空気が残ったりしたかもしれない。

 けれど今回は、思ったよりあっさり引かれた。


 そのことに少しだけ安心して、少しだけ寂しくなる。

 自分でも意味が分からなくて、心の中で苦笑した。


「偉いじゃん」


 横からぼそっと言われる。


 ひよりだった。

 自分の弁当箱を抱えたまま、少し呆れたような、でも少しだけ感心したような顔をしている。


「何が」


「今の。前の凪くんなら、たぶん曖昧にしてた」


「…そんなことない」


「あるよ」


 即答された。


 ひよりは僕の前の席を少し引いて、向かい合うみたいな位置に座った。

 別に一緒に食べようと言ったわけじゃない。

 でも、自然にこの距離を取ってくるところがひよりらしかった。


「ここで食べるの?」


「うん」


「ふーん」


 それ以上踏み込まない。

 でも、完全に離れもしない。

 その距離感がちょうどよくて、少しだけ息がしやすくなる。


 弁当箱を開ける。

 母が作った、いつも通りの中身。

 卵焼き、唐揚げ、ブロッコリー、冷凍のグラタン。

 見慣れた配置に、ようやく少しだけ現実感が戻る。


「ねえ」


 ひよりが箸を持ちながら言った。


「なに」


「さっきさ、なんでちゃんと断ったの?」


「ちゃんと断った、って」


「一緒に食べないってやつ。前なら、“あとで行くかも”とか言ってそうだったから」


 言われてみれば、そうかもしれない。

 実際、少し前までの僕ならそうしていた。


 断るわけじゃない。

 でも約束もしない。

 相手が勝手に期待できる余地を残したまま、その場だけ気まずくならない言い方。


 僕はしばらく考えてから、正直に答えた。


「…疲れたから」


「何に?」


「いろいろ」


 ひよりは少しだけ笑った。


「ざっくりしてる」


「ざっくりしか言えないんだよ」


 そう返してから、唐揚げを一つ口に入れる。

 味はいつもと同じだった。

 でも、頭の中が落ち着かないせいか、ちゃんと味わう余裕はない。


「鷹宮さんの言ったこと?」


 ひよりが静かに聞く。


「…それもある」


「そっか」


 また、それ以上は追及しない。


 この“聞きすぎない”ところがありがたいのに、同時に少しだけずるいとも思う。

 もっとぐいぐい来る子の方が、ある意味では楽だ。

 その場で流せるから。


 ひよりみたいに、ちゃんと相手の返事を待つ子は、こっちも適当に返しにくい。


「ひよりさんってさ」


「うん?」


「なんでそんな普通なんだろうね」


 ぽろっと出た言葉だった。

 ひよりは目を丸くしてから、少しむっとした顔になる。


「なにそれ。褒めてる?」


「たぶん」


「たぶんって失礼」


 そう言いながらも、ひよりは本気では怒っていない。

 僕は少しだけ肩の力を抜く。


「だって、みんなもっと…なんていうか」


「重い?」


「そこまでは言ってない」


「思ってるでしょ」


 図星だった。


 ひよりは箸の先で小さく卵焼きをつまみ上げながら、少しだけ視線を落とす。


「私だって、女の子だよ」


「うん」


「だから、全然分かんないわけじゃない」


 そこで一度言葉を切って、続ける。


「でも、たぶん私は“男だから”より先に、“その人がどういう人か”で見たいんだと思う」


 その言い方は、ひよりにしては少し珍しく大人びて聞こえた。


 僕は思わず、正面から彼女の顔を見る。


 ひよりは気まずそうに少しだけ目を逸らした。


「なに」


「いや…ちゃんとしてるなって」


「だから何その上から」


「違うって」


 少し笑う。

 ひよりも、ほんの少しだけつられて笑った。


 その何気ないやりとりが、妙にほっとした。


 変に期待を持たせるつもりもない。

 特別扱いをしているわけでもない。

 でも、ちゃんと会話が成立している感じがある。


 それがこんなに楽だなんて、少し前の僕は気づかなかったかもしれない。


