きな粉色の王の帰還
──きょうもいいてんきだ
ぼくは、なかまと一緒に外に出た。
はいいろのおそらにそれより低いたいようが三つ。きのうもおとついも、変わらない、すてきな世界だ。
ぼくは、ぼくと同じ匂いのするおちびちゃんたちといっしょに、いわの上にのぼった。このまえ、またなかまができた!まえのおちびちゃんは女のこだったけど、あたらしいおちびちゃんは男のこだ。やんちゃで、あちこちいきたがるげんきな子だ。きっと、すぐにぼくより大きくてつよいこになるんだろうな!
この岩はほんとうにふしぎなんだ!この岩のうえでねそべっていると、からだだけじゃなくて、こころまでぽっかぽかになるんだよ。おちびちゃんも好きみたいで、すぐにみんなで重なり合うことになるんだ。
でも、さいきん、この岩のうえにいると、たいせつなことを忘れているきがするんだ。忘れちゃいけないことなのに、おもいだせないことをおもっていると、ぼくはなんだか悲しくなってくる。なんどからだを掻いても消えない悲しいこと。
でも、この悲しいことはなんでか、忘れちゃいけないんだとおもう。忘れちゃいけないことを忘れて悲しいのに、それを忘れちゃいけない。考えるだけでくらくらすることをひっしにいちにちじゅう考えていると、ぼくたちとよく似たにおいの大きな生き物が入ってきた。
──あれ?なんでおちびちゃんは、この生き物に鳴き声をかけているんだろう?それに、なんで大きい生き物は、持っていた青いバケツを落としたんだろう?
だけど、それを見た時、ぼくの中で、何かが動いた気がした。ぼく────違う、余は随分と長い休みをとっていたようだ。
下僕が、慌てて外に出るのを、余の子供たちは不思議な顔で見つめていた。
***
サトシが、ハーウィから帰ってから、一ヶ月半が経ち、十二月になった。すでに、町はクリスマスの準備を始めている。手伏区生物園のある公園も、クリスマスに向けた準備が来週から始まるそうだ。
だが、王様グンディたちの様子が変わる気配はない。話しかけても、なだめても、お土産のクッキーをこっそりと差し出しても、王様グンディたちが何かを語ることはなかった。
ロパカたちと会って、何か事態が好転することを期待したが、現実には良くないことが増えた。まず、大学の授業にいよいよついていけなくなった。生物園の仕事をギリギリまで入れていることで、授業に出ることができないことが、いよいよ深刻化しているのだ。期末試験まで二ヶ月あるとはいえ、まともな成績を取るのはかなり厳しいだろう。
次に、サナエが最近、仕事を頻繁に休むようになった。十一月に入ったころから、週に三回、多い時には四回ほど休暇を取っている。取得しているのは有給休暇であるため、サトシが何か言うことができないが、サナエが休む時の穴は立実等の正規の職員だけでは足りなくなっており、サトシやときには園長まで加わって、何とか回しているのであった。
そして、これが一番の心配事であるのだが、迎江イロハが生物園にめっきり来なくなった。生物園の職員が来園客と連絡先を交換してはいけない、というルールを馬鹿正直に守っていたサトシは、イロハと直接連絡することができず、かといって誰かに代わりに連絡してもらったり、直接家に赴くことも気が引ける。イロハ自身から連絡を取ってもらわない限り、サトシからはできることはなく、便りの無いのは良い便り、と念じることしかできなかった。
「どうすればいいんだろうな……」
サトシは、休憩室の横にある、職員用オフィスのデスクで一人悩んでいた。今は休憩中ということもあり、電子工学の教科書を読んでいるが、目が滑ってしまい、内容が頭に入らない。
(迎江さんと相談できればな)
サトシはロパカがくれた置くだけで充電できる充電器を見ながら、そう考える。せめて、イロハと話ができれば、と情けない考えが浮かんでは消えているその時、部屋にサナエが入ってきた。
「サトシくん、お疲れ様!」
「お疲れ様です、箱音さん、休憩ですか?」
「そう。でも、やらないといけない作業が多いから、今日はここでお弁当かなー」
そう言って、彼女は猫柄の布で包まれた弁当を取り出し、ふたを開ける。照り焼きチキンの入った手製の弁当は、先ほどレンジにかけたのだろう、ホカホカと湯気を立てていた。
