寝物語などではなくて
『原初の猫よ、話してやろう。下僕と侍女、それに憑代の女よ!特別にそなたらへも教えてやる』
王様グンディが、イロハから受け取った赤い宝石の杖と自身の杖を両手で掲げる。途端に、二本の杖から光があふれだし、深夜の公園は明るさに包まれた。
『余の一族が歩んだ道を涙して拝するがよい!』
サトシとイロハ、向かいにいるサナエも光へ飲み込まれる。サトシはあまりのまぶしさに目を閉じてしまい、しばらくして目を開けると、そこは生物園のある公園とは異なる全く違う場所であった。
***
──むかし、むかし、まだこの世界に、『かみさま』がいた最後の時代の話である。
『かみさま……』
石でできた寝台に横たわる『かみさま』を、十二匹の動物が取り囲んでいた。苦しそうに呻く『かみさま』の顔の横で、ネズミのアラビィがその汗をスポンジでぬぐっていた。
数百年前から、苦しそうな様子を隠すことができない程衰弱していた『かみさま』は、それでもようやく立ち直りかけた世界のために粉骨砕身していた。だが、数年前から、隠れ家の真ん中にある石の寝台から起き上がれなくなり、とうとう最近は目を覚ますことも少なくなった。
『もう、限界であろう』
『そ、そんなことを言わないでよ!』
ドラゴンのワンルー——今では、諸龍の王と呼ばれているらしい——が何かを悟ったかのようにつぶやく。アラビィを含めた数人の動物がワンルーを睨み、抗議の声を上げる者もいるが、ワンルーが言葉を翻すことはなかった。
ワンルーは、弟子の中で最も癒しの魔法に優れていた。毒に侵され荒廃しきった大地でさえ修復できるワンルーがそんなふうに言うのであれば、本当に手の施しようがないのであろう。
『なにか、他に手立てはないのでしょうか?』
犬の王様が小山のような巨体を震わせ、もっと震えた声でワンルーへ尋ねる。だが、帰ってきたのは残酷なまでに透き通った声だった。
『すでに、神の寿命は百年前に尽きていた。禁じられていた外法さえ使ったが、もはやこれ以上この世にとどめるのは、苦しませるだけである』
アラビィが初めて出会った時にはしていなかった禍々しい気配がワンルーの体から漂っていることからも、禁断の魔法を使ったというのは嘘ではあるまい。そこまでしても、『かみさま』の命が尽きかけていることに、一同は肩、あるいはそれに類する箇所をすくませた。
一同がざめざめと泣くなか、ネズミのアラビィは自分の中に悲しみと同時に冷めた思いがあることに気が付いた。ここ数百年間彼が苦しみながら、その命を削って世界に奉仕していたのを一番間近で見ていたアラビィである。そんな、『かみさま』には、少しでも安らかにあってほしかった。
キジほどではないが、アラビィも思うところがあった。神の安寧のためなら、世界が傾こうが知ったことではない。いままで『かみさま』に背負わせていた分を、一手に引き受けてしまえばよい、そうすれば多少は彼の苦悩を理解できるだろう。そういう昏い欲望さえアラビィの脳裏の片隅にはあった。
『かみさま』が聞けば悲しむような思いへ囚われずに済んだのは、ひとえに一緒に介抱をしてくれたキジのおかげだった。
『分かるよ、アラビィ。でも、かみさまはこの世界が大好きなんだ』
一度、自分の思いを打ち明けた時、キジはそう言ってくれた。
『かみさまが好きな世界をダメにすれば、かみさまが悲しむ。だから僕たちも神様の代わりに支えていこうよ!』
その声は、やましい考えを咎めるものでも、道理を説くものでもなかった。同じような考えを持ちながらも、それでも『かみさま』の意思に従おうと励ますキジに、アラビィは立ち直ることができた。
そんな、キジは今この場にはいない。『かみさま』の弟子が世界から一同に消え去ってしまえば、どうなるか分かったものではない。ほかの動物たちが『かみさま』と最期のひと時を過ごせるように、彼は世界を見張りに向かった。何とかして、連絡をしたいが、たとえ神の弟子たちでもどこにいるのか分からないキジに伝言する術はなかった。アラビィが眷属のネズミに言伝を持たせ、キジが治める土地へ向かわせているものの、帰ってくる気配はない。刻々と近づく最期の時を感じ焦れていた時、寝台の『かみさま』が微かに動いた。
