第48話 家族が増える予感?
「……うっ」
王宮の朝食。並べられたジビエのグリルを前に、私は思わず口元を押さえた。
かつてないほど鋭敏になった鼻が、肉の脂の匂いを拒絶している。
「ナオミ!? 顔色が真っ白だぞ! 毒か、毒なのか!?」
向かいでパツパツの軍服のボタンをミシリと鳴らしながら、ステーキを頬張っていたレオン様が、音を立てて立ち上がった。
「違います、落ち着いて……。ただ、最近どうも胃のあたりが……」
慌てて駆け寄ってきたレオン様に抱きかかえられるようにして、私は別室へと運ばれた。
診断を終えた老侍医が、穏やかな笑みを浮かべて扉を開ける。
「……王様、おめでとうございます。ナオミ様のお腹に、新しい命が宿っておりますぞ」
その瞬間、レオン様が彫像のように固まった。
「……命? 俺と、ナオミの、子供か?」
「左様でございます」
「…………っ!!」
レオン様は一瞬、喜びで咆哮しそうになったが、隣で寝ている私を気遣って、口をパツパツに膨らませたまま必死に耐えた。ただ、その黄金色の瞳からは、滝のような涙が溢れ出していた。
それからの数ヶ月、王宮は「名付け会議」の熱狂に包まれた。
「ナオミ、決めたぞ! 我が子の名は【 狼牙 】だ! 常に牙を剥き出し、俺のように『ハウス』と言われれば即座に小屋へ飛び込む、野生と規律を兼ね備えた名だぞ!」
「……却下です。ハウスを前提にしないでください。それに、もう少し呼びやすくて気品のある名前にしましょう」
私は百科事典ほどの厚みがある命名録をめくるレオン様を、チベットスナギツネのような目で見守った。
レオン様は「ぬぅ……」と悩み、【 柴田 】や【 秋田丸 】といったボツ案を量産し続けたが、ある夜、窓の外で月光を浴びて静かに佇む銀狼の像を見つめながら、私が口を開いた。
「……レオン様。いっそ、この国の古い言葉で『狼』を意味する響きを、そのまま名前にしませんか? ……【 ルー 】。シンプルですが、あなたの血を引く誇り高き響きです」
「……【 ルー 】。狼の魂そのものの名か……。おお、ナオミ! いい名じゃないか! 決定だ、決定だぞ!」
私たちは、まだ見ぬ我が子の名前を呼び、幸せな余韻に浸ったのだった。
そして、遂に迎えた出産の日。
壮絶な産みの苦しみを終え、私は深い眠りの中にいた。
意識が戻ると、窓から差し込む夕日が、まぶたの裏を赤く染めている。
重い体を引きずるようにして目を開けると、ベッドの脇で、パツパツの軍服をかつてないほどシワだらけにしたレオン様が、祈るように私の手を握っていた。
「……ナオミ。気がついたか……!」
「……レオン様。……赤ちゃん、は……?」
「ああ、待っていろ。今、連れてこさせる」
レオン様の合図で、侍女が小さな包みを運んできた。
レオン様は自分でも抱きたくて堪らないはずなのに、震える手でそれを支え、真っ先に私の腕の中へと導いてくれた。
「……お疲れ様、ナオミ。まずは、お前が抱いてやってくれ。お前が、命を懸けて産んでくれた子だ」
腕に伝わってくる、ずっしりとした命の重み。
そこには、銀色の産毛を輝かせ、どこか誇らしげな顔をした男の子が眠っていた。
私がその小さな頬に触れると、赤ん坊はふにゃふにゃと動き、私の指を小さな掌でギュッと握り返した。
「……可愛い。……本当に、生まれてきてくれたんですね」
私の目から、堪えていた涙が溢れ出す。
私はその愛おしい瞳を見つめ、あの日、二人で決めた名前を初めて直接、彼に贈った。
「……【 ルー 】。……よろしくね、ルー。あなたが、この国の新しい夜明けを照らすのよ」
その名を聞いた瞬間、赤ん坊は「う、うあー!」と元気いっぱいに、レオン様譲りの咆哮(の練習)を上げた。
レオン様はそれを見て、再び「あああ、最強だぁぁ!」と叫びながら、私と「ルー」の二人を、その巨大な腕で丸ごと抱きしめたのだった。
(つづく)




