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貞操逆転世界で、僕は希少な男子らしい  作者: きなこもち
第1章

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3/50

「善意という名の地雷」

 


 教室の扉を開けた瞬間、空気がほんの少しだけ揺れた。


 静まり返る、というほどじゃない。

 誰かが大げさに息を呑むわけでもない。

 でも、さっきまでそれぞれ勝手に動いていた視線が、一度だけ僕に集まって、それからまた散っていく。


 その“集まり方”が、朝までとは少し違っていた。


 前なら、もっと柔らかかった。

 気になる、見たい、話したい――そんな温度の視線だった。


 今はそこに、もう一つ混ざっている。


 測るような目。

 確かめるような目。

 そして、少しだけ遠慮した目。


(…最悪だな)


 鷹宮ひとえとの会話が、まだ頭の中に残っているせいかもしれない。

 さっきまでなら気持ちよく受け止めていた視線が、今はどれも重たく感じた。


 自分の席へ向かう。

 その途中で、何人かの女子と目が合った。

 目が合うと、向こうは少しだけ嬉しそうな顔をする。

 けれど、前みたいにすぐ話しかけてはこない。


 ――あなたは、自分で思っているよりずっと“普通”ではありません。


 やめてほしい。

 あの言葉が、何度も頭の中で繰り返される。


 普通じゃないから見られる。

 普通じゃないから意味がつく。

 普通じゃないから、ただ助けるだけで選んだことになる。


 そんなの、やっぱりおかしい。


「凪くん」


 席に着いたところで、斜め前から声がした。

 水無月ひよりが、机に肘をつくみたいに少しだけ身を乗り出している。


「…なに」


「さっき、鷹宮さんに呼ばれてたよね」


「見てたんだ」


「見えるでしょ、普通に」


 ひよりはそう言ってから、少しだけ声を落とした。


「怒られた?」


 その聞き方に、僕は少しだけ苦笑する。


「怒られたっていうか…説教、かな」


「そっか」


 ひよりは頷いた。

 でも、それで終わらない顔をしている。


「何て言われたの?」


「…僕が危ないって」


「うわ」


「その“うわ”は何」


「いや、まあ…言われそうだなって思って」


 言い方は軽いのに、ひよりの目は少し真剣だった。


 僕は椅子の背に少しだけもたれながら、天井の方を見る。

 言う必要はない気もした。

 でも、今のまま一人で飲み込むには、少し重い。


「助けたのがよくなかったらしい」


「朝の?」


「うん」


「…助けただけじゃん」


「だよね」


 少しだけ声が明るくなりそうになる。

 やっぱりそう思うよな、と。


 けれど、ひよりはすぐに続けた。


「でも、まあ…分からなくもないかも」


 その一言で、浮きかけた気分が止まった。


「どっちなんだよ」


「どっちもだよ」


 ひよりは肩をすくめる。


「助けること自体は悪くないよ。むしろ普通ならいいことだし」


「普通なら?」


「この世界だと、その“普通”がちょっと重いっていうか」


 そこで言葉を探すように視線を泳がせてから、ぽつりと言う。


「凪くんって、何気ないことを何気なくやりすぎるんだよね」


「…意味分かんない」


「分かるよ」


 ひよりは小さく笑った。

 でも、その笑い方には少しだけ困った色が混じっていた。


「たとえば、凪くんが今、誰か一人にだけ優しかったら、まだ分かりやすいんだよ」


「優しいのに、一人にだけって」


「そう。変でしょ?」


「変だろ」


「でも、この世界ってそういう変なところあるから」


 ひよりはそう言って、自分の指先を見つめた。


「誰にでも優しいと、“誰かに特別”って期待しやすいんだよ」


 その言葉に、また少し胸が重くなる。


 鷹宮さんにも似たようなことを言われた。

 しずくにも、たぶんそういうことを言われる気がする。


 でも、納得と反発が半分ずつだ。


「…僕、別に誰にも付き合うとか言ってないけど」


「うん」


「だったら、相手が勝手に」


「そこなんだよ」


 ひよりが僕の言葉をやわらかく遮る。


 責める口調じゃない。

 でも逃がしてもくれない。


「凪くんさ、“勝手に”って思ってるでしょ」


 心臓が一回、強く鳴る。


 図星だった。


 僕は視線を逸らしそうになって、でもひよりの前でそれをやるのは負けた感じがして、ぎりぎりで踏みとどまる。


「…だって、そういう部分もあるじゃん」


「あるよ」


 意外なほどすぐに肯定された。


「ある。全然ある。勘違いする方が悪いときも、たぶんある」


「ほら」


「でも、凪くんはそれを止めないでしょ」


 今度こそ、何も返せなかった。


 ひよりは、僕をまっすぐ見ている。

 怒っているわけじゃない。

 軽蔑しているわけでもない。