***
『みんな、久しぶりだね。元気だったかい?』
『かみさま』の第一声は、思ったより間の抜けたものであった。震える体を起こそうとする彼を、アラビィが必死に抑えた。
『休んでいてください、神さま!無理なさらないで!』
『ふふっ、いつも通りだね。いま、みんな揃っているのかい?』
『い、いいえ。キジがまだ……』
アラビィの震える声に、『かみさま』がうなずく。横になりながら周囲を見回した彼が弱弱しい声で言った。
『本当は、キジにもいてほしかったけど、時間がなさそうなんだ。申し訳ないけどキジには君たちから、ありがとうって伝えてほしいな』
『何を言っておられるんですか。もうすぐ戻ってくるはずだから、自分で言ってくださいよ!』
不吉なことを言い出す『かみさま』へ、アラビィが涙ぐみながらも反論をする。その様子がおかしいのか、『かみさま』はふっと再び笑うと、枯れ葉のような腕を空へ上げた。
手のひらの空気が歪むと、その手の中に杖が現れた。震える手で先端の宝石を持つと、ぐっと力をくわえるように握りしめる。七色に輝く宝石が一瞬光ったかと思うと、石が細かく砕ける。唖然とその様子を見ていた動物たちへ『かみさま』が微笑みしゃべった。
『これは、君たちがひとつずつ持っていてほしい』
『宝玉を!?ですが、これはかみさまの宝物では?』
精悍な顔つきの獅子たちの王様が目を丸くして言った。それは、他の動物たちにとっても同じである。
『かみさま』の力の源泉は、この宝玉だ。その力は甚大無比であり、その気になれば世界を興すも壊すもできる。『かみさま』が神様である所以の秘宝であり、弟子といってもおいそれと触れることはできない代物であった。
『いいんだ。これは、僕にはもう必要ない』
『かみさまぁ、形見分けのつもりなら冗談じゃないんだよぉ。私も怒りますよぉ』
『エヴァ。もう、時間がないんだ。僕の代わりに、みんながこの世界を良くしていってほしい』
『かみさま』はいつものような顔つきで、しかし真剣な口調で言った。それを察したのか、王様猪は何も言わなくなってしまった。再び、沈黙で包まれた隠れ家に、『かみさま』のかそけく細い声だけが響いた。
『だから、頼むよ、みんな』
しばらくの間、誰も動けなかった。だが、とうとうワンルーが動いた。『かみさま』の手中にある澄んだ青色の宝玉が浮かび上がり、ワンルーのもとへ収まる。ワンルーの巨体に似合う巨木のような杖が宝玉から生え、その杖をワンルーは掴んだ。
それを合図にしたかのように、他の動物たちも宝玉を手にしだした。それぞれに見合う大きさの杖となり、彼らの手の中へと納まった。さんざん逡巡した末に、とうとうアラビィも神様から翡翠の宝玉を受け取る。キラキラと輝くその小さな宝玉から、三センチほどの長さの枝が生え、それはアラビィのものとなった。
『ありがとう、みんな。毎年の再封印以外は、自分の心に従い使ってほしい。君たちを信じているよ』
かつて、落乾亡坤の夜を引き起こしたとされる化け物は、『かみさま』 の力を使っても、完全に滅ぼすことはできなかった。代わりに、杖の力を使って一年に一度、太陽が一番短くなる日に再度封印を施して大地の安寧を保っていることを弟子たちは知っている。彼らは、頷いた。
『僕は、もう行かないと。君たちもその杖に強く願いを込めれば同じ所へ行ける。封印が必要なくなったら皆来てほしいかな』
『かみさま』はどこへ行くのか、杖を使えばそこへ本当に行けるのか、弟子たちでも分からないことばかりである。それでも、彼らは『かみさま』の言葉を信じた。その瞬間、神様の体に異変が起きた。
『かみさま!お体が、消えて……』
『そうだね、もう、限界みたいだ。アラビィ、すまないけどキジにこの石を渡してあげて欲しい。あの子はさみしがり屋だから、この宝玉を僕だと思ってと言ってくれないか?』
徐々に透明になる『かみさま』の手から零れ落ちた真紅の宝玉をアラビィが確かに受け止めた。杖からはアラビィの体に合う大きさの枝が生え、最初にもらった杖と同じ長さになった。
『かみさま、かみさまぁ……』
『みんな、また会える日を待っているよ』
『かみさま』が透明になる顔で微笑んだ。やがて、体は消えてなくなり、最初からいなかったかのように空っぽの寝台だけが残された。