「ごめんね、最近休みがちで。それに明日もまた休まないとなの」
ご飯を食べているサナエが、すまなそうに言った。そう言いながら、彼女はパソコンで作業をし始める。
「僕は、大丈夫なので、いいんです。それより、大丈夫ですか?何かありました?」
「いやー、ちょっとね。家族が急に倒れてね。実家にも顔を出さないといけなくなっちゃって」
「えっ!?それって、すごく大変なことじゃないですか?」
数年前まで生きていた祖母の介護をしていた家族を見ていたので、看病が大変なことはよく知っている。たしかに、ここ最近のサナエからは、普段の元気な様子は影を潜め、疲れているように見えた。
「大半は実家の近所に住んでいる親族がやってくれるから、私はお手伝いだけなんだけどね」
「でも、大変なことには変わらないですよ。箱音さんのご実家って、齶畑県でしたよね?」
東都から齶畑県までは、飛行機でも一時間、新幹線なら三時間半以上かかる。それを毎週往復するとなると、それだけで大きな負担になることはサトシでも想像がつく。
「往復の運賃は家族が出してくれているから、懐は痛まないんだけどね。何度も行き来するとやっぱり大変だね」
「無理はしないでくださいよ。僕でできることなら、何でもしますよ!」
「そう言ってくれるだけでうれしいよ、サトシくん!でも、サトシくんも大切な時期なんだから、無理しないでいいよ。ほら、今日だって、当直をやってくれるって言ってくれたんだし」
職員たちから、『当直』と呼ばれている夜勤業務は、本来であれば正規職員が担当することになっている。しかし、サナエが休みがちな今、特例としてサトシも担当することになったのだ。
「当直をやるって言っても、園長と一緒ですけどね」
「それでも、大変なことなんだよ!それをやれるんだから、すごいよ!」
そう真顔で言ってくれるサナエの言葉に偽りはないのだろう。彼女も、本来女性は免除されている当直を何度も経験しており、その大変さは身に染みているのだ。
「それにさ、また、グンディも赤ちゃんができたから、注意して見守らないとね!」
アンドレに続いて、ミルフィも子供を産んだ。十月に生まれたこちらの赤ちゃんも健やかに育っており、いよいよ展示ルームもにぎやかになる。それに比例するように、サトシたちの苦労も増えてはいるが、思ったより悪い気持ちはしなかった。
「ありがとうございます。箱音さんほどはうまくできないと思いますが、ちゃんとできるようになります!」
「さすが、サトシくん。少し、成長したねー!なんか一皮むけたみたいじゃない!」
褒められて悪い気がしないサトシは、軽く後頭部を掻くと、ふと聞いた。
「あの、迎江さんが最近来園しているか、知っていますか?」
サナエは以前、生物園への取材の依頼で、イロハと連絡先を交換していると、サトシは聞いたことがある。となると、サナエならイロハの現状を知っている可能性があると思い聞いたのだが、サナエは少し寂しそうな顔をして答えた。
「私も、イロハちゃんを見てないな。連絡はしていないけど」
「そうですか……塾が忙しかったりするんですかね?」
「分からないなあ。最近の子の塾事情は。もし不安だったら、一度連絡してみようか?」
サナエの提案に、サトシは首を横に振った。勝手に連絡してもイロハも迷惑だろう。前のように不埒な輩に襲われた可能性も考えられるが、そうなったら園長が知らせてくれるはずだ。最近知ったことであるが、園長はそれなり以上に顔が広いらしく、手伏区の役所や教育委員会、なんと警察にまでコネがあるらしい。そんな園長が何も伝えてこないのだから、大丈夫、なはずだ。
「大丈夫だよ!イロハちゃんは、また来てくれるよ!」
そう励ましてくれた時、サトシのスマートフォンが震え、休憩の終わりを伝えた。サトシが立ち上がりながら、答える。
「そうですね!それまで、生物園を盛り上げていかないとですね!」
そう言ったサトシは、少し驚いた顔をしたサナエに会釈してオフィスを出ていった。
「サトシくん、本当に変わったなー」
お弁当を食べることを再開したサナエが、なにか分かったかのような顔で独り言ちた。
***
夕方になり、閉園後の業務が終わると、当直のサトシと園長以外は帰っていった。
「どうだウシ!夜誰もいない園も悪くないだろう」
