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第6話「スーパー半額デート」

 例の通販サイト『ミラクル☆ヘヴン』との壮絶な返品交渉は、三日三晩に及んだ。


「お客様のご都合による返品は…」

「返品不可の表示もここに…」

「いや、そちらのサイトの『ワンクリック聖剣ボタン』に問題がある!」


という不毛な電話での言い争いの末、奇跡的に大半の商品の返品が認められた。しかし、開封済みの『幸運を呼ぶ奇跡のクリスタル』だけは返品不可となり、俺の来月の食費は壊滅的な状況に陥ることが確定した。


「……というわけで、ルナ。今日から俺たちは、狩人ハンターになる」


ある日の夕方。俺は、まるで戦場に向かう司令官のように、神妙な面持ちでルナに告げた。


「かりゅうど……?森で、動物を狩るのですか?」


「いや、もっと文明的な戦いだ。我々が向かう戦場は、ルナも知ってる我々の主戦場である格安スーパー『アキバ』だ」


「そして、狩りのターゲットは、『半額シール』という封印によって攻撃力が大幅に低下した『お惣菜』という名の伝説の魔獣だ」


「そして、今回のミッションに失敗は許されない…」


 午後7時。それは、スーパーの店員が売れ残りの商品に魔法のシールを貼り始める、ゴールデンタイム。定価では手が出ない唐揚げ弁当や、夢にまで見たヒレカツサンドを、半分の価格で手に入れるための聖戦ジハードが始まる時間なのだ。


「いいか、ルナ。スーパーに入ったら、俺から絶対に離れるな。そして、惣菜コーナーで赤いシールを持った店員が現れたら、それが開戦の合図だ。決して殺気は出すな。あくまで自然に、さりげなく、ターゲットに近づくんだ」


「はい、マスター・カイト!」


なぜか目を輝かせ、敬礼するルナ。彼女はこれを、何か新しいアトラクションか何かと勘違いしているらしい。まあ、今はそれでいい。


 スーパー『アキバ』の自動ドアをくぐると、むわりとした熱気と、様々な食品の匂いが混じり合った独特の空気が俺たちを迎えた。店内は既に、同じ目的を持つであろう歴戦の猛者たち――主婦、学生、サラリーマン――でごった返している。


誰もが買い物かごを片手に、獲物を狙うハイエナのような鋭い目で惣菜コーナーを徘徊していた。


「……すごい熱気です、カイト。これが、戦場……!」


「ああ。気を抜くなよ、ルナ」


 俺たちは、人波をかき分けるようにして、戦いの中心地である惣菜コーナーへと向かった。そこには、まだ定価のシールが貼られたままの、魅力的な弁当や揚げ物がずらりと並んでいる。その光景は、まるで嵐の前の静けさのようだった。


その時だった。バックヤードの扉が開き、一人の若い女性店員が、赤いシールが貼られたシートを片手に現れた。


「あ、海斗さん!こんばんは!」


 天使のような笑顔を振りまきながら、俺に声をかけてきた彼女。彼女こそ、このスーパーでバイトをしている、水瀬 ひまり。ふわふわのボブカットが似合う、快活で気立てのいい女の子だ。俺がこのスーパーに通い詰めているうちに、いつの間にか顔見知りになっていた。


「よ、よう、ひまりちゃん。今日はバイト日なんだね」


「はい、いつもありがとうございます!海斗さんが来てくれないと、お弁当、売れ残っちゃいますから!」


彼女はそう言って、悪戯っぽくウインクした。そして、まだ値引き開始時間には5分ほど早いのにもかかわらず、俺がいつも狙っている唐揚げ弁当に、こっそりと半額シールをペタリと貼ってくれたのだ。


