1. 既知感の正体
「『星詠の神子』って言った?」
朝、教室に入るなり言われた言葉を聞き返しながら。
これは聞いたことがないけれど知っていると、頭の中で静かに警鐘が鳴っていた。
そう。
なんだか、名前を聞いたことがあるような気はしていたんだけれど、どこかで誰かに聞いたせいなんだろうなと、特に気にも留めていなかった。
南の海で突然起こった大きな嵐で、国を挙げて新天地の探索に送り出した船が沈んだことも。
それと入れ替わるように海から飛来した大量の虫が、南部の農村部を食い荒らして穀物畑が荒地に変わっていったことも。
隣国から広がったといわれる原因不明の疫病が、東部一帯に蔓延していることも。
国の北西の山々を覆う永久凍土が溶けだして、白い山脈が剥き出しの岩肌を見せているということも。
何もかも、どこかの歴史で聞いたことがあるせいだと。
「そうなの、最近起こっている厄災を鎮めてくれるはずだって、神殿が探してきたんだって!」
「おとぎ話の中だけだと思ってたけど、本当にいるのね」
多神教の国なので、絶対神のある宗教ほど信心深い人は少ないけれど、それでも小さい頃に絵本で読んだという神子の話に、みんなが興奮して騒いでいる。
イライザもきっと、絵本で読み聞かせられてはいたのだろうけれど――当然そんな昔の記憶を、私が知るはずもない。
だけど、聞いたことがあった。
それは私が、イライザ・ハーヴェイになる前。
私がまだ、遠野依梨だった時のこと。
20代前半の頃は、いわゆる乙女ゲームというものを息抜きにやっていたこともあったけれど、段々と仕事に忙殺されて、アラサーになってからは縁がなくなっていった。
それでも昔からの友達には暇な時にゲームをしている子もいて、界隈で話題になっていると聞いたのが『星詠の神子』というゲームだった。
星詠の神子と呼ばれるプレイヤーが、何らかの力で国を救うのと並行して、学校的なところに通って王侯貴族男子と恋愛をするという、よくある流れだったはず。
ただ、自分がプレイしてもいないのにどうして覚えているかというと。
友達がこのゲームをプレイしていたことと。
このゲームが、あまりの展開に「最早鬱ゲー」と、話題になったと聞いていたせいだった。
確か、攻略対象キャラ全てが、すぐ病むしすぐ死ぬという話だった。はず。
友達がフィン王子とリアムのどちらを推すか、ずっと悩んでいたのを聞いていたので――心底どうでもいい――その二人だけは、記憶の片隅に残っていたのだと思う。
けれど、なにせ私はプレイしたこともなく、彼女の感想を時に真面目に聞き、大抵は聞き流していたので。
正直なところ、それ以外のことは、ほとんど覚えていない。というか、知らない。
「ここへ来てこの展開って…」
気が付いた当初は、もしかして小説や漫画でよく見るあれでは?と思っていたけれど。私にとって知らない世界だと判断してからは、この世界に順応しようと逆に必死だったから。
もう少し早く気付いていれば、もう少し覚えていることもあったのかもしれない。
けれども今の私は、イライザ・ハーヴェイとして生活して既に1年以上経っていて、日々の生活知識や授業内容を覚える代わりに、昔の記憶を随分と手放しているような気がしている。
とはいえ。とはいえ、よ。
普通の乙女ゲームならともかく、人がすぐ死ぬような展開で、ぼーっと生きていくのは不味いような気がするのだ。
だって、既に星詠の神子はこの世界に登場してしまっていて。
攻略対象キャラは、私の通う寄宿学校に通っているのだから――この流れでいくと、神子が通っていた学校というのは、間違いなくこの寄宿学校だ。
覚えていないのでわからないけれど、イライザ・ハーヴェイがゲームに関係のない一般人だとしても、下手すれば死ぬかもしれないし。そこまではいかなくても、何らかの巻き添えを喰らう可能性はあると思う。
とにかく、今一度。
私自身の状況を、整理してみた方が良いだろう。
イライザ・ハーヴェイは、男爵家の一人娘。