宿直室──四畳半ほどの大きさの畳張りの空間に炊事場が付いた部屋で、サトシとちゃぶ台を挟んで向かい合っている園長がニヤッと笑いながら言った。
ちゃぶ台には、肉と野菜の炒め物と、パックご飯、レトルトの味噌汁がならんでいる。これらは園長が作ってくれた品々であった。
「まあ、見ての通りだ。パパっと作ったやつだから、味は期待するなよ」
「いや。おいしそうです。いただきます」
サトシが、湯気立つ炒め物を一口食べる。焼き肉のタレ特有のこってりとした濃厚な風味が口に広がる。そのままパックご飯を一口食べると、濃い味が柔らかい米で中和され、ちょうど良い味になった。
「夜食代は、園から支給されるからな。しっかりと買ったレシートは取っておけよ」
「ありがとうございます!覚えておきます」
サトシがムシャムシャと野菜炒めを食べるのを、園長は笑いながら見ていた。
「これ、おいしいですね!園長のオリジナルなんですか!?」
「俺が若いころ、ここで働いていたジイさんから教わってな。そのころは、今とは比べ物にならないくらい重労働で、これくらい濃い味が好まれていたってわけさ」
園長もまた、野菜炒めをつまみながら言った。
「昔は、もっとおおらかでよ、夜勤ってなると必ず酒を持ってくる奴がいてさ。こうした宿直室に何人も入ってきて、宴会が始まったわけよ。今じゃとても考えられないがな」
なるほど、これくらい濃い味付けのほうが、酒の肴にはよいのだろう。サトシは、野菜炒めの味がまだ残る口を洗うように味噌汁をすすりながらそう思った。
「それで、当直って、具体的には何をするんですか?」
「そう身構えるなって、ウシ。基本は見回りだ。動物たちに異常はないか、何かおかしいところはないかを、数時間に一度巡回して確かめるんだ」
「なるほど、動物たちの具合を確かめるんですね」
「そうさ。それと、めったにないことなんだが、侵入者や怪しいことをしている奴がいないか、確かめることも大切な仕事だ」
サトシは目を見開いた。サトシには逮捕術はもちろん、まともな武道の心得はない。
「ああ、何も捕まえるわけじゃねえぞ。異常があればすぐに警備へ連絡するんだ。それ以外は何もしなくていいからな」
「随分と、厳重ですね」
サトシが驚くと、園長が苦笑いをする。
「一昔前に、生物園に泥棒が入ったことがあってな、どうもここで飼っている珍しい虫を盗んで売るつもりだったらしい」
「最近は、虫も珍しいのは高く売れるらしいですからね」
「見回り中の職員が見つけて捕まえたから何事もなかったが、それ以来、それも当直の役割になっちまったってわけさ。まあ、まず起きることじゃねえから、安心してやりな!」
園長は、にやりと笑うと、サトシの肩を軽くたたいた。
「それじゃあ、まずはウシ、お前が行ってこい!時間はいくらでもかけていいから、しっかりとやってくるんだぞ」
***
夜の生物園は、ひんやりと静まり返っている。
蝶を放し飼いにしている温室などは気温が一定になるように調整されているが、それでも冬のひんやりとした空気が滲み入ってくるようであった。
サトシが五階のバックヤードを見回り、昆虫の飼育室も巡回する。特に異常がないことを、手元のチェックリストで確認する。
まるで、ゲームの主人公にでもなったかのような気分である。懐中電灯一つで真っ暗な生物園を探検しているようで、思ったより興奮しながら、サトシは順調に見回りをしていた。
魚たちがいる展示室裏のバックヤードを見終わると、とうとうグンディの展示ルームの前へと来た。
展示ルームは、子供を保護するために、不透明なボードをガラスに貼っており、中を見ることは容易ではない。サトシが近寄り、懐中電灯で軽く中を照らすが、巣箱や岩影の外には一匹もいなかった。
サトシは、腰についている鍵を使い展示ルームの中に入る。本来であれば、別に入らなくてもよいのだが、彼は敢えて立ち入った。展示ルームの中は、保温電球が消え、空調も弱めている。それでも二十度になるように調整された内部は、この時期らしからぬ熱気が漂っている。
『王様、みんな。夜食持ってきたよ』
サトシは控室にある、チモシーを入れたバケツを上げる。だが、グンディたちが反応する気配はない。言葉をしゃべらなくなって以来、本来のグンディの生態に近くなっているのか、飼育員が中に入るとだれも外には出なくなってしまうのだ。
