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第10話「謎のイケメンと、宣戦布告」

 

 バイトの休憩時間、未来が俺にスポーツドリンクを差し出してきた。


「先輩!お疲れ様です!これ、どうぞ!」


「お、サンキュ。気が利くな」


冷えたペットボトルが、火照った掌に心地いい。未来はにこっと笑う。その笑顔は、太陽みたいに眩しい。


「いえ!いつもお世話になってるので!」


最近、彼女は何かと俺の世話を焼きたがる。先日の空調暴走事件以来、俺とルナの関係を理解した上で、それでも一歩踏み込もうとする、健気な決意のようなものを感じて、少しだけ胸が締め付けられる。


未来はストローに口をつけ、少しだけ黙り込んだ。その間、俺はごくりとドリンクを喉に流し込む。


「……先輩は、ルナさんのことが、その……好きなんですか?」


「ぶっ!?」


俺は思わずドリンクを吹き出しそうになった。慌てて口を押さえる。


「な、なんだよいきなり!」


「すみません!でも、気になって……」


未来の目が真剣で、俺はたじろぐ。バイトの休憩室の、生ぬるい空気だけが流れていく。


「す、好きとか、そういうんじゃねえよ!あいつはただの、面倒くさい同居人だ!」


そう答えた俺の声は、自分で思っていたよりもずっと上ずっていた。それを悟られないように、俺は顔を赤くしながら、必死にそっぽを向く。そんな俺の姿を見て、未来は「ふふっ」と小さく笑った。


その笑い声が、やけに可愛らしく聞こえた。


「そうですか。なら、私にもチャンス、ありますかね?」


心臓が、ドクンと大きく跳ねた。


「は……?」


「私、先輩のこと、いいなって思ってます。だから、諦めませんから!」


未来はそう言うと、ぺこりとお辞儀をして、仕事に戻っていった。


残された俺は、心臓がバクバクと鳴り響くのを感じていた。マジか……。今、俺、告白されたのか?いや、宣戦布告か?鈍感な俺でもわかるくらい、真っ直ぐな好意だった。


俺の混乱を知ってか知らずか、店の入り口のドアが、カラン、と軽快な音を立てて開いた。


その音を聞いて「いらっしゃいませー……」と、気の抜けた声で迎えると、そこに立っていたのは、少女漫画から抜け出してきたかのような、キラキラしたオーラを放つ超絶イケメンだった。


その男の名は、氷堂レイジ。

政府の秘密組織『JESUS』が、対・天城海斗用の最終兵器として送り込んだ、エリートエージェントである。

容姿、頭脳、運動神経、家柄、その全てが完璧。彼の辞書に「敗北」の文字はない。


「――司令、現場に到着しました。これより、オペレーション『王子様のキスを』を開始します」


レイジは耳元の超小型インカムに囁くと、店内を見渡した。彼の視線は迷うことなく、ターゲットの姿を探し当てる。厨房で、楽しそうに鼻歌を歌いながら皿を洗っている少女。間違いない、彼女が『セラフ・シグマ』だ。


「見つけた……僕のプリンセス」


レイジは、練習してきた完璧な笑顔を浮かべ、一直線に厨房へと向かった。

彼の計画はこうだ。まず、圧倒的なルックスと甘い言葉で、セラフ・シグマの心を天城海斗から奪い去る。次に、彼女を安全な施設に保護し、その感情をコントロールすることで、世界の平和を維持する。完璧な作戦だ。


彼は、厨房の入り口で立ち尽くすルナの元へ歩み寄り、その白い手を取って、恭しく口づけをした。


「ようやく会えたね。迎えに来たよ、僕のお姫様」


「……は?」


俺は、目の前の光景が信じられなかった。どこぞのキザ野郎が、俺の(いや、俺のじゃないが)ルナの手にキスをしている。ルナ本人も、何が起きたのかわからず、目をパチクリさせていた。


「えっと……どちら様、ですか?」


「僕はレイジ。君を、退屈な日常から解放しに来た王子様さ」


レイジと名乗った男は、ウインクしながら薔薇の花束をどこからともなく取り出した。イリュージョンかよ。しかも、その薔薇からは、甘ったるい香水の匂いがぷんぷんと漂ってきて、俺は思わず顔をしかめる。