 教室のあちこちで、弁当のふたを閉じる音や、パンの袋を開ける音がする。

 ざわめきはあるのに、僕の周囲だけは不思議と落ち着いていた。


 けれど、その静けさは長くは続かなかった。


「東條くん」


 また、声がした。


 僕もひよりも同時に顔を上げる。


 教室の入口近くに立っていたのは、見覚えのない女子だった。

 制服のリボンの色が違う。別のクラスだ。

 けれど、その視線は迷いなくこちらに向いている。


「あの…少し、いいですか」


 少し緊張した声。

 でも、その奥にある熱は隠しきれていない。


 ひよりの箸が、わずかに止まったのが分かった。


 僕の胸の奥も、さっきまでとは違う緊張で固くなる。


 教室の空気がまた変わる。

 何人かがこちらを見た。

 話を止めていないように見せながら、ちゃんと見ている。


 断るべきか。

 でも、ここであからさまに切ったら、相手も周囲も変に受け取るかもしれない。

 かといって、席を立てばまた話が広がる。


 数秒のうちに、頭の中でいくつも選択肢が浮かんでは消える。


「…ここでなら」


 結局、そう言ってしまった。


 すぐ隣で、ひよりが何も言わずに視線を落としたのが見えた。

 責めてはいない。

 でも、たぶん思うところはある顔だった。


 女子はほっとしたように近づいてくる。

 近づいてくる速度が少し速くて、僕は無意識に背筋を伸ばした。


「二組の小鳥遊です」


「…東條です」


「知ってます」


 それはそうか。


 小鳥遊さんは、少し息を整えるみたいにしてから言った。


「朝のこと、見てました」


 やっぱりそこか、と思う。


「佐伯さんのこと、助けてたじゃないですか」


「…ああ」


「すごく、格好よかったです」


 真正面からそう言われると、やっぱり困る。

 前なら、ここで少し照れたふりでもしていれば、それだけで場が丸く収まったかもしれない。


 でも今は、その“丸さ”がたぶん危ない。


「ありがとう」


 なるべく短く返す。


 小鳥遊さんは僕のその反応に少しだけ戸惑ったようだった。

 それでも、引く気配はない。


「あの、東條くんって…いつもああいう感じなんですか?」


「どういう」


「困ってる子がいたら、すぐ助けるっていうか」


 その聞き方が、質問の形をしていながら、実際は確認なんだと分かる。

 自分にもそうしてくれる人なのか。

 自分にとっても特別になりうる人なのか。

 たぶん、そういう確認。


 僕は少しだけ言葉を選ぶ。


「…そのときによるかな」


 また曖昧だ、と自分でも思った。

 けれど、これ以上はっきり言うのも違う気がしてしまった。


 小鳥遊さんはその返事に、小さく頷いた。

 頷いたけれど、目の奥にはやっぱり期待が残っている。


「そうなんだ」


 そして一瞬、言いにくそうに口ごもってから続ける。


「今度、もしよかったら…」


 ひよりの視線が机の上に落ちる。

 教室のざわめきが、少しだけ遠くなる。


 まただ。

 またこの感じだ。


 何かを差し出される前の空気。

 期待が形になる一歩手前の、息の詰まる感じ。


 僕はその瞬間、ようやく少し分かった。


 誰にでも優しくするって、たぶん“楽なやり方”だったんだ。

 その場では嫌われない。

 その場では自分も気持ちいい。

 でも、その楽さのぶんだけ、後から重くなる。


「ごめん」


 気づけば、口から出ていた。


 小鳥遊さんの顔が固まる。


「今は、そういうの…増やしたくない」


 言ってから、自分でも少し驚いた。

 ちゃんとした文章になっていない。

 でも、これ以上きれいに言い換えたら、また余計な期待を残してしまいそうだった。


 小鳥遊さんは数秒黙ってから、「そっか」とだけ言った。


 責める声じゃなかった。

 でも、傷ついていないわけでもない声だった。


「急にごめんなさい」


「いや…こっちこそ」


 最後のそれも、たぶん余計だった。


 小鳥遊さんは軽く頭を下げて、教室を出ていく。

