表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/40

第19話「雨宿りと、相合傘の距離」

 未来が仲間になってから、数日が経った。


 俺たちの日常が劇的に変わったわけじゃない。未来は相変わらず健気に俺にアプローチしてくるし、アカネはマニュアル片手にポンコツな誘惑を仕掛けてくるし、レイジは無駄にスタイリッシュな動きで厨房を混乱させている。


ただ、一つだけ変わったことがあるとすれば、それは俺の心だった。もう、一人で抱え込む必要はない。そう思えるだけで、世界は少しだけ違って見えた。


ルナの些細な感情の揺れに、前ほどビクビクしなくなったし、未来のまっすぐな好意にも、前よりは誠実に向き合える気がしていた。


……まあ、向き合った結果、どうすればいいのかは、まだわからないんだが。


 そんなある日の夕方。バイトが終わり、俺とルナは二人でアパートへの帰り道を歩いていた。未来は今日、学校の追加授業があるとかで先に帰っている。


「カイト、見てください。猫です」


 ルナの声が、夕暮れの商店街に響く。魚屋の店先で、丸々と太った三毛猫が昼寝をしていた。ルナがそっと頭を撫でると、猫は気持ちよさそうに喉を鳴らした。そのゴロゴロという音が、この平和な日常を象徴しているようで、俺はたまらなく愛おしく感じた。


この日常を守る。俺は、改めてそう心に誓った。


その時だった。さっきまで晴れていた空が、急に暗くなったかと思うと、ぽつり、ぽつりと冷たい雫が落ちてきた。


「あ、雨……」


ルナが空を見上げる。彼女の蒼い瞳に、灰色の空が映り込んでいた。


「まずいな、天気予報じゃ晴れだったのに!」


雨粒は、あっという間にバケツをひっくり返したような土砂降りに変わる。俺たちは慌てて、近くにあった古いバス停の軒下に駆け込んだ。


「うわ、びしょ濡れじゃねえか」


俺は自分の服の袖を絞る。水がしたたり落ちて、地面に小さな染みを作った。


「カイト、髪がぺったんこです」


ルナが楽しそうに笑う。その声に、俺は少し安堵した。


「お前もな」


俺たちは顔を見合わせて笑う。

狭い軒下。肩と肩が触れ合うほどの距離。雨の音だけが、やけに大きく聞こえる。雨の粒が、軒先のトタン屋根を激しく叩き、独特のリズムを刻んでいる。


ふと、俺は隣のルナに目をやった。雨に濡れた彼女の髪が、頬に張り付いている。いつもより、なんだか大人びて見えて、ドキッとした。


「……風邪、ひくなよ」


俺は、照れくささを隠すように、自分のハンカチで彼女の濡れた髪を優しく拭いてやった。ハンカチから香る、柔軟剤の匂い。その匂いと、雨の匂いが混じり合い、俺の心をざわつかせる。


「……!」


ルナは、驚いたように目を見開き、そして、嬉しそうに、はにかんだ。その表情に、俺の心臓がまた、うるさく鳴り始める。まずい。この距離と、この雰囲気は、心臓に悪い。


「……あの、カイト」


「ん?」


「この前のこと……ありがとうございました」


ルナは、俺のハンカチを握りしめながら、小さな声で言った。


「この前のこと?」


「私が、泣いてた時……。カイトが、ここにいていいって、言ってくれて……すごく、嬉しかったです」


ルナの声が、雨音にかき消されそうになる。


「私、カイトがそう言ってくれるなら、もう、大丈夫です。私が幸せでいれば、世界も、大丈夫なんですよね?」


ルナのまっすぐな瞳が、俺を見つめる。その瞳の奥に、確かな決意が宿っているのがわかった。


「……ああ、そうだ」


俺の言葉に、彼女は、にこっと笑った。


「じゃあ、私、もっと幸せになります。カイトと一緒にいて、たくさん笑って、たくさん美味しいものを食べて……。そしたら、カイトも、世界も、私が守れますから」


その笑顔は、どんな奇跡よりも強く、俺の心を照らした。守られるだけじゃない。彼女もまた、自分の力で、俺と、この世界を守ろうとしている。その健気な決意が、たまらなく愛おしかった。


雨は、一向に止む気配がない。


「……仕方ねえな。コンビニで傘、買ってくるか」


「でも、お金……」


「一本くらいなら、なんとかなるだろ」


俺は、財布の中身を確かめる。千円札一枚。一本買うのが精一杯だ。


「ほら、帰るぞ」


俺は、近くのコンビニでビニール傘を一本だけ買った。


「はい!」


一本の傘の下に、二人で入る。

自然と、体が密着する。俺の右腕と、ルナの左腕が、ぴったりとくっついた。ルナの体温と、シャンプーの甘い香りが、雨の匂いに混じって、俺の理性を揺さぶる。


「……あの、カイト」


ルナが、上目遣いで俺を見上げる。


「な、なんだよ」


「近い、です……」


その声は、震えていた。俺の心臓は、さらにうるさく鳴り始める。


「仕方ねえだろ!お前が濡れるから、こっち寄れ!」


俺は、ぶっきらぼうに言って、彼女の肩をぐっと引き寄せた。ルナの体が、さらに俺に密着する。


「うっ……」


ルナの顔が、みるみるうちに赤くなっていくのが、横目で見てもわかった。もちろん、俺の顔も、相当赤くなっているはずだ。


 アパートまでの、わずか十分ほどの道のり。それは、永遠に続くかのように長く、そして、一瞬で終わってしまうかのように、短く感じられた。雨音のせいで、お互いの心臓の音が聞こえなくて、本当に良かったと、俺は心から思った。


アパートに着くと、ルナは「先、シャワー浴びてきます!」と言って、浴室に駆け込んでいった。


俺は、濡れた制服を脱ぎながら、大きくため息をつく。今日のルナは、いつもと少し違った。守られるだけじゃない、守る側にもなりたいという、彼女の決意。その言葉と、あの笑顔が、俺の心に強く残っている。


その日の夜、ルナと二人で夕食を食べていると、玄関のチャイムが鳴った。


「こんな時間に誰だろう?」


ルナが不思議そうに首を傾げる。俺がドアを開けると、そこには、雨に濡れた未来が立っていた。


「未来、なんで……」


「もう!心配で来たに決まってるじゃないですか!先輩とルナさん、雨に濡れてないですか?風邪ひかないようにって、着替え持ってきました!」


未来は、大きな紙袋を差し出した。中には、俺とルナの部屋着が二組ずつ入っている。そして、温かそうなスープが入ったタッパーと、おにぎりも。


「もしかして、わざわざここまで……」


「はい!何かあったら、すぐに連絡してくださいって言ったのに!もう、先輩は一人で抱え込みすぎです!」


未来は、少し怒ったような顔をしながらも、その瞳は、俺たちを心配する優しさに満ちていた。


「白石さん……ありがとう」


ルナが、未来に深々と頭を下げる。未来は、それに笑顔で応えた。


「二人とも、風邪ひかないでね」


そう言って、未来は安堵の息を漏らした。

その夜、未来は俺たちのアパートに泊まることになった。俺は、未来が作ってくれた温かいスープを飲みながら、改めて思った。


俺は、本当に一人じゃないんだ、と。

ルナも、未来も、俺にとってかけがえのない存在だ。この二人と一緒に、俺はこの奇妙な、だけど温かい日常を、守り抜いていこう。


俺の隣には、もう一人じゃない。三人で、この世界の運命を、切り開いていくんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