 ただ、ちゃんと見て言っている目だった。


「やめろって言ってるわけじゃないんだよ」


 ひよりが続ける。


「ただ、凪くんって、少し笑えば相手が喜ぶの知ってるじゃん」


「……」


「知ってるのに、やるでしょ」


 喉が少しひりつく。


 そうだ。

 知っている。


 前の世界では、そんなことで相手が顔を赤くすることなんてなかった。

 でも今の世界では違う。

 目を見て話すだけで。

 名前を呼ぶだけで。

 少し柔らかい言葉を返すだけで。

 相手の表情が変わる。


 僕はそれを、たぶん知っていて使っていた。


「…そんなに、ひどい?」


 自分でも情けないと思うくらい、小さい声が出た。


 ひよりは少しだけ考えてから、正直に言う。


「今のところは、ぎりぎり」


「ぎりぎりって」


「でも、そのうち誰か泣くかも」


 その言い方が妙に現実的で、変に胸に残った。


 誰か泣く。

 そんなこと、たぶん前の世界でもあったんだろう。

 ただ、僕はそこまで行くほど誰かに求められたことがなかっただけで。


「…ひよりさんは」


「うん?」


「僕のこと、軽いと思ってる?」


 聞いてから、なんでこんなことを聞いたのか自分でも分からなくなった。

 でも、ひよりは笑わなかった。


 少しだけ黙って、それから答える。


「思ってるよ」


 はっきりした返事だった。


 胸の奥が、ちくりと痛む。


「でも」


 ひよりは続けた。


「軽いままでいたい人だとは思ってない」


 その一言に、今度は違う意味で言葉が止まる。


「…それ、どういう」


「凪くんってさ」


 ひよりは視線を少し窓の方へやった。

 昼の光が横顔に当たって、思ったより真面目な顔をしているのがよく見える。


「求められるの、たぶん好きでしょ」


「っ…」


「いや、責めてるんじゃなくて」


 慌てて付け足す。


「そりゃ好きになると思うよ。こんな世界だし」


 そこでひよりは少しだけ笑った。

 苦笑に近い笑い方だった。


「でも、好きだからって、ずっとそのままでいられるタイプじゃなさそう」


 その言葉が、なぜだか鷹宮さんの警告よりも深く刺さった。


 僕は、求められるのが好きだ。

 認められるのが好きだ。

 選ばれるのが好きだ。


 それを、否定できない。


 でも、じゃあこのままずっと誰にでも中途半端に期待を持たせて、気持ちよくなっていたいのかと言われたら――たぶん違う。


 たぶん、違う。

 でも、じゃあ何がしたいのかは分からない。


 僕が黙り込んでいると、ひよりはそれ以上踏み込まなかった。


「…まあ、今すぐどうこうしろって話じゃないけど」


「うん」


「ただ、ちょっと気をつけた方がいいよ。ほんとに」


 そう言って、ひよりは自分の席に向き直る。


 ちょうどそのタイミングで担任が教室に入ってきた。

 ホームルーム前のざわつきが少しずつ収まっていく。


 でも、僕の中のざわつきは逆に強くなっていた。


 軽い。

 危ない。

 不用意。

 誤解を招く。

 期待を止めない。


 たった一日のうちに、いくつの言葉が刺さっただろう。


 ノートを開きながら、ぼんやり考える。


 前の世界では、誰にも選ばれなかった。

 今の世界では、選ばれすぎている。

 しかもその選ばれ方は、僕が本当に欲しかったものと少し違う。


 ――相手にとっては、人生で初めての“選ばれた感覚”である場合があります。


 また、鷹宮さんの声が頭の中に蘇る。


 もしそうなら。

 僕が今まで適当に笑って、適当に繋いで、適当に保ってきた関係は、相手にとっては“適当”じゃなかったのかもしれない。


 その考えが、じわじわと気持ち悪く広がっていく。


 けれど授業が始まれば、そんなことをゆっくり考えている暇はない。

 黒板に文字が並び、教科書のページをめくる音が重なって、教室は一応いつもの午前中に戻っていった。


 戻っているように、見えた。


 ◇


 一限と二限のあいだの短い休み時間。


 席に座ったままぼんやりしていると、机の横に影が差した。


「東條くん」


 見上げる。

 今朝助けた女子だった。


 近くで見ると、やっぱり見覚えはある。

 たぶん同じ学年だ。けれどクラスまでは分からない。


「あ、えっと…」


 まだ名前が出てこない僕を見て、その子は少しだけ慌てたように笑った。


「ごめん、急に来て。私、一組の佐伯です」


「ああ、佐伯さん」


 本当は今聞いたばかりだったけど、とりあえず名前を口に出してみる。

 それだけで、佐伯さんの顔が少し明るくなった。


「朝は、その…ありがとうございました」


「いや、そんな大したことじゃ」


 そこまで言いかけて、ひよりの言葉がよぎる。


 凪くん、少し笑えば相手が喜ぶの知ってるじゃん。


 反射的に出かけた“いつもの返し”が、喉の奥で少し引っかかる。


 でも、ここで急に冷たくするのも変だ。

