「優しい男は目立つ」
鷹宮ひとえに連れて行かれたのは、校舎の一階の端、普段なら生徒がほとんど近づかない一室だった。
保健室に似ているようで、少し違う。
白い壁。整えられた机。棚に並ぶファイル。
観葉植物すら置かれていない、余計なものを削ぎ落とした空間。
あたたかさよりも、清潔さと管理のしやすさが先に立つ部屋だった。
ドアが静かに閉まる。
その音を聞いた瞬間、妙に現実味が増した。
「…えっと」
何から聞けばいいのか分からず、僕は中途半端に口を開いた。
鷹宮ひとえは、入口の近くで振り返る。
近くで見ると、やっぱり整った人だった。年齢は二十代半ばくらいだろうか。
無駄のないスーツの着こなしも、背筋の伸びた立ち方も、いかにも仕事のできる人に見える。
「まず、座ってください」
声は落ち着いている。
やわらかくはないけれど、威圧する響きでもない。
感情をなるべく混ぜないようにしているのが分かる声だった。
僕は言われた通り、椅子に腰を下ろした。
鷹宮さんは向かいに座り、タブレットを机の上に置く。
画面を開く指先まで迷いがなくて、それだけで、ああこの人は僕なんかよりずっとこの状況に慣れているんだなと思わされた。
「改めまして。男性保護局、学園担当の鷹宮ひとえです」
「…東條凪です」
「知っています」
そうですよね、と心の中だけで返す。
沈黙が一拍落ちる。
先に口を開いたのは、鷹宮さんの方だった。
「今朝の件ですが」
その言い方だけで、胸の奥が少し固くなった。
「東條くんは、女子生徒を助けました」
「はい」
「あなたに悪意がなかったことも、下心がなかったことも理解しています」
そこまで言われて、少しだけ肩の力が抜ける。
でも、その直後に続いた言葉は、まるでそのわずかな安心を見越して切り落とすみたいだった。
「ですが、結果としては危険です」
「…危険?」
思わず聞き返した。
鷹宮さんは表情を変えない。
「あなたは、彼女を人混みの中で支え、名前も知らない段階で親しい距離に入りました」
「いや、それは…転びそうだったから」
「分かっています」
即答だった。
「分かっていますが、問題はそこではありません」
問題はそこじゃない。
そう言われても、僕にはまだピンとこない。
鷹宮さんは画面を見ず、まっすぐこちらを見る。
「東條くん。あなたは、自分がこの世界でどう見られているか、自覚していますか」
「…男、だからですか」
「それもあります」
“も”と言われて、少しだけ引っかかった。
「ですが、それだけではありません。あなたは同世代の男性の中でも、かなり注目度が高い」
「注目度…?」
「容姿、対人印象、登録評価、全体的なバランスです」
さらっと言われた。
褒められているはずなのに、全然うれしくない。
登録評価、という単語が特に嫌だった。
人として見られている感じがしない。
「あなたは、自分で思っているよりずっと強く見られています」
「…そんなこと」
「あります」
また即答だった。
「しかも、あなたは不用意に距離が近い」
その一言に、今度は少しむっとした。
「不用意って…」
「今朝だけの話ではありません」
鷹宮さんの視線が、少しだけ鋭くなる。
「複数の女子生徒と親しく接していることは把握しています」
その瞬間、心臓が変な音を立てた。
僕は咄嗟に視線を逸らしかけて、ぎりぎりで止める。
「…別に、付き合ってるわけじゃないです」
「ええ。現時点では、そうですね」
現時点では。
その言い方が、妙に引っかかる。
「ただ、あなたの振る舞いは、そう受け取られにくい」
鷹宮さんは淡々と続けた。
「返信を切らない。距離を切らない。特定の相手を選ばない。それでいて、相手が特別だと誤認しやすい言葉と態度を取る」
胸の奥が、じわっと熱くなる。
怒りというより、見透かされたことへの居心地の悪さだった。
「…誤認って」
「違いますか」
言葉に詰まる。
違わない、とは言いたくない。
でも、違うと言い切るには、心当たりが多すぎた。
今朝だってそうだ。
紗奈にも、美優にも、七海にも。
はっきりと約束はしない。けれど、切りもしない。
また今度。時間があったら。顔見たら声かける。
思わせぶりで、便利で、そしてたぶん、残酷だ。
でも。
「…僕は、嘘ついてないです」
ようやく絞り出した言葉は、思ったより弱く聞こえた。
鷹宮さんは少しだけ目を伏せる。
責めるためではなく、言葉を選ぶための間だった。
「そうですね。あなたはおそらく、明確な嘘はついていません」
「だったら」
「ですが、真実だけで人が傷つかないわけではありません」
静かな声だった。
それなのに、その一言は驚くほどまっすぐ胸に刺さった。
僕は口を閉じる。
部屋の空調の音が、妙に大きく聞こえた。
「この世界では」
鷹宮さんが言う。
「男性の態度一つに、強い意味が発生します」
「…そんなの、おかしいでしょう」
言ってから、自分でも少し驚いた。
思ったより強い声が出たからだ。
鷹宮さんは表情を変えないまま、ただ一度だけ小さくうなずいた。
「ええ。おかしい部分はあります」
その返答は予想外だった。
僕は思わず顔を上げる。
「ですが、現実です」
そこで、やっぱり逃がしてはもらえない。
「東條くん。あなたがどう思うかと、どう受け取られるかは別です」
「……」