『まあ、僕の話を聞いてくださいよ』
少し肩をすくめ、それでもサトシは、虚空に向かって語り掛ける。
『最近、迎江さんが来なくなって、少し寂しいですよね。僕は実は結構さみしいんですよ』
グンディたちが答えることはない。それでも必死にサトシは言う。
『王様、メウェをそろそろ戻したいんですけど、やっぱり嫌ですか?昔あんなに仲良かったのに、匂いが消えちゃうとダメなんですよね』
話したいことはあふれるように出てくる。無限にでも話したくなる気持ちを抑えながら、サトシは言った。
『つらい気持ちをわかる、なんて言いませんよ。王様の気持ち、僕なんかがわかるはずもない』
イロハから聞いた話をもって推測すると、おそらく王様グンディはメウェとその子供たちを救おうと、最後の力を振り絞ったのだろう。それが力及ばず、子供たちを助けられなかったことがどれほどの心痛か、想像だにできない。
『こんなこと言うのは酷だってわかっていますよ。でも、言わせてください。戻ってきてください、王様』
聞こえているのかは分からない。いや、聞こえていなくても構わない。サトシは、自分に言い聞かせるかのように声に出して呟いた。
「今の状況を打破できるのは、王様、あなただけです。どうか、立ち直ってください。そして、あなたを支えさせてください」
サトシの願いは、暗い生物園に虚しく響く。グンディたちが何かを感じたのか、そもそも届いているのかすら、分からない。
「……また、来ますね。ああ、ハーウィで買ってきたクッキー、まだ残っているので、チモシーに混ぜて置きますね」
グンディに与えるのは良くないことはわかる。それでも、一枚、一番食べやすそうなプレーンのクッキーを砕いてチモシーへ混ぜてあたりへ散らす。そうして、優しいまなざしで巣箱を見つめ、外へ出ようとした時、サトシの脳内に甲高い少女の声が響いた。
『ねえ、そこの変な生き物!アタシは暇なの。もっと付き合いなさい!』
慌てて振り向くと、巣箱から小さなグンディが飛び出し、サトシのほうを見つめている。
その瞳には、かつて王様の目に灯っていた、知性の光が確かに宿っていた。
***
──稲妻に打たれる、とはこういうことを言うのか。
サトシの手からバケツが落っこちる。ボン、と乾いた音を立て、軽く砂煙を立てるが、彼は全く気にする余裕はなかった。
『な、な、な……』
『アンタ、さっきから何言っているのかしら?早く、何か話しなさい!これは命令よ!』
尊大で傲慢、不躾な様子は、彼女の父である、王様グンディそっくりである。サトシが一度も聞いたことのない黄色い声で、そんな彼女は話している。
『お、お、王様!?これは、どういう……』
王様の仕業かと思い語り掛けるが、王様が反応することはない。
『さっきから、王様王様って、うるさいわよ!アタシには、ライラっていう名前があるのよ!』
まるで会話にならないが、確かにその声は聞こえている。目の前の子供グンディはだんだんとイライラした口調になっていった。
『君、いや、ライラはどうしてしゃべれるの!?』
『知らないわよ。アタシは、アンタの声に返事しているだけよ。ああ、このあっまーい粉、食べてもいいかしら?アタシ、お夜食が食べたいの』
ライラは、サトシの横に散らばる、クッキーのかけらを手に取り、齧りだした。まるで、王様グンディのように前足で器用にかけらを掴んで、食べているその姿を見ていると、サトシは無性に目頭が熱くなってきた。
『ちょ、アンタ、いくらアタシが可愛いからって、泣くことないじゃない』
『ち、違うんだ。うれしくて……君以外はしゃべれないのかな?ああ、クッキーもう少し食べる?』
サトシは、もう一枚腰からクッキーを取り出し、震える手で砕いてライラへ渡す。おいしそうに食べるライラは、そのふわふわな毛で覆われた顔をサトシのほうへ向け言った。
『アタシ以外?ああ、シュバーロも話せるわよ。だけど、あの子、シャイだからなかなかお母さんから離れないのよ』
『も、もしできたら、呼んできてくれないかい?』
シュバーロとは、十月に生まれた二匹目の赤ん坊グンディのことだろうか。サトシが頼むと、ライラは仕方なさそうに、巣箱へ向かってチュルチュル鳴いた。
