第23話「クリスマスは、半額ケーキと世界平和」
あのカオスなBBQの後、JESUSと教団からの干渉は、ぱったりと止んだ。
未来の話によれば、両組織とも、泥だらけになった隊員の後始末と、あまりにポンコツな作戦内容の報告書作成、そして上層部への謝罪に追われ、現場に構っている余裕がないらしい。実に自業自得である。
おかげで、俺たちの日常には、つかの間の平和が訪れていた。
季節はすっかり冬になり、街はクリスマスの一色に染まっている。
バイトの帰り道、ルナはショーウィンドウに飾られたクリスマスツリーを見て、子供のようにはしゃいでいる。
「わあ……!キラキラです、カイト!」
冷えた空気に、ルナの白い息がフワリと舞い上がった。ウィンドウの中のツリーは、赤や緑の飾り付けを纏い、七色に光る電飾を点滅させている。その光がルナの瞳に映り込んで、まるで星屑を閉じ込めたみたいにキラキラと輝いていた。
テレビの特集や雑誌で、彼女はクリスマスが「恋人たちが一緒に過ごす、特別な日」だと学習したらしい。その瞳は、期待に満ちて、俺の方をじっと見つめていた。
「クリスマス、か……」
俺は、自分の財布の中身を思い浮かべ、深いため息をついた。中身は、柴三郎とかいうどっかの細菌学者が数人と、あとは小銭だけ。特別なディナーや、プレゼントなんて、夢のまた夢だ。せっかくの笑顔を曇らせたくない、でも現実を伝えないと……。
「……悪い、ルナ。うちは、クリスマスとかやってる余裕ねえわ」
苦し紛れにそう言うと、ルナの輝いていた瞳が、みるみるうちに曇っていく。唇が、震えるように少しだけ開いた。その表情は、まるで捨てられた子犬のようで、俺の胸にチクリと刺さった。
まずい。この顔に、俺は弱いんだ。
「……あー、いや、その、全く何もしないってわけじゃねえよ!ささやかには、やる!やるから!」
俺は慌てて言葉を継いだ。ルナのしょんぼりした顔が見たくなくて、つい勢いで言ってしまった。
「!ほんとですか!?」
ルナはパッと顔を上げた。さっきまでの悲しげな表情は消え去り、また希望の光が宿っている。
「お、おう……」
彼女の笑顔に負けて、安請け合いしてしまった。どうする、俺。クリスマスまで、あと数日しかないぞ。
そして、クリスマスイブ当日。
俺は、バイトを終え、閉店間際のコンビニに駆け込んだ。店内に残る揚げ物の匂いと、甘いケーキの匂いが混ざり合っている。狙いはただ一つ。
「……あった!」
ケーキの棚の隅っこに、小さなショートケーキが一つだけ残っていた。スポンジの端が少しだけ崩れているけど、そんなことはどうでもいい。その箱に貼られた、「半額」のシールが、宝物みたいに輝いて見えた。
誰にも取られまいと、そのケーキを鷲掴みにし、レジへと向かった。プレゼントは、なけなしの金で買った、毛糸の手袋。暖かそうで、ルナの小さな手に似合うだろうか……。これが、俺の精一杯だった。
(こんなんで、あいつ、喜んでくれるかな……)
華やかなイルミネーションが輝く街を、半額のケーキが入ったビニール袋をぶら下げて歩く。行き交う恋人たちはみんな幸せそうで、なんだか、自分がひどく惨めに思えてきた。
ルナを喜ばせたいのに、俺にはこれっぽっちのことしかできない。なんだか、体が重い。ため息をつきながら、アパートの階段を上った。
重い足取りでドアを開けると、そこには、信じられない光景が広がっていた。
「……なんだ、これ」
薄暗い部屋の中が、ささやかに、しかし、温かく飾り付けられていたのだ。
