第16話「ハニトラは、マニュアル通りにいかない」
翌日、午前10時。駅前のカフェ。
俺は、重い足取りで指定された場所へ向かった。俺の数メートル後ろを、ルナと未来が、まるで忍者かスパイのように、こそこそとついてきている。完全にバレバレだ。
カフェのテラス席に、その女――アカネはすでに座っていた。
今日の彼女は、昨日とは打って変わって、清楚な白いワンピース姿だ。その美しさは、周囲の客たちの視線を釘付けにしていた。
「……来たわね、天城海斗。遅刻よ」
「いや、時間ぴったりだろ。で、何の用だよ」
俺がぶっきらぼうに言うと、アカネはふっと笑い、手にしたメニュー表を広げた。
「ふふっ、焦らないで。まずは、腹ごしらえとしましょう。マニュアルによれば、『胃袋を掴むのが男を落とす第一歩』とあるわ」
「あんたが作るわけじゃねえだろ」
俺がツッコむと、アカネは「問答無用!」と叫び、店員を呼んだ。彼女が注文したのは、山盛りのクリームが乗った、巨大なパンケーキだった。
「さあ、召し上がれ。そして、私の魅力に溺れるがいいわ」
「だから、あんたが作ったんじゃないだろ……」
俺がフォークを手に取ると、アカネが「待ちなさい!」と制止した。
そして、彼女はパンケーキを小さく切り分けると、そのフォークを俺の口元へと運んできた。
「さあ……『あーん』よ」
少女漫画で百万回は見た、あのシチュエーション…。
だが、アカネは極度の緊張からか、その手がブルブルと震えている。
「……あのな、自分で食えるから」
「い、いいから、早く口を開けなさい!これも任務……いえ、デートの嗜みよ!」
俺がためらっていると、震える彼女のフォークは、狙いを外し、クリームを彼女自身の鼻の頭につけてしまった。
「……ぷっ」
「な、何がおかしいのかしら!」
「いや、鼻にクリームついてんぞ」
「えっ!?きゃっ!」
アカネは顔を真っ赤にして、慌ててクリームを拭う。その姿は、昨日の高飛車な態度が嘘のように、ただのドジな女の子だった。
その様子を、少し離れた席から、ルナと未来が監視していた。
「……あの人、本当に先輩を誘惑する気があるんでしょうか」
「見てください、未来さん。耳まで真っ赤です」
未来は呆れ顔で、ルナは不思議そうに首を傾げている。
「でも、カイト、なんだか楽しそう……」
ルナが、少しだけ寂しそうに呟いた。
たしかに、俺はアカネのポンコツっぷりに呆れながらも、どこか楽しんでいた。まるで、危なっかしい妹を見ているような気分だった。
「……いけません、先輩!」
未来が、テーブルをバンと叩いた。
「このままでは、先輩があの女狐に騙されてしまいます!こうなったら、実力行使です!」
「じつりょくこうし?」
「はい!オペレーション『偶然の出会いアゲイン』、開始します!」
未来はルナの手を取り、俺たちのテーブルへと向かっていった。
「あーん」に失敗したアカネは、次の作戦に移っていた。
マニュアル第三項、『さりげない上目遣いで庇護欲を掻き立てる』。
「ねえ、カイト……。私、一人じゃ、何もできない、か弱い女なの……。あなたに、守ってほしい……」
アカネは、練習してきたであろう完璧な角度で、俺の顔を潤んだ瞳で見上げてきた。
その美しさに、俺の心臓が一瞬、ドキリと高鳴る。
だが、彼女はその体勢を維持しようと無理をしたせいで、足がつってしまったらしい。
「い、い、痛たたた……!足が……!足がああああ!」
「おい!大丈夫か!?」
俺が慌てて駆け寄ろうとした、その時。
「あー!先輩!それに、ルナさんもいるじゃないですか!」
「……未来?なんでお前らが」
そこに、未来とルナが、わざとらしい笑顔で現れた。
「奇遇ですねー!私たちも、パンケーキを食べに来たんですー!」
「カイト!私もパンケーキ、食べたいです!」
二人は、俺とアカネの間の席に、当然のように割り込んできた。
「な、なんなの、あなたたちは!今、私とカイトは、大事な話をしていて……!」
「へえー、そうなんですか?でも、先輩は私たちの先輩でもあるので、私たちとお話しする権利もありますよね?」
未来が、アカネに対して、バチバチと火花を散らす。
アカネも負けじと睨み返す。
「カイトは、私が先に唾をつけた男よ!」
「唾って……。いいえ、先輩はみんなの先輩です!」
「カイトは私のマスターです!」
いつの間にか、ルナも参戦し、俺を巡る(?)女の戦いが勃発していた。
俺は、三人の美少女に囲まれ、ただただ頭を抱える。
「……もう、帰っていいか?」
俺が呟いた、その時。
アカネは、悔しそうに唇を噛み締め、そして、意を決したように立ち上がった。
「……こうなれば、最終手段よ」
彼女は、自分のワンピースの裾を、そっと掴んだ。
「え、おい、アカネ!お前、まさか……!」
マニュアル最終奥義、『不意打ちのハプニングで、相手の理性を破壊する』……、
彼女は、白昼のカフェテラスで、自ら服を破り、肌を晒すという、あまりにも破廉恥な作戦を実行しようとしていたのだ!
「私の覚悟、その目に焼き付けなさい!これであなたも、もう逃れられ……」
アカネが、力いっぱいワンピースを破ろうとした、その瞬間。
ビリッ。
彼女が掴んでいたのは、裾ではなく、隣のテーブルにかけてあった、おじさんのハンカチだった。
「「「…………」」」
その場に、気まずい沈黙が流れる。
ハンカチの持ち主であるおじさんは、呆然とアカネを見ている。
「あ、あの……これは、その……ちが……」
アカネは、顔から火が出るほど真っ赤になり、そして、叫んだ。
「覚えてなさいーーーーー!!」
彼女は、人生最大級の恥ずかしさと共に、カフェから猛ダッシュで逃げ去っていった。
残された俺たちと、破られたハンカチと、呆然とするおじさん。
今日のデート(?)は、こうして、カオスな結末を迎えたのだった。