「そして、あなたは今のところ、受け取られ方に対して無防備すぎる」
無防備。
その言葉に、前の世界の感覚がぶつかって混ざる。
前の世界では、男が少し優しくしたくらいで、ここまでの意味なんて持たなかった。
少なくとも、僕の知っている範囲では。
でも、この世界は違う。
違うのに、僕はまだ、たぶん前のまま動いている。
「ひとつ、確認します」
鷹宮さんが言う。
「今朝、助けた相手の名前は分かりますか」
「…いえ」
「親しい相手ですか」
「違います」
「今後、個人的に接触する予定は?」
「ない、です」
「ですが、相手はそう思わない可能性が高い」
そこで、胸が少しだけざわつく。
たしかにあの子の顔は、ただ助かったというだけの顔ではなかった。
僕を見上げる目の揺れ方が、今も頭に残っている。
「あなたにとっては一回の善意でも」
鷹宮さんは続ける。
「相手にとっては人生で初めての“選ばれた感覚”である場合があります」
その言葉で、急に息がしにくくなった。
選ばれた感覚。
前の世界の僕が、一番欲しかったものだ。
だから、少しだけ分かってしまう。
もしあのとき、好きな子が転びそうになった僕を支えてくれて、名前も知らないのに優しく笑ってくれていたら。
きっと僕だって、簡単に勘違いした。
簡単に、期待した。
それを今、僕は誰かにしているのかもしれない。
「…じゃあ、どうすればいいんですか」
声が少し掠れた。
鷹宮さんは、ほんのわずかにだけ、視線の強さを和らげる。
「まず、自分の影響を自覚してください」
「自覚…」
「次に、不用意に期待を持たせないことです」
「それって」
苦くなった口の中で、言葉を選ぶ。
「冷たくしろってことですか」
「そうは言っていません」
「でも、優しくしたら勘違いされるんでしょう」
「はい」
「じゃあ」
「あなたが今まで通りに振る舞えば、です」
鷹宮さんは、そこだけ少しはっきりした口調になった。
「誰にでも同じように近づき、誰にでも同じように温度を持たせ、誰にも責任を持たないままなら」
そこまで言われると、さすがに腹が立つより先に痛かった。
責任を持たない。
そんな言い方をされると、まるで僕がすごく悪いやつみたいだ。
けれど、否定も難しい。
「…別に、遊んでるつもりじゃ」
「つもりではなく結果の話をしています」
きっぱりと切られる。
僕は机の上で、そっと拳を握った。
この人は正しいんだろうか。
たぶん、少なくともこの世界のルールの中では正しい。
だから余計に苦しい。
少し黙ったあと、鷹宮さんはタブレットを閉じた。
「今日は警告です」
「警告…」
「今後、接触の記録が増えれば、より具体的な保護措置が入ります」
「保護措置って」
「行動範囲の見直し、接触管理、面談の増加などです」
さらっと言われた内容は、思ったより重かった。
「…そこまで?」
「そこまでです」
その口調には一切の揺らぎがない。
「東條くん。あなたは、自分で思っているよりずっと“普通”ではありません」
普通ではない。
そう言われて、胸の奥が妙に冷える。
昔は、普通になりたかった。
普通に誰かに好かれて、普通に恋愛して、普通に選ばれたかった。
なのに今は、普通ではないからこそ人が寄ってくる。
それは嬉しいことのはずだった。
少なくとも、少し前までの僕には。
「…分かりました」
結局、そう言うしかなかった。
ほんとうは、全然分かっていない。
でもこれ以上ここで反発しても、たぶん空回りするだけだ。
鷹宮さんは僕の返事を聞いて、小さくうなずいた。
「では、今日は以上です」
立ち上がる。
僕も少し遅れて椅子から腰を上げた。
ドアの前まで行ったとき、背中に声がかかる。
「東條くん」
「…はい」
「あなたは危うい存在です」
振り返る。
鷹宮さんは変わらない顔でこちらを見ていた。
「ですが、だからこそ守られるわけではありません」
「……」
「このままでは、いずれ誰かを巻き込みます」
その言葉だけ置いて、彼女は視線を外した。
もう話は終わりだという合図だった。
僕は何も返せないまま、部屋を出る。
廊下は明るかった。
さっきまで閉じ込められていたみたいな感覚だったから、その明るさが逆に目に痛い。
教室へ戻る途中、窓ガラスに自分の姿が映った。
前の世界の僕が見たら羨ましがるような顔。
女子に好かれて、求められて、視線を向けられて。
少し前までの僕は、それをたしかに楽しんでいた。
でも今は、胸の奥に変な重さだけが残っている。
僕は本当に、ただ楽しんでいただけなんだろうか。
それとも、分かっていて見ないふりをしていたんだろうか。
教室の扉の前まで来たところで、中から笑い声が聞こえた。
その中に、今朝助けたあの子の声が混ざっている気がして、一瞬だけ足が止まる。
――相手にとっては、人生で初めての“選ばれた感覚”である場合があります。
鷹宮さんの言葉が、嫌になるほど耳に残っていた。
僕は小さく息を吐いて、扉に手をかける。
たぶんまだ、僕はちゃんと分かっていない。
でも、少なくとも一つだけ、はっきりしていた。
前の世界みたいに振る舞えばいいわけじゃない。
この世界では、僕の軽さは、僕が思っているよりずっと重い。
それを認めるのは、少し怖かった。
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