10. 彼女のストーリー
多分、そういうことなのだろう。
授業終わりまで続くアイリスの話を聞きながら、乙女ゲームのモブ男子との間に、こんなエピソードがあるはずないと改めて思う。
アイリス・グレイは、王都より遥か北西にある、草木が生い茂り、池や湖の点在する辺境領の、小さな村で生まれた。
国の他の地域や王都の話など、ほとんど伝え聞くこともない、内陸の静かな村だった。
家はそれなりの耕作地を持つ農家で、彼女も家の仕事を手伝いながら育ち、将来は近くの村の男性と結婚して両親と同じように暮らしていくと思っていた。
ところがある夜から、彼女はいつも見上げる満点の星空に、ふいに心が動かされるようになった。
南の方で、なにか良くないことが起こりそうな気がする――
それは日に日に鮮やかな衝動になり、ある時、見たことのない大きな船が、大きな湖に沈む感覚が浮かんだ。
そういった映像がいくつか浮かんだ頃、旅の行商人が村にやってきた。
何気なく話したそこから、彼女の噂はいくつもの尾ひれを付けて神殿に届き、近くの町の神官が彼女に会いに来て。
あっという間に星詠の神子に祀り上げられ、王都に召喚されたということらしい。
「みんなから急に、おとぎ話で聞いた星詠の神子と呼ばれて持てはやされて。最初は、そんな大層な人間じゃないって思っていたんだけど、私の力が役に立つのならって、今は思って受け入れてる感じね」
アイリスは、受け入れているというより、どこか諦めたような表情で笑った。
確かに、いわゆる天啓が降りてくるタイプの予知の力ではないようなので、それが神子の力だと自分で認識するには時間がかかりそうな気がする。
それよりも先に、周りの流れに呑まれた感じだろうか。
とはいえ、力自体は確かに存在しているから、否定もできないのだろう。
星詠の神子は、女神の国に危機が訪れた時に現れて、星を詠んで女神の神託を受けて未来を知り、癒しの力を使って国を癒す存在。
間違いなく、彼女がゲームの星詠の神子なのだろうし。
多少強引だったとしても、国家のために彼女を担ぎあげることも必要だという考えもわかる。
ただ、神子の力を独占したり悪用したりと考える人間も、いるかもしれない。
ということで、神子の役目として各地へ訪問する時以外は、学生以外の人の出入りが制限される寄宿学校で保護することになったらしい。
第二王子の編入後すぐ、かつ夏季休暇前というタイミングもあり、彼女は9月から編入ということになった。
それまでの間は神殿で保護されることになり、護衛として王城から派遣された近衛騎士が、テイラー先生だったということのようだ。
「護衛が必要と言われたら仕方ないとも思うけど、近衛騎士としての彼のお仕事を私が邪魔しているんじゃないかって、それが不安で…」
アイリスは、先程彼を見ていたのと同じ心配そうな顔をして俯く。
三ヶ月程とはいえ、護衛としてずっと着いていたなら、ある程度の間柄にはなっているものなのだろう。
ゲームは開始してすぐだと思うので、ルートに入っているわけではないだろうけれど、他のキャラと比べて親しい設定なのかもしれない。
「大丈夫よ。こういう役回りも必要だし、逆に外に出て帰ってきた人の方が、その後の出世は早いことも多いから」
ただ、私も心から彼女の心配ができる程には、平静でいられてはいない。
私自身や周りの会社では、関連会社からの出向帰りの人は概ね昇進していたから、同じようなものではないかとフォローはしておくーーもちろん、この国ではどうかは知らないけれど。
そうかしらと不安そうな彼女に、安心させるよう笑みを向けながらも、私の頭の中はこの後の展開でいっぱいだった。
フィン王子、リアム、ベアリング卿、テイラー先生ーーそして、もしかしたらセオ。
今の時点で攻略対象としてイメージできるのは、この5人。
これで全員ではないかもしれないけれど、乙女ゲームとしてはそれなりの人数に思う。
まだ年度初めの現時点で、そのうちの4人どころか主人公とも既に関わりがあるのは、当初の行動方針から考えれば正直、大問題だとはわかるけれど。
もうこの際、何も知らない状況よりは、いくらかマシだろうと思い直すしかない。
少なくとも今の時点では、アイリスも攻略対象キャラも、病んでいそうな雰囲気はないし、学内は至って平和だし。
星詠の神子が護衛騎士から護身術を教わる展開に、若干の不安はあるけれど。
今後どうなるにせよ、入学当初の今はまだ何も始まっていないはず。
「そうなのかしら…それに、講師もしているけど、今後の私の慰問でも、護衛は彼がしてくれるそうだし」
何も始まっていないはずと思っていたところに、新たな情報が出てきて顔を上げる。
「慰問って、どこか行くことになっているの?」
そういえば、ゲームの星詠の神子は、学校に通いながらも、災厄の予防と癒しのために旅に出ていた。
乙女ゲームの話として流していたけれど、ここまでの生活上でファンタジー要素がなかったから、どういう流れなのかはピンとこないが。
「イライザも、南部の蝗害の話は聞いているでしょう?星詠の神子には国を癒す力があると言われているからって、神殿から慰問に行くよう言われているの」
そう言う彼女の口調に、自分が星詠の神子と呼ばれることは受け入れていると思ったけれどと、違和感を覚える。
「でも、癒しの力があるから行くのよね?」
確認するように尋ねると、アイリスは少しだけ困ったように眉尻を下げる。
「予知に関しては確かだと思うけど、癒しの力って言えるほどの力があるのかは、私にもわからなくって…」
星を見て自然と浮かぶ予知のイメージとは違い、癒しの力は彼女の祈りに呼応するそうで。
枯れた花を咲かせたいといった願いなら叶うけれど、森を豊かにするというような力は使えないらしく、どういった祈りの言葉で癒しの力が発現するのか、まだ明確にはなっていないらしかった。
ただ女神に助けを祈ればいいのかと思ったけれど、そんな簡単なものではないらしい。
乙女ゲームのファンタジー能力に、そんなテクニカルな要素を導入しないで欲しい。
アイリス以前の星詠の神子の記録が残っていないので――いなかったという記録もないらしいがーー神殿も正しい祈りについてはわからないし、とにかくやってみるしかないという状況だという。
王都に招ばれてから、神殿で力を調べたり訓練したりしていたらしく、これまではまだ力が不安定だからといって、慰問の要請はあっても行けていなかったのだけれど。
いよいよ、そういった声を無視できなくなったということだろう。
現地に慰問に行って、できなかったでは済まないような気もするけれども。
とはいえ女神への信仰が篤いこの国では、星詠の神子が来るということだけでも、慰めにはなるのだろうか。
あるいは、そうは言っても主人公の彼女に、できないことなんてないのかもしれない。
「今回初めてということもあって、王子とご一緒させていただくらしくて…同じクラスとはいっても、まだほとんど関わりがないし、今はそれも不安だわ」
今日の話の間中ずっと困り顔のアイリスだけれど、その中でも一番不安そうな顔をする。
「…それって、フィン王子とアイリスと、テイラー先生で行くっていう意味なのかしら?」
同じクラスの王子というなら、第一王子ではなく第二王子のことだろう。何故、第一王子ではなく第二王子なのかは、彼が攻略対象である以上、ひとまず考えることではない。
けれど。
慰問に行くというのだから、考えついておかなければいけなかった。
「そうなの。だから少しの間、私たちも学校を離れなくちゃいけなくて。この授業もお休みになるみたい」
今はまだ、なんてない。
もうストーリーは始まっていて、止まらないのだと。