 その背中を見送ったあと、胸の奥にじわっと鈍い疲れが広がった。


 ひよりが、ゆっくりと息を吐く気配がした。


「…今の」


「うん」


「前よりは、まし」


「前より“は”って何だよ」


「そのままだよ」


 ひよりはそう言って、箸を置いた。


「ちゃんと切ろうとしたのは分かった。でも、最後ちょっと余計」


「謝ったから?」


「それもあるし、“増やしたくない”って言い方」


 僕は眉をひそめる。


「だめだった?」


「だめっていうか」


 ひよりは言葉を探すみたいに少し黙ってから言った。


「自分が“その中の一人”だったって、はっきり分かるじゃん」


 その指摘に、言葉が止まる。


 確かにそうだ。

 “そういうのを増やしたくない”。

 それはつまり、彼女の気持ちを個人として見る前に、僕の側の“増減可能な何か”にしてしまったということだ。


 またやった。


 悪気はない。

 でも、悪気がないから許されるとも思えない。


「…最悪だな」


 小さく呟くと、ひよりは少しだけ肩をすくめた。


「最悪ってほどじゃないよ」


「でも、だいぶひどい」


「うん、それはそう」


 容赦がない。


 なのに、その容赦のなさが今はありがたかった。


 僕は机に肘をついて、額を軽く押さえる。

 朝からずっと、同じところで転んでいる気がする。


 軽くしたくない。

 でも、重くもしたくない。

 誰も傷つけたくない。

 でも、誰にも期待させたくない。


 そんな都合のいいやり方なんて、たぶんないのだ。


「凪くん」


 ひよりが少しだけ声を落として言う。


「なに」


「たぶんさ」


「うん」


「誰にでも優しくしようとするの、もうやめた方がいいよ」


 またその言葉だ。

 でも今度は、前よりずっと重く聞こえた。


 僕は顔を上げる。

 ひよりは真剣だった。


「それ、優しいんじゃなくて、たぶん凪くんが一番楽なだけ」


 胸の真ん中を、まっすぐ突かれたみたいだった。


 否定したかった。

 でも、今日はもう、何度も図星を突かれすぎている。


 鷹宮ひとえ。

 さっきの佐伯さん。

 ひより。


 みんな違う言い方をするのに、結局同じところを指している。


 僕は“優しい男”でいたかったんじゃない。

 たぶん、“悪い男”になりたくなかっただけだ。


 そう思った瞬間、妙に息がしづらくなった。


 教室の窓の外では、昼の光が明るく差し込んでいる。

 なのに、僕の席のあたりだけ、少し薄暗く感じた。


「…ひよりさんって、容赦ないよね」


「今さら?」


「今さら」


 僕がそう返すと、ひよりはようやく少しだけ笑った。


「でも、凪くんに今必要なの、たぶんそういう人でしょ」


 その言葉には、妙に反論できなかった。


 昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る。

 みんなが弁当箱を片づけ始める。

 いつも通りの午後が、また始まる。


 けれど、僕の中では何かが少しずつずれていた。


 今までなら、誰にでも優しくしていれば、それでよかった。

 少なくとも、その場は。

 でも、それがもう通じないところまで来ている。


 そしてたぶん、一番分かっていなかったのは僕自身だ。


 “誰にでも優しい男”なんて、聞こえはいい。

 でも、その中身が“誰にも責任を持たない男”なら、それはただの軽さだ。


 予鈴のあとに続くざわめきの中で、僕は机の上の指先をじっと見つめた。


 少しずつ、自分の輪郭が嫌な形ではっきりしていく。


 たぶんここから先は、今までみたいにはいかない。


 ――その予感だけが、昼の終わりの教室で、妙にくっきりと残っていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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