アラビィたちは、ただひたすら泣いた。まるで千年以上そこにあった灯火が消えてしまったかのような感覚で誰もかれもが泣くことしかできなかったのだ。三日三晩泣き続けた動物たちは、やがて、一人また一人と隠れ家を後にして、二度と戻っては来なかった。最後まで残っていたアラビィもまた、自分に残された使命を果たさんと隠れ家を出ていった。
──こうして、この世界から、『かみさま』は昇天した。のちに最初の王様ネズミと呼ばれるアラビィの数奇な旅もこの時から始まったのだった。
***
最初、アラビィが向かったのはキジが治めているという地であった。かつてキジが住んでいたという島国の北にある地方へ向かったアラビィが聞いたのは、意外な内容であった。
『キジは、戻っていないの?』
『はい、大猫さまはここ数十年間、ここへは行幸されておりません』
キジを信奉するという人間が、恭しく答えた。以前キジから、ネナシという村を中心に活動していると聞いていたため、ここに来れば会えると思っていたのだが、これは予想外である。
『分かった。それじゃあ、キジが来るまでここでお世話になってもよいかな?』
アラビィはこの地に十年ほど滞在した。キジの代わりに土地を治める役割を果たしていたが、キジが帰ってくる気配は一向にない。いよいよ我慢できなくなり、アラビィは惜しまれながらもこの地を後にした。
次に向かったのは、キジが旅立ったという西の大陸であった。曰く、西の方に不穏な気配がありそれを確認するために、キジは旅へ出たらしい。気が付いたら増えていた眷属のネズミたちを引き連れ海を渡ったアラビィたちは果てしない大地をさまよい続けた。
情報はほとんどなく、杖の力をもってしても見つけることができない。生きているのか死んでいるのかさえも定かではないが、アラビィはキジの行方を探り続けた。そんな、放浪の旅が百年ほど続いた後、アラビィは、思いもかけない話を聞くことになった。
『砂漠の西、世界の果てと言われる地に、魔力甚大な怪物がいる?』
あてのない旅の果て、阿州大陸と欧亜大陸の間にある街へたどり着いたアラビィは、人間の旅商人の間で噂されている話を耳にした。
『そうでござんす、王様ネズミ。なんでも、大きな白い猫が東の果てから追いやった、という話です』
そう語ったのは、この町に住むドブネズミであった。このネズミは、バザールや旅商人のよもやま話を集めるのが得意らしい。かなり年を取っているらしく、ぼけているのが玉に瑕であるが、それでも聞き捨てならない話であった。
『それは、いつ頃の話なの?』
『なんでも、百年くらい昔にこの町を通り過ぎたらしく。すいやせん、何分この辺りでは時計や暦と言ったこじゃれたものはなかなかなくて』
『その、猫と化け物は、西へいったの?』
『へい。それも、最近また嫌な空気が流れてきやす。西からくる旅商人の数もすっかり減っているって話でっせ』
アラビィは悩んだ。十数年ぶりに掴んだキジの足跡を追いたいのはやまやまである。だが、砂漠を超え、強大な化け物のいる場所へ乗り込むのは、ついてきてくれた仲間を危険にさらすことになる。三日三晩悩んだアラビィは、渋る仲間を説き伏せ、一人で西へ向かうことにした。
砂漠の旅は、宝玉の力をもってしても過酷であった。それでも、数年かけて阿州の北部を横断したアラビィは、途中で岩場に住む眷属と遭遇した。アラビィとよく似たきな粉色の体毛と埋め込んだように扁平な耳、それとタンポポの綿毛のような尻尾を持つ彼らは、化け物の噂をよく知っていた。
『そう!この先の『柱山』という場所に、その化け物はいます』
砂漠にいるネズミとしては、まん丸としたその眷属は、西側に小さく見える黒い山を指しながら、震えた声で言った。
『それで、その化け物を追い詰めた猫って言うのは知っている?』
『はい、私の先祖がはるか昔に見た、と言っていました。曰く、普通の猫よりはるかに大きい、絹のような毛をもつ猫だったと』
キジの特徴とよく合うその答えに、アラビィは胸が躍るのを感じた。
『キジ……いや、その猫は今どこへ?』
『分かりません。化け物をあの山の間に封印して以来、見ることはなかったそうです』
その時、大地が不吉に揺れた。岩場の影に隠れていたネズミたちが、不安げにチィチィ鳴く。不穏な空気を感じて、アラビィは問い詰めた。
