第6話 【継承】婚礼前夜、クローゼットの奥の白い輝き
異世界にその名を轟かせる名門貴族の邸宅。その一室には今、この世界の人間が誰も嗅いだことのない、どこか暴力的で、けれど最高に食欲をそそる濃厚な香りが満ち満ちていた。
甘辛い特製ソースが熱い鉄板の上で焦げる、ジューという小気味よい音。幾層にも重ねられたキャベツの甘みと、カリカリに焼かれた豚肉の脂の旨味。
時間は流れ、ナオミの結婚前夜へと繋がる。
ナオミの部屋で、母・カオルが焼いてくれた思い出の「広島風お好み焼き」を二人で食べた後。
それは、カオルが遠い故郷の味を記憶だけを頼りにこの世界で再現し、幼い頃からナオミに振る舞い続けてくれた、世界で一番温かい家庭の味だった。最後の一切れを口に運び、ナオミが満足げに息を吐くと、カオルは優しく微笑んだ。
そして【理解のある優しいお母さん】の笑顔で、娘の肩を優しく叩く。
「ナオミ。レオン様は不器用で、いつも服をパツパツにしとるけど、ぶち純粋で素敵な人よ。あなたなら、きっと上手くやっていけるけえ。信じてついていきんさいね」
「……うん、お母さん。ありがとね」
ナオミはチベスナ顔を少しだけ緩め、母に感謝を伝えた。普段は感情をあまり表に出さないナオミなりの、精一杯の素直な愛情と、明日から新しい人生を歩み出すことへの決意が、その短い言葉の中に静かに込められていた。カオルはその様子を愛おしそうに見届け、優しく部屋を後にした。
ナオミが自分の部屋に戻り、静かになった寝室。
ランプの灯りが静かに揺れる、重厚な夫婦の寝室。そこには、妻を待っていた伯爵(父親)の姿があった。
大きな体躯を揺らし、どこかそわそわとした様子で妻の帰りを待っていた伯爵は、カオルの姿を認めると、深く優しい声をかけた。
「終わったかい、カオル」
「ええ、あなた。……これで、ナオミもついに自分の『群れ』を持つ一人の女になったね」
カオルはそう言うと、クローゼットの最深部へと向かった。
普段は伯爵家のきらびやかなドレスや夜会服が整然と並ぶその場所。だが、そのさらに奥、魔導の加護によって守られた秘められた空間が存在していた。
厳重に鍵がかけられた引き出しを開け、彼女が取り出したのは――二十五年前にこの世界へ降臨したときに身に纏っていた、あの【白の特攻服】だった。
経年変化で少し変色しているが、金糸の刺繍は今なお眩いばかりに輝いている。
背中に踊る文字は、この世界の住人には解読不能の魔導文字のようにも見えるが、かつて一つの時代を築いた絶対的な強さの証。異世界の闇を照らすかのような、ギラギラとした純白の輝きが、寝室の闇に浮かび上がった。
「カオル、それをどうするんだ?」
伯爵が不思議そうに、けれどどこか懐かしむように尋ねる。
「ふふ、もし明日、あのパツパツのライオン男レオンが、ウチの可愛いナオミを泣かせるようなことがあったらね……。ウチ、何年ぶりかでこの服着て、王宮に特攻ぶっこみかけるけえね」
特攻服を肩に羽織り、カオルは不敵に微笑んだ。その瞬間、完璧な伯爵夫人の仮面の下から、かつて瀬戸内を震撼させた『烈風華』二代目総長の顔が完全に蘇る。優しく穏やかだった母親の瞳に、かつて数多の修羅場を気合一つでブチ抜いてきた伝説の不良の、鋭く凄まじい眼光が宿った。
伯爵は、その妻の姿を見て、恐れるどころか、愛おしそうにその大きな身体で彼女を抱きしめた。
あまりにも熱く、力強い抱擁。その強靭な胸板が膨らんだ拍子に、無惨な音が室内に響く。
彼の服のボタンが、その強い抱擁でまた一つパツンと弾け飛ぶ。
「ははは! 流石は私の妻だ。だが安心しろ、レオン君も、私と同じように『最高に強い女』に胃袋と気合を掴まれた男だ。きっと、私のように喜んで『ハウス』に従う良き夫になるさ」
伯爵は弾け飛んだボタンなど気に留める様子もなく、豪快に笑った。かつてカオルの規格外の「気合」と「お好み焼き」に胃袋を掴まれ、その強さに惚れ抜いたのは、他でもないこの伯爵自身だったのだ。
「そうだといいね。……もしダメなら、二人まとめて焼き入れちゃるわ」
カオルは夫の胸に顔を埋め、優しく、けれど絶対に折れないヤンキーの「気合」を胸に、娘の輝かしい門出を祝福するのだった。
二人の間に漂うのは、長年連れ添った夫婦の深い信頼と、どんな障害もブチ壊して進む圧倒的な熱量。婚礼の朝を迎える街の静寂の中で、元総長と伯爵の固い絆は、優しく、そして誰よりも熱く燃え上がっていた。
(おわり)