『シュバーロ、アンタの好きな甘い粉がたくさんもらえるわよ!早く来ないと、アタシ一人で全部食べちゃうわよ!』
その言葉を聞き、一匹の明るいきな粉色のグンディが巣箱から出てきた。ライラより一回り小さなその子が、震えた声で確かに言った。
『お姉ちゃん。本当に甘い粉、あるの?』
『ほら見なさい、このでっかい生き物が持ってきてくれたの。アンタ、呼んだんだから、もっとよこしなさい!』
サトシは、もう一枚クッキーを砕いて渡した。ライラとシュバーロは、サトシの足元へ来ると、一生懸命にクッキーのかけらを頬張りだした。
『おいしい!ぼく、もっと食べる!』
『たまには、こういうのも最高ね!』
やがて、満足したのか、二匹は食べるのをやめて、その場で横になった。
『君たち、君たちのお父さんとはしゃべるの?』
サトシは、あくびをして伸びる二匹に聞く。
『お父さん?ああ、あの私たちと同じ匂いのする大きなのね。あのひとは話さないわ』
『それじゃあ、どうして、君たちは?』
『だから分からないって、言っているじゃない。でも、シュバーロより先にアンタの鳴き声が分かるようになったのはアタシ。アタシがシュバーロに教えたのよ。あそこの岩の上にいれば、頭がすっきりしてデカい生き物が何を言っているのかわかるって』
ライラは、中央の擬岩を指さすと、胸を張るようなしぐさをしながら言った。指の先の岩は、かつて王様グンディがよく寝そべっていた岩であった。
サトシの頭の中で、混乱しながらも、様々な事象が一つなぎになっていく。
『この部屋にあることは確か』
──サトシがかつて推測したその言葉に、王様は首肯した。擬岩はその条件に合致する。
『ここが一番、居心地がよいのでな。余に何か文句があるのか?』
──力を失いつつあった王様は、中央の擬岩によく寝転んでいた。そこにいれば、力が戻ってくるのだと言って。
『グランマが、サトシくんへこれを贈れって。これが、サトシくんが探すもののヒントになるって』
──ロパカがくれたワイヤレス充電器。スマートフォンを上に置くだけで充電できるそれは、グンディたちの下になにか大切なものがあることの暗示ではないのか。
サトシは、とうとう一つの仮説にたどり着いた。いてもたってもいられず、サトシは飛び出す。
『ちょっと、待ちなさいよ!アタシに何か面白い話をしなさーい!』
ライラの叫び声が響くが、サトシは気にする余裕はなかった。
***
「あった……!」
サトシが、倉庫を漁り、探していたものを見つけた。木の棒の先端に鉄製のピッケルが三日月状につくそれは、ツルハシである。公園で出てきた岩や不要な石を砕くために使うそれをもち、サトシは展示ルームへと戻ってきた。
展示ルームでは、グンディたちが目を覚ましたのか、みんな巣箱から出てきていた。
『何していたのよ!って、何持っているの……』
『ライラ姉ちゃん、ぼ、ぼく、怖いよ……』
見たことがないものを持つサトシに少し怖がり、アンドレの後ろに隠れるライラと、震えた声を出しながらもミルフィを守るように前に立つシュバーロであるが、サトシが気にする余裕はない。
サトシは一呼吸を置き、中央の擬岩の前に立つと、ライラの悲鳴を無視して、そのままツルハシを振りかぶった。素人が力任せに振り下ろしたツルハシは、擬岩の真ん中に突き刺さる。ピッケルが刺さった場所を中心にひび割れた擬岩に対して、サトシはさらにもう一度ツルハシを振った。
擬岩は、ガキンと音を立てて、砕け散った。サトシは砕けた岩の残骸を見下ろした。
──砕けた擬岩のなかに、緑色の小さな宝玉があった。
サトシはそれを震える手で掴み上げる。今年の年初に、王様グンディが持っていた宝玉に間違いなかった。
「あ、あった!あったぞ!あったぞ!」
大きく目を見開くと、喜びのあまり声を出して吠える。あまりに大きい声に、ライラとシュバーロ、妃グンディたちは、驚き巣箱に隠れた。サトシは、唯一逃げなかったグンディのほうを向くと、にっこりと笑いながら言った。
『王様、とうとう見つけましたよ……』
サトシの言葉に、王様グンディが近づいてくる。サトシは、彼に宝玉を差し出すと、彼はいつの間にか手に持っていた杖の先を宝玉へ向けた。
