第21話「司令官たちの決断」
最近、政府の秘密組織『JESUS』の地下司令室では、胃薬の消費量が観測史上最大値を記録していた。
「――以上が、対象『セラフ・シグマ』の最新の行動記録です。現在は、天城海斗の実家にて、彼の母親から『肉じゃがの作り方』を教わっている模様」
オペレーターの報告を聞き、司令官――眼鏡をかけた冷徹な男――は、こめかみを抑えながら、デスクの引き出しから胃薬のシートを取り出した。
「……氷堂レイジはどうした?オペレーション『庶民の味を極めろ』の進捗は?」
「はっ。それが……『お好み焼き天空返し』に失敗し店長の頭部を汚損した件が問題視され、現在、謹慎および『サイデリア』の床掃除1ヶ月の刑に処されております」
「……あの給料泥棒が」
司令官は、バリウムを飲むような顔で胃薬を飲み下した。
続けて、別のオペレーターが報告する。
「白石未来、コードネーム『スマイル・クイーン』からの定時連絡ですが、『先輩の笑顔が眩しすぎて、任務に集中できません。しばらく休みます』という、業務連絡なのかポエムなのか判断に苦しむメッセージを最後に、途絶しております」
「……あの恋に浮かれた裏切り者が」
JESUSが誇るエリートたちは、現場に派遣された途端、ことごとくポンコツ化、あるいは職務放棄するという、組織創設以来の危機に瀕していた。
「司令、このままでは、対象の『女子力』が上昇し続け、臨界点に達します。そうなれば、我々の予測では、天城海斗との『結婚』、すなわち世界の完全なる安定、我々の組織の存在意義の消滅が……!」
「わかっている!」
司令官は、机を強く叩きつけた。……が、すぐに胃の痛みで顔をしかめた。
現場の人間は、もはや信用できない。彼らは、滅びの鍵が持つ「ほのぼのオーラ」に当てられ、正常な判断能力と思考回路を破壊されている。
「……もはや、猶予はない。だが、特殊部隊を送っても、どうせミイラ取りがミイラになるだけだ……」
司令官は、深く、深ーく、ため息をついた。
「……こうなったら、私が直接出る。いや、出るのはリスクが高い……。そうだ、ビデオ通話だ。ビデオ通話で、現場の連中に直接、活を入れる!」
それは、武力による制圧でも、強制排除でもない。中間管理職が放つ、最後の切り札――「圧の強いオンライン面談」、作戦名「Zoon」であった。
時を同じくして、教団『終末の福音』のアジト。
幹部のクロウとサイガもまた、フリマアプリの画面を前に、頭を抱えていた。
「見ろ、サイガ……。我々のプリクラが、『推し活にどうぞ』という謎のコメント付きで、5枚セット500円で出品されている……。しかも、『いいね』が3つもついているぞ……」
「もう終わりだ……。我々は、終末を司る教団の幹部ではなく、ただの『面白いおじさん』として世間に認知され始めている……」
現場エージェントのポンコツ化は、こちらの組織も末期症状だった。アカネからは、「ターゲットの母親は、ラスボス級の包容力を持っている。これは、新たな研究対象だ」という、任務とはかけ離れた報告が届くばかり。
「……クロウ、どうする?このままでは、我々の尊厳が滅びるのが先だ」
「……仕方あるまい。我々も、JESUSと同じ手を使う」
「同じ手?まさか、お前も胃薬を……」
「違う!ビデオ通話だ!」
クロウは、ノートパソコンをバッと開いた。
「アカネのスマホに、強制的にビデオ通話をかける。そして、我ら『黒の双翼』の威厳と、組織の崇高な目的を、改めてその魂に叩き込むのだ!名付けて、作戦『威厳回復Slackeで説教』!」
「そのまますぎる作戦名だな……」
こうして、二つの組織のトップ(に近い人々)は、奇しくも同じ結論に至った。現場のポンコツどもを、オンラインの力で再教育する、と。
この安易な判断が、さらなるカオスを生むことになるとも知らずに。
その頃、俺は、ルナと一緒に近所の公園に来ていた。
実家から送ってもらった大量の野菜を消費するため、母さん直伝のレシピで「ピクニック用お弁当」を作ってみたのだ。
「カイト!この、卵のやつ、甘くて美味しいです!」
「そりゃ、卵焼きだからな。まあ、初めてにしちゃ、うまくできたか」
ルナは、俺が作った(とは言っても、ほとんど母さんのレシピ通りだが)弁当を、心の底から美味しそうに食べている。その笑顔を見ているだけで、俺の胃袋も心も満たされていく。
こんな、穏やかな休日。最高じゃないか。
そんな、ほのぼのとした空気を切り裂くように、俺のスマホがけたたましく鳴り響いた。
非通知の、ビデオ通話。
「……なんだ?」
怪訝に思いながらも、俺は通話ボタンを押した。
すると、画面に映し出されたのは、地下の司令室のような場所を背景にした、いかにも神経質そうな眼鏡の男だった。
『――君は、天城海斗…だな?』
(掛けてきたくせに、なぜ疑問系?しかも少し驚いてるし…)
「はあ、そうですが……どちら様です?迷惑電話なら切りますよ」
『待て!私は、JESUSの司令官だ!単刀直入に言おう!君は、我が国の平和を脅かす、非常に危険な存在だ!』
「はあ!?」
なんだこの人、いきなり。
俺が困惑していると、今度は、隣で弁当を食べていたルナのスマホ(俺のお古)が、けたたましく鳴り響いた。
こちらも、ビデオ通話。
「カイト、私も電話です」
ルナが不思議そうに通話ボタンを押すと、画面には、黒いローブを着た、厨二病丸出しの男二人が映し出された。
『――アカネ!どこにいる!任務を忘れたか!』
「えっと……どちら様、ですか?」
『我々は黒の双翼だ!……って、お前はアカネじゃないな!?滅びの鍵か!』
俺のスマホからは、JESUS司令官の怒声。
ルナのスマホからは、教団幹部の絶叫。
二つの組織の「オンライン説教」が、偶然にも、同じ場所、同じ時間に、しかも、ターゲット本人たちに誤爆するという、前代未聞の放送事故が発生していた。
『おい!そっちの回線は、教団か!』
『JESUSめ!我々の邪魔をするな!』
「カイト、あの人たち、喧嘩してます」
「みたいだな……」
俺とルナは、顔を見合わせ、そして、同時にそれぞれのスマホの通話終了ボタンを、そっと押した。
「……なんだったんだろうな、今の」
「わかりません。でも、卵焼き、冷めちゃいますよ?」
「ああ、そうだな。食うか」
俺たちは、世界の危機を巡る最高機密のオンライン会議(の誤爆)を一方的に打ち切り、ピクニックを再開した。
空は青く、風は穏やか。
司令官たちの胃痛と、幹部たちの心労など、俺たちの知ったことではなかった。
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