『今のは?ただの地震じゃないみたいだけど』
『最近、化け物のいる『柱山』が良く揺れるのです。そしてそのたびに、見たこともない生き物が街だけではなくこの辺りまでやってきます』
なんでも、そのおぞましい生き物は人だろうがネズミだろうが生きている物はお構いなしに捕らえて山へ連れて行くらしい。連れ去られた人も動物も帰ってくることは、なかった。
『私の妻も、連れ去られました!王様ネズミ様、どうか私たちを助けてください!』
砂漠のネズミは、大きな黒い目を潤ませながら懇願する。アラビィは断るわけにもいかず、キジの行方を捜すためにも、柱山へと向かうことにした。
***
『こいつは……!まずいかな……!?』
柱山は地獄の様であった。そこら中に生き物の死骸や骨が散乱している。そしてそれ以上の数の化け物が、山にひしめいていた。それは、昔『かみさま』から見せてもらった百鬼夜行の絵のようなおぞましい代物である。
しかし、それらでさえ、この山で封印されている魔物に比べれば子ネズミの様であった。化け物があふれ出している山の奥から、ありとあらゆる不快な音を使った不協和音でできた叫び声が響き、アラビィは眉をひそめる。
山肌には、人間の胴体が無数に連なったムカデのような魔物がはりつけにされていた。化け物が暴れるたび、ホルマリン漬けの標本を連想させる青白く膨れ上がった肉が剥がれ落ち、そこから化け物が沸き出る。常人なら、見ただけでも狂気に陥るだろうその化け物は、アラビィには見覚えのあるものにそっくりだった。
——千年以上昔に起きた落乾亡坤の夜は、別の世界からやってきた化け物の仕業である、とかつて『かみさま』が言っていた。そのほとんどは『かみさま』によって駆逐あるいは封印されたと聞くが、取りこぼしがあったのだろう。
これを放置すれば、いずれ同じ災厄が起きる。逃げろとアラートを上げ続ける理性をどうにか抑え込み、アラビィは化け物を再度封印するために、立ち向かった。
『くそっ……!せめて、誰かいれば……』
化け物はあらかた片付いた。残るは、鎖につながれた魔物だけである。鎖はすでにところどころがさび付いており、一部は環が外れかけていた。一刻の猶予もない。すでに力の多くを使い、疲弊しきっているアラビィは大きな決断をした。
『ごめんなさい、かみさま。ごめんなさい、キジ』
アラビィは、『かみさま』から渡された赤い宝玉のついた杖を取り出した。その杖を力の限り強く振りかぶると、魔物に向かって放つ。杖はまっすぐと魔物へ飛んでいき、そして突き刺さった。
今までにないほどの大きな叫び声が、山を揺らす。魔物が力の限り暴れまわり、鎖を壊して自由になろうとあがく。だが、アラビィは、自身の翡翠の杖を取り出し長く複雑な呪文を唱えた。
『神の力により、邪の源が尽きるまで、ここへ留め置け!……』
かつて教わった、外から来た魔物を封印して無力化する呪文を唱える。アラビィの手元の杖と、魔物に突き刺さる杖が共鳴するかのように震えた。呪文を唱えるたび、ムカデのような巨大な胴体の動きは鈍くなる。
『神の力により、邪の源が……うわぁ!』
突然、魔物から邪気が流れ出る。普通の生き物なら肺の底まで腐る毒風をもろに浴びたアラビィは、一瞬言葉に詰まった。おそらくそれが目的なのだろう、先ほどまで弱弱しく動くだけだった魔物が、最後のあがきとでもいうかのように激しく暴れだす。
『……み、源が尽きるまで、ここへ留め置け!』
それでも、アラビィは呪文をやめなかった。唱えるたびに喉が焼け、きな粉色の毛はボロボロと落ちていく。自分の命が削られていくのを感じながらも、アラビィは封印を施し続けた。
時間の感覚がなくなり、痛みを感じなくなった頃、ようやく魔物は動かなくなった。それに気が付いた、アラビィはへなへなと地面に倒れ込んだ。
その頃には、アラビィの容姿はここへ来た時とはすっかりと変わっていた。かつて輝くような砂色の毛はあらかた抜け落ち、灰色の肌にまばらに生えているのみである。その肌も、皺だらけとなりかつて別の町で会った老ネズミ以上の老け具合に見えた。
『おわった……いや、あれはまだ生きている』