「さあ、こんな薄汚い場所は抜け出して、僕と一緒に行こう。君にふさわしい、夢のような世界へ」


「え、えっと……」


困惑するルナ。その時、俺は我に返った。


「おい、てめえ。人のバイト先で何してんだ。それに、そいつは俺の……」


レイジは俺を一瞥し、鼻で笑った。


「君が天城海斗だね?話は聞いているよ。プリンセスをこんな場所で働かせるなんて、騎士失格だ」


なんだこいつ、めちゃくちゃムカつくな!俺は思わず拳を握りしめた。こいつの顔、ぶん殴ってやりたい。いや、我慢だ。店長に見つかったら何を言われるか……。


「ルナは俺の同居人だ!お前なんかに渡すか!」


俺がそう叫ぶと、レイジはさらにニヤリと笑った。


「おや、嫉妬かな?でも、彼女にふさわしいのは、君のようなしがないフリーターじゃない。この僕さ」


レイジはそう言うと、ルナの腰に手を回し、自分の方へ引き寄せようとした。


「きゃっ!」


「てめえ、離せ!」


俺がレイジの腕を掴もうとした、その時だった。


「やめてください!」


声を上げたのは、ルナだった。

彼女はレイジの腕を振り払い、俺の後ろに隠れた。まるで、小さな子供が母親の背中に隠れるように。


「私は、カイトと一緒にいます!あなたのことは、知りません!」


ルナの、はっきりとした拒絶の言葉。

レイジは一瞬、完璧な笑顔を崩して固まった。彼のシナリオには、プリンセスに拒絶されるという展開はなかったのだ。その顔には、一瞬だけ、戸惑いと、ほんの少しの屈辱が浮かんでいた。


「……なるほど。君は、まだ本当の幸せを知らないだけなんだね。いいだろう」


レイジはすぐにいつものキザな笑みを取り戻し、俺に向かって指を突きつけた。


「天城海斗。君に宣戦布告する。必ず、僕がプリンセスを君から奪い取ってみせる。正々堂々、勝負だ!」


「勝手に言ってろ!ルナは渡さねえ!」


俺とレイジの間で、バチバチと火花が散る。その様子を、未来は複雑な表情で見つめていた。


(ライバルが、増えちゃいましたね……)


そして、店の奥から、血相を変えた店長が飛んできた。


「君たち!営業中に何を騒いでいるんだ!というか、そこのイケメン!お客様だよね!?厨房に入っちゃダメだろうが!」


こうして、世界の運命そっちのけで、俺と、ポンコツイケメンと、そして健気な後輩による、ルナを巡る(?)仁義なき戦いの火蓋が、切って落とされたのである。


 バイトが終わり、俺はへとへとになりながらアパートに帰った。店長からの説教と、レイジという名の不審者、そして未来からの思わぬ告白。たった数時間の出来事なのに、頭の中がぐちゃぐちゃだ。


「ルナ!ただいま……」


ドアを開けると、そこは信じられないくらい静まり返っていた。先に帰ったはずのルナが見あたらない。いつもなら俺の帰宅を察知して、どこからかルナが飛び出してくるのに。


部屋の中は、昼間の大洪水が嘘のように綺麗になっている。濡れた漫画は新聞紙の上に並べられ、洗濯機から溢れ出した泡の痕跡もない。


……え、ルナ、本当にやったのか?


恐る恐るキッチンを覗くと、ルナがダイニングテーブルにちょこんと座っていた。顔にはまだ、うっすらとススが残っている。


「マスター!おかえりなさい!」


ルナは満面の笑みで、両手を広げて俺を迎えてくれる。


「なんで、こんなに綺麗なんだ……?」


「はい!ちゃんと掃除しましたよ!洗剤をたくさん使って、ピカピカに!」


……まて、嫌な予感がする。


「ルナ、もしかして、また洗剤を……」


「はい!床も壁もピカピカに磨いて、洗剤が余ったので、ベランダから全部捨てておきました!」


俺は窓の外に目をやった。

うん、さっきまでどんよりしていた空が、完全に快晴だ。


「もしかして、それも、お前が……」


「えへへ、どうですか?マスターの仕事が上手くいくようにって、おまじないです!」


いや、それ、世界を救う『おまじない』じゃねえか。

俺は、ルナのポンコツスキルが、とんでもないスケールで発動していることを、改めて思い知らされた。


「……ま、まあ、綺麗にしてくれて、ありがとうな」


俺はもう、何も言えなかった。これ以上何か言ったら、また何かとんでもないことが起きそうだ。


「はい!あの、マスター。今日は、私、お昼ご飯、失敗しちゃったから、今夜は、カイトの好きなもの、作ってあげますね!」


ルナは嬉しそうに、俺の腕を掴んで引っ張る。


「え、あ、いや、それは……」


「今日は、お鍋を使わずに、フライパンで、オムライス、作ります!」


「お、オムライスか……」


俺はごくりと唾を飲み込んだ。

オムライス。簡単な料理だ。だが、ルナが作ると、果たして何が起きるのか。


明日、またテレビの速報で「原因不明の竜巻が発生!」とか流れるんだろうか。俺の胃袋と、世界の平和を守るための、新たなる戦いの火蓋が、今、静かに切って落とされた。

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