 結局、僕はいつも通りの曖昧な表情のまま続けた。


「怪我なくてよかったよ」


 佐伯さんは、やっぱり嬉しそうに目を細めた。


「はい…。あの、これ」


 小さな紙袋を差し出してくる。

 中身は市販のクッキーか何かだろう。

 丁寧にリボンまでついている。


「お礼、です」


「いや、そんなのいいよ」


 断ったつもりだった。

 けれど僕の言い方は、たぶん強くなかった。


「でも…私、ちゃんとお礼したくて」


 そこまで言われると、また切りづらい。


 前の世界でも、僕はこういうのに弱かった。

 好意そのものより、“せっかく用意してくれた気持ち”を無下にするのが苦手なのだ。


「…じゃあ、受け取るだけ」


 結局そう言ってしまう。


 佐伯さんの表情が、ぱっとほどけた。


「ありがとうございます」


 いや、こっちがお礼を言われる流れなのか。

 そう思ったけれど、もう訂正するのも変だった。


 その様子を、周囲が見ているのが分かる。


 教室の後ろ。

 窓際。

 何気なくプリントを回していた女子たち。


 みんな露骨に見ているわけじゃない。

 でも見ている。


 視線に気づいた瞬間、さっきまで曖昧だった気まずさが、急にはっきり輪郭を持った。


(…これ、まずいか)


 ようやくそう思う。


 でも、今さら紙袋を突き返すわけにもいかない。


「じゃ、じゃあ私、これで」


 佐伯さんは深く頭を下げて、その場を離れていった。

 その後ろ姿を見送りながら、僕は机の上の紙袋に視線を落とす。


 可愛らしい包装。

 丁寧な結び方。

 時間をかけて選んだんだろうことが、こういう小さなところから分かってしまう。


 それが急に重たく感じた。


「…早いね」


 横から、ひよりの声。


 見ると、いつの間にか近くまで来ていた。


「何が」


「お礼もらうの」


「いや、別に欲しかったわけじゃ」


「分かってるよ」


 ひよりはすぐに言った。

 でも、そのあと少しだけ間を置いてから続ける。


「でも、受け取ったんだ」


 責めているような言い方ではない。

 ただ事実を確認しているだけ。

 なのに、その方がよっぽど痛い。


「…断りきれなくて」


「うん」


「それだけ」


「うん」


 短い相槌のあと、ひよりは小さくため息をついた。


「凪くん、それたぶん一番だめなやつ」


「そんなはっきり言う?」


「言うよ。だってもう始まってるもん」


 始まってる。

 その言葉に、背中が少し冷える。


 僕は紙袋を引き出しの中にしまい込んだ。

 見えなくなれば少しは軽くなるかと思ったけれど、全然そんなことはなかった。


 むしろ、見えないところに隠したぶんだけ後ろめたさが増した気さえする。


 ひよりは机に手をついたまま、僕を見ていた。


「凪くん」


「…なに」


「今なら、まだ引き返せると思う」


「何から」


「そういうの全部」


 ひよりの言う“そういうの”が何を指しているのか、分からないふりはできなかった。


 誰にでも優しくして。

 誰とも切らずにいて。

 気分よく求められて。

 でも本気では何も引き受けない。


 たぶん、それ全部だ。


「…そんな簡単じゃないよ」


 思わず本音が出る。


 ひよりは少しだけ目を細めた。


「簡単じゃないのは、分かる」


「だったら」


「でも、簡単じゃないからって放っておいていいわけじゃないでしょ」


 まっすぐだった。


 そのまっすぐさが、今の僕には少し眩しすぎる。


 結局、その休み時間はそれ以上何も言えないまま終わった。

 チャイムが鳴り、ひよりは自分の席へ戻る。


 僕は一人になってから、机の中の紙袋をもう一度思い出す。


 大したものじゃない。

 コンビニで買えるくらいの菓子だろう。

 でも、そこに詰まっている意味は、たぶん全然“軽くない”。


 僕は前の世界で、そういう重さを受け取ったことがなかった。


 だから、今もたぶん、ちゃんと扱いきれていない。


 窓の外では、春の風が校舎の脇の木を揺らしていた。

 その音が、妙に遠く聞こえる。


 僕はペンを持つふりをしながら、心のどこかでようやく少しずつ認め始めていた。


 この世界で僕がやってきたことは、

 “ただ感じよくしていただけ”では済まないのかもしれない、と。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

もし作品を気に入っていただけましたら、

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★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/


また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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