大人びた美人顔だとは思うけれど、髪型や髪色も瞳もなかなか綺麗だけれども特段大きな特徴はないし、特に何か秀でている能力があるということもない。
誰かの婚約者というわけでもないし、誰かと付き合っているわけでもない。
私がイライザになる前から、性格は普通に素直で好感が持てる人物像だったと思う。
主人公の神子ではないのだから、転生モノで他に登場する女子といえばライバル令嬢だろうけれど。
見た目も性格もスペックも、決してそういう派手なタイプではないので、モブ的な役回りなんじゃないかと思う――思いたい。
あとは、攻略対象キャラについて。
友達が言っていたのだから、少なくとも第二王子とエヴァンス卿は攻略対象のはず。
――今更よく考えると、教養として通常は貴族令息を苗字+卿で呼んでいる私がエヴァンス"様"なんて考えていた時点で、友達の影響を受けていたようにも思う。
確か、フィン王子のことはツンデレ王子と呼んでいたような気がする。確か。
先月帰国して、そのまま寄宿学校に編入してきたらしいけれど、クラスも違うこともあり――確か、Aクラスだとケイトから聞いたような――当然関わりもないので、私自身は彼の人となりのことは知らない。
けれども、この前聞いた王子の性格もそういうイメージがあるので、多分そうなのだろう。
エヴァンス卿のことは、チャラ関西弁と言っていたような記憶がある。セオも方言が強いと言っていたから、それのことだろう。
ただ、実は○○で、後半ではなんとかかんとか言っていたような――すぐ人が死ぬゲームの話なんて気が滅入ると、話半分に聞いていたせいで、肝心のところが思い出せない。
こんなことになるなら、もっと真面目に話を聞いておけばよかったし。
イライザになってからでも、もっと早く、セオにエヴァンス卿と会わせてもらっておけばよかった。
どういう状況であれ、今の私が『星詠の神子』と同じ世界観の中で暮らしている以上、どんな人なのか知っておきたいとは思うけれど。今から会おうとすれば、何かに巻き込まれる恐れが出てきてしまうような気もする。
これからゲームの展開が始まってしまうのだとしたら、危機回避のためには、逆に最も会わない方が良い相手ではないかとも思う。
そして、もう一人。
勘というには雑過ぎる、乙女ゲーム的な発想でいえば。
ベアリング卿も、非常に怪しい気がする。
宰相の息子で、あの特徴的過ぎる容姿――怪しいというか、ほぼ確定なのでは。私が運営の人間なら、間違いなく攻略対象にする。
たまたま私が将棋をやっていた流れで入ったクラブなので、ゲームでイライザがベアリング卿に会っていたとは考えにくい。
ベアリング卿のことは良い人だと思っていたけれど、すぐ病むゲームの攻略対象なのだから、まあ抱えているものも多そうだし、危ないところもきっとあるのだろう。
折角の居場所で残念だけれど、背に腹はかえられない。
まして命が掛かっているのだから、せめて神子の周囲が落ち着くまでは、クラブは休ませてもらって距離をおこう。
今のところ、攻略対象だと確信できるのは、この三人だけ、だけれど。
そうであって欲しくないとは思うのに、考えなければならない人がいて、思わず両手で額を押さえる。
「セオも、かなり怪しいんだよねー…」
私の心に馴染むと思っていた、セオの夕闇と宵を合わせたような暗い色は、髪や瞳に明るめの色彩を持つこの国では、実は意外と珍しい。
しかもこのゲームは、すぐ病むすぐ死ぬ鬱ゲーと呼ばれるゲームで。
その中で、そんな色を持っている人といったら。
なんならラスボス的な立場ではないかと、疑わざるをえない。
難しい立場のベアリング卿と違って、セオにそんな薄暗い部分があるとは思えないけれど。
私とセオの付き合いだって、イライザになってからのこの1年ちょっとのことだから、知らない部分があっても全くおかしくはない。
おかしくはない、のだけれど。
どうしても、そうであって欲しくないとは願ってしまう。




