第5話 【洗礼】ナオミ誕生! チベスナ顔の英才教育
やがて、二人の間に待望の長女――ナオミが誕生した。
カオルは我が子を抱き、涙を流しながら誓った。
「この子には、ウチのような荒っぽい苦労はさせん。この世界で一番、お上品で、優しくて、誰からも愛される完璧なお嬢様に育てるんじゃ」
その誓い通り、カオルはナオミの前では絶対に【理解のある優しいお母さん】を徹底した。
言葉遣いは常に優しく、お行儀作法も完璧。ナオミが泣けば優しく抱きしめ、聖歌のような美しい子守唄を歌った。
しかし、人間、長年染み付いた「業」は、ふとした瞬間に漏れ出るものである。
それはナオミが五歳になったある日のこと。
夜中に目が覚めた幼いナオミは、喉の渇きを癒そうと部屋を出て、両親の寝室の前を通りかかった。
ドアが、ほんの数センチだけ開いている。中から、何やら不穏な声が聞こえてきた。
「おい、あんた。さっきから聞いてりゃ、ナオミの教育方針に文句あるんか? あァ?」
「ま、待てカオル! 文句ではない! ただ、五歳児に『ナメられたら終わりだ』と教えるのは、少し早いのではないかと……!」
ナオミが隙間から覗き込むと、そこには驚くべき光景が広がっていた。
昼間はあんなに優しく微笑んでいる母親(完璧なナイトドレス姿)が、かつて国の英雄と称された父親(伯爵)の胸ぐらを片手でグイッと掴み上げ、壁に押し当てていたのだ。
母親の目は、見たこともないほど据わっており、凄まじいドスが利いている。
「あァ? ナメられんように生きるのは基本中の基本じゃろうが。これだからお坊育ちは困るわ。文句あるんなら、今から裏(訓練場)行って、どっちの気合が本物か白黒つけようや」
「す、すまん! 私が悪かった! だから胸ぐらを離してくれ、服がパツパツに裂ける!」
父親は、一国の伯爵とは思えないほど情けなく両手を上げて降伏していた。
「…………」
扉の影で、五歳のナオミは声をあげることもなく、ただ静かに、その光景をじっと見つめていた。
彼女の瞳から徐々に光が消え、完全に冷めきった【チベットスナギツネのような目】へと変化していく。
(……私のお母さんは、何かがおかしい。そして、我が家のパワーバランスは、母が頂点にある)
ナオミのあの動じないメンタルと、物事を一歩引いて冷徹に見つめる「チベスナ顔」は、この強烈すぎる両親の秘密を目撃した瞬間に、防衛本能として完成したのである。




