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8. 詠めない流れ

学問以外の授業として、一つだけ選択した授業がある。

これから先、誰がどのタイミングでどうなるか、わからない以上。

せめて、自分の身くらいは自分で守れるようにと思って選んだのが、短剣技の授業だ――他の誰かも守れるようになれたら一番良いのだろうけれど、そこまでは自分を過信できない。

何かないかと探したものの、体育以外で体を動かす授業は、騎士志望や貴族の手習として、武術の要素が強くて。

授業を受けるのに、ある程度の素養が必要とされるものが多かったし、貴族令嬢が受けるには、あまりに不自然だった。

馬術ならアリではと思ったけれど、馬がいる場所にいなければ、逃げようにもどうしようもないし。

護身術に近いとあった短剣の授業が、私にとってはギリギリなんとか受けられそうな、ただ一つの選択肢だった。


「この授業では、悪意を持った他者からの攻撃を、回避あるいは受け流すことに注力する。反撃する気があるヤツは、他の授業も必ず一緒に受けておくように」


チャイムが鳴って、ひととおり生徒が屋内体育場に集まったところで、先生がまず声をかける。

体育とは違い武術系の授業は、寄宿学校の教師ではなく、王国騎士が数年間の持ち回りで講師を受け持つ、ということは聞いていた。

護身術程度とはいえ、短剣技の授業も例外ではないようで、先生の服装は王国騎士の制服だけれど。街中で見かけるものとは、色も形も少し違うようだ。


王国騎士は、全部で12の大隊に分かれている。

そのうち1〜3大隊までが近衛騎士で、王城の警備と王族の警護を任されているという。

王城に行く用事もないので実際に見たことはないけれど、黒地に赤い線と金の模様が入ったこの制服は、近衛騎士のものではないだろうか。

各大隊の中にいくつかある小隊の副隊長級の騎士が講師になるらしく、セオの授業の話からも、壮年期の筋骨隆々な先生を予想していたのだけれど。

それにしても、若過ぎないだろうか。

どうも会社の同じ部署の後輩男子を思い出すのだけれど、彼はたしか三つ下だったので23、4くらいだったはず。

人種が違うので比較は難しいかもしれないが、前に立っている先生は、少なくとも依梨よりは年下に見える。


「先に自己紹介をしておくが、王国近衛騎士 第3大隊 第2小隊 副隊長を務めるニール・テイラーだ。今学期より騎馬術と、この短剣技を担当する。学生への指導は不慣れなところもあると思うが、一年間よろしく頼む」


私を含め、想定外の容貌の講師に対する生徒たちの奇異の視線を一身に受けつつ、イメージする近衛騎士というよりは、どちらかというと軍人のような話し方で言った。

どういった経緯でその立場になっているのかはわからないけれど、やはり若さで侮られることもあるのだろうかーー今の場合、他の騎士の先生方と比べて、生徒から軽く見られそうというのもあるのだろう。

後輩を思い出したせいか、なんとなくその口調が虚勢を張っているように見えて、勝手に同情してしまう。

実力で上り詰めているのだとしたら立派だけれど、大変なんだろうなと見つめていると、不意にエメラルドグリーンの瞳と目が合った。


「毎年男しか受けないって聞いていたんだが、今年は女子が二人もいるんだな」

一人言なのか、私に話しかけているのか判断しづらい微妙な声のトーンで言われて、ん?と思う。

この授業をとると決めた時から想定していた通り、周囲には男子生徒しかいない。

てっきり、女子生徒は私だけなのかと思っていたのだけれどーー気のせいだろうか。嫌な予感がする。


「すみません。校内で迷ってしまって、開始時間に遅れてしまいました」


そこに。

息を切らせて走ってきたようなのに、鈴を鳴らすような声がした。

先生も、周りの生徒も。全員が、声のした入口の方を振り向く。

もちろん私も振り向いて、声の主を確かめるべきだとはわかっている。けれど振り返るのには勇気が要って、顔を上げられない。

「入学早々だから、初回の今回は大目に見るが…次からは、誰であっても減点対象にするぞ」

周囲がざわつく中、先生が少し厳しめの声で呼びかける。

「すみませんでした、お心遣いに感謝します」

嫌味のない丁寧な言葉遣いに、嫌な予感が当たりそうで、思わずひっそり顔を両手で覆う。


そんな私に、今度は先生が、確かに話しかけてきた。

「女子生徒は彼女と二人だけだから、授業で組むことも多いだろうし、挨拶くらいしておいたらどうだ?」

多分。単純に、比率の少ない女子生徒同士、仲良くしておけば良いと気を遣ってくれたのだろう。

話しかけられたので、手を下ろして顔を上げると、視線で背後を促されて。

仕方なく、顔は笑顔を貼り付けたまま振り返る。


「まあ、他にも女性の方がいらっしゃるなんて心強いです!」



可愛らしい少女だった。

イライザのような綺麗系というよりは、ルイーズのような小動物的な可愛らしさがある。

纏う色彩も、ピンクというより少しくすみのある薄紅色のミディアムヘアに、紫みのある赤茶色の瞳。

同じ制服を着ているはずなのに、春の精かなにかのような空気感だった。

彼女と目が合っただけで、時が止まったように周囲のざわめきがクリアになって、一言一言が耳に入ってくる。

「あれって、やっぱり星詠の神子だよな」

「思ってたより可愛くね」

「初めて見たけど、本当に編入してたのか」

聞こえる声に、そうだろうと思う。

私だってこんな記憶がなければ、同じように好奇の目で見ていたはずだ。

男子ならばなおのこと。

ゲームの主人公のビジュアルもきちんと見たことはなかったけれど、それでもわかる。

この容姿。この表情。この声。この雰囲気。

ーー彼女こそが、この世界の主役だと。



「今年から編入してまいりました、アイリス・グレイといいます。よろしければ、仲良くしてください」


この衆人環境の中。

差し出されたこの手を、受け入れないわけにはいかない。


「イライザ・ハーヴェイと申します。こちらこそ、よろしくお願いしますね」


握った手は温かく、けれどイライザの白く薄い手より、ずっと硬く厚く感じる。

それは私に、この手が本当に、この可憐な乙女ゲームの主人公の手なのだろうかと、思わせると同時に。

彼女が本当に平民出身で、災厄に喘ぐ人々の手を握ってきたのだろうと、思い起こさせた。

「あなたが…星詠の神子様でいらっしゃるのね」

だから。

先生に言われたところで関わるつもりもなかったのに、思わずそう口を突いてしまって。

自分の声にハッとして手を離すと、彼女は離れた手を少しだけ見つめてから、寂しそうに笑った。


「確かにそうは言われていますけれど、私は私ですから…折角の女性同士のご縁でもありますし、よろしければ是非、名前で呼んでいただきたいわ」


かと思えば、にこりと微笑んで逆に距離を詰めてくるので、思いもよらない提案に、動揺してしまう。

この短時間でのこのやりとり、そして断れないこの状況。

つい先日も、あったような。

乙女ゲームの出会いの演出というのは、得てして強引なものだったような気もするけれど。主人公も、こんなものだっただろうか。

――なにがどうなって、こんなことに。


「え、ええ、是非…私のことも、気軽に呼んでいただければ…」


この衆人環境の中。

歩み寄ってきた少女の希望を、受け入れないわけにはいかなかった。

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