第47話 初夜、野生の王のすべて
豪華爛漫な結婚儀式が終わり、重厚な扉が閉ざされた。
王宮の最奥、新婚の寝室には、微かに香る花の匂いと、耳を刺すような静寂が満ちている。
……いや、静寂ではない。
すぐ隣で、はち切れんばかりに膨らんだ胸板から、獣魔の王特有の、低く、重い鼓動が部屋の空気を震わせていた。
「……ナオミ。ようやく、二人きりになれた」
レオン様の声は、これまでに聞いたことがないほど掠れている。
振り返ると、彼は婚礼用の軍服の襟元に手をかけ、苛立ったように解いていた。指先が震え、高価な生地が彼の【野生の骨格】に耐えかねて、ミシリと悲鳴を上げる。
「レオン様……。そんなに急がなくても、私はどこにも逃げませんよ」
私は微笑んで、その大きな手を包み込んだ。
けれど、次の瞬間。
強引に引き寄せられた私の視界は、天蓋付きのベッドの白に染まっていた。
逃げる隙など一秒も与えない。レオン様の巨躯が、影となって私を覆い尽くす。
「逃がさん。……もう、指一本動かす暇も与えん」
見上げるレオン様の瞳は、黄金色の光を宿し、完全に「野生」へと回帰していた。
彼の手が私のウェディングドレスの肩口を割り、剥き出しになった肌を、熱い吐息がなぞる。
「……っ、あ……」
あの日、実家でお母さんに言われた「覚悟しときなさい」という言葉。
それが今、肌を焼くような実感を伴って押し寄せてくる。
レオン様の唇が私の首筋に深く、まるで所有を印すように沈み込んだ。
それは教育係としての私が知っている「不器用な王様」ではなく、十数年の飢餓を抱えた、一頭の狂おしい雄の姿だった。
「ナオミ……。お前が、俺を狂わせたんだ」
彼の厚い掌が私の腰を強く引き寄せ、密着する。
パツパツの軍服を脱ぎ捨てた彼の剥き出しの筋肉が、私の柔らかな肌を力強く圧迫した。
荒々しく、けれど深い慈しみ。
私は彼の逞しい首に腕を回し、その耳元で、蕩けるような声で囁いた。
「いいですよ、レオン。……今日は、檻を外してあげます。……全部、私に刻み込んで」
その言葉が、最後の引き金だった。
王の豪胆な情熱が、私のすべてを飲み込み、塗り替えていく。
夜が更けるほどに、部屋の温度は跳ね上がっていく。
野生の王が解き放った愛情を、私はその体で、心で、夜が明けるまで受け止め続けた。
月明かりが部屋を白く染める頃。
重なり合った二人の息遣いは、永遠を約束するように一つに溶けていった。
……はずだった。
「……ナオミ」
「はい、レオン様」
私は、彼の逞しい胸板に頭を預け、しっとりとした余韻に浸っていた。
愛し合い、語り合う。これ以上の幸福がこの世にあるだろうか。
すると、レオン様が黄金色の瞳をギラつかせ、私の肩をガシッと掴んだ。
「……俺は、まだ満足できんぞ」
その声には、飢えた獣のような熱が籠もっていた。
私は少しだけ頬を赤らめ、驚きつつも、どこか誇らしい気持ちで彼を見上げた。
「……まぁ。レオン様、今日は本当に元気ですね。……わかりましたよ」
教育係として、そして妻として。王の飽くなき情熱を受け止めるのは私の役目だ。
私は覚悟を決め、少し乱れた寝室の照明を魔法で落とそうと、指先をパチンと鳴らそうとした。
「ナオミ、何をする?」
レオン様の、心底不思議そうな声が響いた。私の指先は、宙で止まる。
「……はい? 何って、暗くしようかと。……続き、されるんですよね?」
「続き? ああ、続きか。だが暗くしては困る! お前の手元が狂うではないか!」
「……手元?」
暗闇など必要ない。むしろもっとよく見せろと言わんばかりの勢いで、レオン様はベッドの上にどっかと正座した。
そして、はち切れんばかりの胸板を誇らしげに突き出し、私の膝の上に自らの頭をぐいぐいと押し付けてきたのである。
「さあ、ナオミ! 先ほど言った『耳の後ろをガルガル掻く』やつだ! 角度はこうだ、ここを後ろ足……ではなく、お前のその指で思い切り掻いてくれ! あと、『喉の下をゴロゴロ撫でる』のも追加だ! さあ、早く!」
「…………」
私の顔から、さっきまでの愛の余韻も、女としてのときめきも、すべてが音を立てて剥がれ落ちていった。
半開きの口。焦点の合わない目。
王宮の最深部で、全裸の王(正座中)を前に、「今、私は何を期待していたんだろう」という深い虚無に包まれた【完全なチベットスナギツネ】がそこにいた。
「ナオミ? どうした、早く掻け。ガルガルだぞ?」
期待に満ちた瞳で私を急かすレオン様。
その姿に、私の心の中にあった「新婚の甘い期待」という名の薄い氷が、パツンと音を立てて砕け散った。
私は、虚無に満ちた瞳のまま、寝室の隅にある「ある場所」を指差した。
そこには、レオン様がこの夜のために特注させた、王家の紋章入りの巨大な【犬小屋(室内用・超高級仕様)】が鎮座している。
「レオン様。……ハウス。」
「…………っ!!」
レオン様は一瞬、ハッとした表情で硬直した。
王としてのプライドが彼を呼び戻すのか――と思いきや、彼は「あ、俺いま怒られた! でも、この厳しい命令……ぶち痺れる!」と言わんばかりの表情で、歓喜に身を震わせたのである。
「ワンッ!!」
獣魔の王は、なんの躊躇もなくベッドから飛び降りると、四足歩行で豪華な犬小屋へと突進。
パツパツの筋肉を無理やり押し込むようにして収まり、入り口から黄金色の瞳を輝かせてこちらを見つめてきた。
「ナオミ! ハウスしたぞ! 俺はハウスした! 褒めてくれ!」
「…………おやすみなさい。」
私は無表情のまま照明を消し、広すぎるダブルベッドに一人、背中を向けて横たわった。
暗闇の寝室に、豪華な犬小屋から漏れる「ハッハッハッ」というレオン様の嬉しそうな荒い鼻息だけが、力強く響き渡っていた。
翌朝、掃除に入った侍女たちが、主を失ったベッドと、犬小屋の中で丸まって幸せそうに眠る全裸の王を発見し、王宮に「ナオミ王妃、初夜で王を犬小屋に追放」という伝説が刻まれたのは言うまでもない。
(つづく)