壁には、折り紙で作った星や、広告の裏に描いた雪だるまの絵がセロテープで貼られている。そして、部屋の真ん中には、拾ってきた木の枝に、空き缶のプルタブや、色とりどりの洗濯バサミが飾り付けられた、奇妙なクリスマスツリーが鎮座していた。
ポンコツで、手作り感満載で、飾り付けに使われたアイテムはガラクタばかり。だけど、そこから伝わってくる温かさが、俺の心をじんわりと温かくしていく。
「……おかえりなさい、カイト」
部屋の隅から、ルナがひょっこりと顔を出した。
「ごめんなさい、勝手に……。でも、カイトと一緒に、クリスマスがしたくて……」
何も言えなかった。
胸の奥が、じんと熱くなる。惨めだなんて思っていた自分が、馬鹿みたいだ。ルナは、金なんかじゃなく、俺が一緒にいることを望んでくれていた。それだけで十分だったはずなのに。
「……ただいま。すげえじゃん、これ。お前がやったのか?」
ルナは少し照れたように俯きながら、でも嬉しそうに頷いた。
「はい!頑張りました!」
「そっか。……ほら、ケーキ、買ってきたぞ」
半額のケーキをテーブルに乗せると、ルナは「わあ!」と顔を輝かせた。
「ありがとう、カイト!私、カイトと一緒なら、ケーキが半分こでも、世界で一番幸せです!」
その、一点の曇りもない笑顔。
その瞬間、俺のスマホが、ピコン、とニュース速報を知らせた。
『速報:世界各地で観測されていた異常気象が、一斉に沈静化。専門家は「まるで地球全体が、聖なる夜を祝福しているかのようだ」と発表』
……またか。
でも、もう驚かない。彼女の幸せが、世界を平和にしている。それでいいじゃないか。俺のポンコツな部屋でも、半額のケーキでも、ルナが心から幸せだと思ってくれるなら、それでいい。
小さなテーブルを挟んで、二人でケーキを分け合う。一口食べると、安いスポンジとクリームの味が、口の中に広がる。でも、ルナが嬉しそうにケーキを頬張る姿を見ていると、今まで食べたどんな高級なケーキよりも、ずっと、ずっと美味しく感じられた。
「なあ、ルナ」
ふと、気になっていたことを尋ねた。
「はい?」
ルナはケーキを口に入れたまま、首を傾げる。
「お前さ、記憶、戻りたいとか思うか?」
フォークでクリームを弄びながら続けた。
「自分が誰で、どこから来たのか、とか」
ルナは、少しの間、フォークを置いて、宙を見つめた。
そして、静かに首を横に振った。
「ううん。今は、思いません」
「……なんで?」
思わず、身を乗り出した。
ルナは、俺の目を真っ直ぐに見つめて、少し寂しそうに、でも、はっきりとそう言った。
「だって、もし記憶が戻って、私が、カイトの知らない誰かになっちゃったら……カイトと一緒に、こうしていられなくなっちゃうかもしれないから」
彼女は、俺の手袋をそっと握りしめた。
「私は、今の私が好きです。カイトと一緒にいる、私が。だから、このままでいいんです」
その言葉に、俺は何も返せなかった。
彼女が、過去よりも、「俺との今」を選んでくれている。その事実が、嬉しくて、同時に、少しだけ怖かった。
もし本当に彼女の記憶が戻って、俺の元から去っていくことになったら。俺は、その時に、彼女のその想いに、応える覚悟が、本当にできているんだろうか。
「……ほら、食わねえと、俺が全部食っちまうぞ」
照れくささを隠すように、わざと意地悪く言って、自分のフォークでルナの皿からケーキを一口奪った。
「あ!だめです!私の分です!」
ルナは慌てて自分の皿を隠そうとし、俺はわざと笑って、もう一口ケーキを口に運んだ。
部屋の外では、静かに雪が降り始めていた。
世界の平和なんて、どうでもいい。ただ、この温かい時間が、少しでも長く続きますように。俺は、心の中で、そう願った。