「いつも頑張ってる海斗さんへの、特別サービスです。内緒ですよ?」


「ひまりちゃん……!君は女神か!」


俺が感動に打ち震え、勝利を確信して唐揚げ弁当に手を伸ばした、その瞬間だった。


背後から、まるで絶対零度のブリザードが吹き付けるかのような、凄まじいプレッシャーを感じた。振り返るまでもない。この殺気の主は、一人しかいない。


振り返ると、案の定、ルナが般若のような顔で、ひまりと俺を交互に睨みつけていた。その大きな瞳は潤み、唇はわなわなと震えている。


ゴゴゴゴゴゴ……


 スーパーの蛍光灯が、不気味に明滅を始めた。天井のスピーカーから流れていた軽快なBGM『アキバのテーマ』が、突然ノイズ混じりの不協和音に変わる。外では、さっきまで晴れていたはずの空が急速に暗くなり、突風が吹き荒れ始めた。買い物客たちが「何だ?」「急に天気が……」とざわめき始める。


「ル、ルナ?どうしたんだ、急に……」


俺が恐る恐る尋ねると、ルナは絞り出すような声で言った。


「……別に。カイトは、あの人が作ったお弁当の方が、いいんですね」


ぷいっ、とそっぽを向くルナ。嫉妬だ。小学生レベルの、あまりにも分かりやすい嫉妬だ!だが、その威力は国家転覆レベルというとんでもない代物だ!


「ち、違う!断じて違う!これは、その、生きるための戦略であってだな!」


「言い訳は聞きません。私のご飯は、美味しくないんですね……。どうせ私は、料理もできない、ポンコツですから……」


そう言って、ルナの瞳からぽろり、と涙がこぼれ落ちた。

その瞬間、スーパーの冷凍ケースのガラス扉に、バキバキと霜が張り始めた。外では、ゴロゴロと雷鳴が轟き、大粒の雨が地面を叩きつける音が聞こえてくる。


「やばい、やばいって!このままだとスーパーが氷河期に突入する!」


俺はパニックになりながらも、必死に頭をフル回転させた。どうすればこの状況を打開できる?どうすればルナの機嫌を直し、世界の天候を元に戻せる?


「違うんだ、ルナ!俺は、お前が作ってくれる……あの、なんだ、錬金術に失敗したみたいな物体Xの方が……いや、そうじゃなくて!お前と一緒に食べるご飯がいいんだよ!どんな高級弁当よりも、お前が隣で笑っててくれるだけで、俺は……!」


必死のフォローだった。我ながら何を言っているのか分からなかったが、魂からの叫びだったことは間違いない。


その言葉に、ルナはピクッと反応した。


「……ほんと、ですか?」


「本当だ!だから、機嫌直してくれ。頼むから!世界の平和と、俺の平穏のために!」


俺の悲痛な訴えに、ルナの表情が、ぱあっと花が咲くように輝いた。途端に、スーパーの照明は正常に戻り、BGMもいつもの軽快なメロディを取り戻す。窓の外では、嘘のように嵐が止み、空には祝福するかのように一番星が瞬いていた。


「カイト……!」


ルナはそう言うと、俺の腕にギュッとしがみついた。その柔らかい感触と、シャンプーの甘い香りに、俺の心臓が柄にもなくドキリと跳ねる。


一部始終を、呆然と見ていたひまり。彼女は、二人の親密な様子と、海斗が放った情熱的な(?)告白に、胸を締め付けられるような痛みを感じていた。


(海斗さん……あんな顔もするんだ……)


いつもはどこか達観していて、世の中を斜に構えて見ているような海斗が、一人の女の子のために、あんなに必死になっている。その姿が、ひまりの目にはとても眩しく映った。


「負けません……!」


ひまりは、誰にも聞こえない声でそう呟くと、買い物かごに売れ残りのコロッケを一つ入れ、キュッと唇を結んだ。彼女の心に、恋という名の、もう一つの嵐が芽生えた瞬間だった。


 俺はというと、結局半額の唐揚げ弁当は買いそびれ、腕に絡みつくルナの温もりを感じながら、今夜の夕食が「幸運を呼ぶ奇跡のクリスタル」を眺めながらの白米だけになることを悟り、静かに涙するのであった。

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