第37話:「未来の恋と、力の代償」
世界が平和になって、数ヶ月。
俺たちの日常は、すっかり、穏やかなものになっていた。ルナは相変わらず俺のバイト先のファミレスでメロンソーダを飲み、桜庭さんのラーメン屋は世界中の偉人たちが集まる不思議な社交場になった。
平和な世の中って、こんなにも退屈で、そして、かけがえのないものなんだな、と毎日噛みしめる。
そんなある日、俺は、久しぶりに、未来に呼び出され、近所の公園で会うことになった。
「先輩!お待たせしました!」
待ち合わせ場所に、駆け足でやってきた未来。彼女は、もう、JESUSのエージェントが着ていた、あの黒いスーツではなく、ごく普通の、高校の制服を着ていた。白いセーラー服が、夕日に照らされて、まぶしく光って見える。
「よお、未来。元気そうだな」
「はい!今は、普通の高校生として、勉強したり、友達と遊んだり、毎日が、すごく楽しいです!」
そう言って笑う未来の顔は、以前よりも、ずっと、明るく、晴れやかに見えた。JESUSは、平和的な観測局として解体、再編され、戦闘要員だった彼女は、現場仕事を離れることを選んだらしい。
俺たちは、公園のベンチに座り、自動販売機で買ったジュースを飲みながら、とりとめのない話をした。コーラの炭酸が喉を通り過ぎる感覚が、やけに心地よかった。
「先輩、聞いてくださいよ!この前の期末テスト、数学が赤点ギリギリで……」
「まじかよ!頑張ったじゃん」
「それ、褒めてるんですか!?」
「当たり前だろ!だって、お前、元々、勉強とか苦手だっただろ?」
未来は、むっとした顔で、頬を膨らませた。
「そうなんです!なのに、レイジさんが『僕のプリンセスは、知性も兼ね備えていなければならない』とか言って、めちゃくちゃ難しい問題集を渡してくるんですよ!」
「はは、レイジらしいな」
「ですよねー!で、アカネさんには『あんた、いつまで経っても馬鹿ね。どうせ、男に媚びるために、勉強してるんでしょ』とか言われるし……もう、大変なんです!」
未来は、子供みたいに、楽しそうに愚痴をこぼす。その話を聞いているだけで、俺の心も、なんだか温かくなった。
しばらく話した後、未来は、意を決したように、俺の顔を、まっすぐに見つめてきた。その瞳は、夕日の色を映して、キラキラと輝いている。
「……あの、先輩」
「ん?なんだよ」
「私、先輩のことが、好きでした」
それは、あまりにも、唐突で、そして、あまりにも、まっすぐな、過去形の告白だった。俺は、特に驚きもしなかった。なぜなら、俺は、とっくに気づいていたからだ。
「……知ってる」
「ですよねー……」
未来は、照れくさそうに、はは、と笑った。
「でも、もう、大丈夫です。先輩が、ルナさんと、本当に幸せそうなのを見て、私も、自分の気持ちに、ちゃんと、区切りをつけなくちゃ、って思ったんです。だから、これは、私の、初恋の、卒業式です」
未来は、そう言うと、すっと、立ち上がった。その表情は、悲しいというより、むしろ、何かを乗り越えたような、清々しい顔をしていた。
「……そうか。なんか、ごめんな」
俺は、絞り出すように言った。
「謝らないでください!私が、勝手に好きになって、勝手に、卒業するだけなんですから。それに……」
未来は、少しだけ、寂しそうに、笑った。
「……今の私には、もう、先輩の隣に立つ、資格も、ないですしね」
「資格……?」
「はい。……Gシステムを使った、代償、です」
未来は、そう言うと、自分の右手を、ゆっくりと、開いて見せた。その手は、白魚のように、綺麗で、細い指をしている。だが、その指先が、ほんの少しだけ、透けて、向こう側の景色が見えているように、俺には思えた。
「……未来、お前の手……」
俺の目に、恐怖が浮かぶ。
「Gシステムは、使用者の生命エネルギーを、光子力に変換する、禁断の技術でした。あの時、無理やり、力を引き出しすぎたせいで……私の体は、少しずつ、この世界から、希薄になっているみたいなんです」
彼女は、まるで、他人事のように、淡々と、言った。その声は、どこまでも穏やかで、かえって、俺の心に、深い傷を刻み込む。
「お医者さんにも、見てもらったんですけど、原因は、わからないって。でも、たぶん、このまま、ゆっくりと、消えていってしまうんだと思います。だから……」
未来は、俺に向かって、にっこりと、笑った。
「だから、先輩。私が、この世界にいたっていう証、ちゃんと、覚えていてくださいね。健気で、可愛くて、ちょっとドジな後輩がいたこと、絶対に、忘れないでください」
その笑顔は、あまりにも、儚くて、綺麗で、俺は、かける言葉も、見つからなかった。これが、彼女が、俺たちの日常を守るために支払った、代償。
俺は、その事実の重さに、胸が、張り裂けそうになった。
「……忘れるわけ、ねえだろ」
俺は、やっとのことで、それだけを、絞り出した。
「お前が、命がけで、守ってくれたから、俺たちは、今、こうして、笑っていられるんだ。お前のことなんて、一生、忘れられるわけがねえよ。俺にとっても、ルナにとっても、お前は、最高の、自慢の後輩だ」
俺の言葉を聞いて、未来の瞳から、ぽろり、と、一粒の涙がこぼれ落ちた。
「……よかった。それを、聞けて、安心しました」
未来は、涙を拭うと、もう一度、俺に向かって、最高の笑顔を見せた。
「じゃあ、私、もう行きますね!門限、厳しいので!」
彼女は、そう言って、俺に背を向け、公園の出口へと、駆け出していった。夕日に照らされた、彼女の小さな背中が、少しずつ、遠ざかっていく。
その姿が、なんだか、今にも、光の中に、溶けて、消えてしまいそうで、俺は、たまらなくなって、叫んだ。
「未来!」
俺の声に、彼女が、振り返る。
「またな!絶対に、また、会おうな!」
俺が、そう叫ぶと、未来は、一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐに、満面の笑みで、大きく、手を振ってくれた。
その姿が、見えなくなるまで、俺は、ずっと、その場に、立ち尽くしていた。
彼女の恋は、終わったのかもしれない。
彼女の時間は、限られているのかもしれない。
でも、俺たちの、仲間としての絆は、絶対に、消えたりしない。
俺は、空に誓った。
未来が、この世界にいた証を、俺が、絶対に、語り継いでいく。そして、彼女が、安心して、その時を迎えられるように、俺は、この平和な世界を、ルナと一緒に、守り続けていく、と。
それが、俺にできる、唯一の、償いであり、彼女への、感謝の証だからだ。