そうして、杖が宝玉に触れたとき、カチンという音と共に軽い閃光が杖から発せられる。王様グンディが、杖から発せられる光をマジマジと眺めていた。
やがて、サトシのほうを向いた王様グンディは、言った。
『なるほど、灯台下暗し、とはこのようなことであったか』
チュウチュウと鳴く声ではない。サトシの脳に響くその言葉は、間違いなく、王様グンディの帰還を告げる声であった。
「王様……王様!」
『近寄るでない!暑苦しい!』
感極まり、鳴きながら王様グンディに抱き着こうとしたサトシの手を、ヒョイっとよけながら叫んだ。
『良かった……本当に良かった!』
『だから、近寄るな、というているであろう!』
諦めることなく近づくサトシから、逃げるように展示ルームを駆けながら、王様グンディは怒鳴り散らす。まるで、昔のカートゥーンのような光景であるが、少なくとも、サトシはいたって本気であった。
『お姉ちゃん、あの大きい生き物、何しているの?』
『……、きっと、可愛いアタシたちがご飯を食べていたのを見て、おなかが空いたのね。だから、大きいひとを追いかけているんじゃないかしら?』
いつの間にか巣箱から顔を出したライラとシュバーロは、追っかけっこをする二人の様子を興味深そうに眺めるのだった。
『ね、ねえ。そうしたら、ぼくたちも追いかけられたりしないの?』
『わ、わからないわ!そうよ、あの大きなのを食べたらお腹いっぱいになるから、きっとアタシたちには興味を示さないわよ!』
『あっ、そうか!そうしたらぼくらは追いかけられなくて安心だね、お姉ちゃん!』
的外れな推理を得意げにするライラと、それに感心気味なシュバーロの尻目に、サトシと王様の追っかけっこはまだ続くのだった。
『なるほど、そういうことであったか』
ようやく落ち着いたサトシから一部始終を聞いた王様が、頷いた。
子供たちは眠気の限界を迎えたのか、巣箱の中へ帰っていった。それゆえ、展示ルームには王様グンディとサトシしかいない。サトシが砕いた擬岩は、王様グンディが杖を一振りして元に戻しており、王様はその上にちょこんと乗っていた。
『本当に大変でしたよ……。きっと迎江さんも喜んでくれると思いますよ!』
まだ、興奮が収まらないサトシは、鼻声のまま王様へ語りかける。いくら話しても、足りないくらいであり、言いたいことが次々と浮かんでいた。
『……なるほど、侍女は今別の王といるみたいであるな』
『へぇ……?そんなこと、わかるんですか!?』
唐突に言われた内容がいまいち飲み込めず、素っ頓狂な声が出るサトシに、クッキーのかけらを食べながら王様が言った。王様は、すでに何が起きているのか察したようである。
『余も、見落としていたことがあったようだ。それに気が付いた侍女は誠によくできておる』
『そうなんですね。それで、迎江さんはいったいどこにいるんですか?』
『もっと南におる。安心せよ、あの子は安全に守られている』
そういうなら、おそらくそうであろう。信じるしかなく頷くサトシへ、王様は言った。
『ところで、下僕よ。一つ頼みがある』
『はい!?なんですか?』
慌てて言ったサトシへ、王様グンディは静かに言った。
『余を、メウェに合わせよ。そののち、余とメウェの子が眠る地へ、連れていくがよい』
***
大抵の動物園にも慰霊碑はある。動物園で亡くなった生き物を慰めるためのそれは、手伏区生物園では職員しか入れないエリアにあった。なぜ、職員しか立ち入れない場所に慰霊碑があるのかサトシにはわからない。だが、こういう時──本来出してはいけない動物を、ケースから出している時など──には、却って好都合である。
『着きましたよ』
サトシが、抱えていた二匹のグンディを慰霊碑の前に降ろした。金色に輝く背板の前には、小さな位牌が置いてある。慰霊碑というよりは仏壇というべきそれの前に王様グンディとメウェが向かうと、ジッと固まった。
そこに、メウェの子供たちの骨があるわけではない。死んだ動物たちは、提携する獣医や獣医学部に引き取られ、そこで死因を調べられる。それから先の遺骸の行方はサトシでもわからなかった。だが、それでも、二匹と一人にとっては、亡くなった子供たちへ思いをはせるには充分であった。
『……私の赤ちゃん……ごめんなさい……』