アラビィはしゃがれ切った声でつぶやいた。魔物の恐ろしいところは、毒の風でも、強大な能力でもなく、その生命力である。一片の肉塊からでも蘇生し、飲まず食わずでも驚くほど長い間生き続ける魔物を滅ぼすことは『かみさま』であっても容易ではなかった。
今こそ活動を止めているものの、この魔物が完全に滅ぶのは数千年、下手をすれば数万年かかるだろう。それまでは、キジの杖を魔物から抜くことはできない。魔物の封印の核は、赤い宝玉によるものである。それ以外、あの魔物を抑える方法はなかったのだが、そんなことはアラビィにとっては何の気休めにもならなかった。『かみさま』との約束を果たせなくなり、キジへ杖を渡す使命を達成できなくなった事実だけが、アラビィの心を深く抉りぬいた。
『ごめん、なさい……ごめんなさい……』
アラビィは、誰にでもなく謝罪を繰り返した。百年以上の旅が無為に終わったこと。親友を見つけることがついにできなかったこと。枯れた声でなされる謝罪の濁流は、アラビィが意識を失うまで続いたのだった。
***
アラビィのこの後の生涯について、特筆するべきことはない。
柱山から戻ってきたのは、砂漠でネズミたちに出会ってから実に一年経った頃であった。驚きと歓喜で迎えられたアラビィは、そのまま、砂漠のネズミたちと共に岩場で暮らすことを選ぶ。ネズミたちと生きているうちに、つがいを成し子ができたが、アラビィが柱山で起きたことを語ることは、ほとんどなかった。
それから三百年後、アラビィは長く数奇な旅の終焉を迎えた。荒い岩の上に横たわるアラビィを子供たち、その子供たち、さらにその子供たちが囲む。そんな彼らに、アラビィはようやく柱山で起きたことの始終を語った。
『私は、自分の役目を果たせなかった』
語り終わった後に、アラビィはそう小さくつぶやいた。昇天して『かみさま』のもとへ行くことも考えたが、魔物の封印を放り出すことはできず、何より最後の依頼に対して不義理を働いた自分が昇天する資格はない。
『もし魔物の封印がいらなくなったら、あの杖を、キジへ……』
アラビィはその言葉を最後に動かなくなった。その最後の頼みを聞いたのは、『かみさま』の杖と王様ネズミの名前を引き継いだ子供だけであった。
それ以来、アラビィと砂漠のネズミの間に生まれた子供は、代々封印された魔物を見張る役目のみに従事することになる。ほかの弟子の動物たちとは比べ物にならない程小さく荒廃した土地のみを治める彼らは、次第にほかの生き物たちからも忘れ去られていった。
そして、四万と数千年ほど時が流れ、かつては十二匹いた弟子もほとんどが地上から姿を消した。すでにこの頃になると、アラビィの血を引く子孫たちも、ちょっとだけ大きな姿と少しだけ長い寿命以外ほかの砂漠ネズミたちと違うところがなくなった。それでも、たとえ杖なしでは魔法を使えなくなっても、彼らは使命と、アラビィの最後の願いを受け継ぎ過ごしていた。
そんな彼らに転機がやってきたのは、欧州からの調査団が彼らの住む砂漠に来た時であった。
『そういうことがあったのね……』
砂漠の地質調査のためにはるばる或美恩という国から来たという人間が、当代の王様ネズミの話に頷いた。なんでも、彼女の祖先は魔法使いであったらしく、ネズミと会話することも気に介さないようである。
『ねえ、ザバロ。もしよければ、私と一緒に或美恩へ来たらどうかしら?自慢ではないけど、私の国には、世界中から情報が集まるのよ。あなたの言っていた、原初の猫の情報も、こっちでなら手に入るかもしれないわ』
つい先日、彼女の力を借り、ほころびかけていた魔物の封印を修繕できた。その恩に報いることもあり、当時の王様ネズミは、一族を引き連れて或美恩へ向かうことを決めた。
『分かったわ!そうしたら、あなたたちに学名を付けたほうがいいわね……そうしたら、この国の言葉で見張るものを意味するグンディはどうかしら?』
こうして警護人と呼ばれるようになった彼らは、原初の猫を探す使命のため欧州へと渡った。
それからさらに数百年かけて、今の五代前の王様グンディはようやく一つの情報を掴んだ。
『原初の猫は、最初にいた国にいる』
——それは、奇しくも、アラビィが失意の底の中で死んでからちょうど五万年が経った日のことであった。