メウェはうつむき気味に固まったまま、絞り出すように言った。たとえ悪くないと頭ではわかっても、心がそう言っているのだろう。王様はメウェに寄り添い、物言わぬ位牌を見つめていた。サトシもまた、二匹と共に大きくなることのできなかった子供たちの冥福を静かに祈った。
『余の力をもってしても、死んだ者を蘇らせることはできぬ。許せ』
王様は悔し気に言った。皆がうすうす感じていることであっても、言わないと気が済まないのであろう。それは、王様の懺悔であった。
『王様。私、一つだけお願いしたいことがあります』
『なんである?申してみよ』
メウェは、王様のほうを向くと、言った。
『今度は、みんなでここへ来ませんか?アンドレも、ミルフィも、子供たちも、イロハも一緒に』
『……いいだろう。それが良い』
こうして、サトシたちのお墓参りは終わった。王様とメウェをもとの場所へと戻して、宿直室へ戻った。
部屋では、随分と帰りが遅いことを園長から心配されたのだが、適当にはぐらかし、次の見回りの時間まで寝ることにした。この時期には少し心もとない、せんべい布団に入ると久しぶりに王様の声が脳内に響いてきた。
『下僕よ、改めて礼を言う』
『随分と珍しいですね。それなら呪いを解いてくださいよ』
『それはまだ早い。呪いを解いてほしければ、もう一つ余のために尽くせ』
王様鮫のお守りがあれば呪いは進行せず、実害もこれと行ってないため、ここのところ、サトシは呪いを気にしなくなりだしていた。そのため、何も言うことなくウトウトとしだしたサトシへ王様が言った。
『まもなく、冬至である。原初の猫はそれまでにやってくるだろう。憑代に乗ってな』
『憑代?なんですかそれ?』
『余を襲い、宝玉を奪った者よ。今日のことで、はっきりと分かった』
『………………まさか。いや、でも…………』
擬岩のコンクリートの中に宝玉を隠すのであれば、一番怪しいのはそれを作った人である。その人は、サトシに誇らしげに擬岩のことを話してくれた。
『丑前くん!出来たよ、グンディ用のヒーター付き擬岩!これで、展示もばっちりだね!』
『そんな……』
『貴様も分かったようだな。箱音サナエ、あやつこそ、原初の猫の憑代である。下僕も以後気を付けることだ』
グウグウと、園長の鼾が響く部屋で、サトシの頭に王様の言ったことが何度も反響した。
***
──齶畑県の冬の寒さは、東都のそれとは違う寒さである。
特に夜は、心まで凍らせるような体に染みこむ寒さが地上に重くのしかかっていた。
そんな齶畑県の神社では、一人の女性を囲むように四人の男が立ち祝詞を上げていた。彼らは、衣冠単という正式な装束を身にまとい、どの書物にも載っていない祭詞を唱えている。
一方の女性のほうは、白装束であった。肌襦袢も身に着けず、随分と寒いのだろうか肌は赤に染まっている。それでも、身動きせずに男たちが呪文のように唱える言葉を一身に浴び続けていた。
「これでよい、憑代よ」
しばらくして、正面に立つ男が言った。彼は、この根梨唯一の神社の神主である。表向きには本邦の太陽神を祀っているこの神社で、真に祀っているのは大猫さまという原初から存在したとされる存在であった。
「ありがとうございます。大守さま」
彼女は、寒さで鮮やかに赤く染まった唇を開き言う。太守さまとは、この地方でのこの神社の主の本当の呼び名であり、村の人だけが使っていた。大猫さまを讃える祝詞を管理し、その意思を伝える彼は、この村の真の支配者と言ってもよい。
「大猫さまは、力を取り戻した。そなたは憑代として、大願成就の礎石となることを誇りと思うがよい」
やや芝居がかった言い方をする男の姿は、この場では一種の荘厳さすらあった。白装束をきた女性──箱音サナエは俯いて何も答えない。
「……どうした、サナエ?なにか不都合があるか?」
なにも言わないサナエへ、鉄のように冷たい言葉が降りかかる。
「いえ。大猫さまの大願を叶える、そのような分不相応な大義に、身がすくんだだけでございます」
この村に生まれ、大猫さまの憑代になった日から覚悟していたことである。
「よろしい。では、再び大猫さまの力を整え給う祭詞を唱える。改めて神妙にいたせ」
そう言うと、再び呪文のような言葉を四人は唱えだした。
憑代に意思はいらない。そう思いつつも、サナエは一瞬だけ物憂げな顔をしたのだった。




