Episode44 第七夜 - 相死相愛
わたしが探していた秘密の世界。
わたしが探していた憧れの人
すべてはそう、あなた自身……。
黒点へ誘う螺旋階段を抜けた先に彼は居た。
斜陽が強く差し込む荒野だった。
赤茶けた大地。無数の骸が転がっている。
その斜陽に向かい、こちらに背を向ける青年がこの怪異を止める為に打ち倒すべき存在だった。
これが"第七夜"の舞台。
彼の父親が夢に見た最後の理想。
それを追いかける彼自身もまた、この荒野に辿り着いたのだ。継ぎはぎの虚構世界で――。
「ロアくん、あなただったのね」
リンピアはその背に声をかけた。
男はゆっくりと振り返り、その顔貌を見せた。
よく見ると父親にそっくりだ。
その優しそうな顔も、諦観した目も、見舞われた災難に挑む頑固そうな唇も。
「そうだ。俺が七つ夜の怪異を狂わせた元凶だ」
「わたしが一番驚いたのは、わたしの探し物もロアくん自身だったことよ」
「……キミは最初から犯人捜しをしていた。そういう意味ではそうかもしれない」
まだ気づいていない。
やっぱりロアは鈍感で、どうしようもなく物事に無頓着な人だ。
なんだかその純粋さに胸が苦しくなった。
リンピアはこれからその男を打ち砕き、機能を完全に破壊しなければならない。
「ううん。そうじゃない」
リンピアは俯き、首を大きく振った。
「わたし、20年前にあなたに会った。この世界に秘密があるって、昔わたしに教えてくれた」
「……遠い記憶だ。俺は何をしていても"自覚"がないものでね」
自覚がない。
自分が七つ夜の怪異の主軸であることもだ。
ロアは、ロア自身の性格上、【七つ夜の怪異】を滅却しようと動く。だが、怪異はロアを中心に構築さるから、自分自身を殺さない限り、怪異は滅却されない。
例えるなら、犯人が自ら犯人探しをするようなもの。
なんて救いのない悲惨な結末だろう。
常軌を逸している。
……でも、それはロアにとって理想の一つを叶えるチャンスだった。
自己を犠牲にして世界を救済する。
それが英雄のやり方だ。
憧れの父親が成し得た英雄譚の一頁だった。
それを成せるチャンスが、ようやくやってきたのだ。
だからロアはずっと待っていた。
自分を殺してもらえる存在を。
リンピアは歯車の機能を完全に破壊する。
そして【七つ夜の怪異】は滅却。
世界は一人の犠牲を代償に救われ、めでたしめでたし――。
その結末をロア自身が一番望んでいる。
そんな英雄譚の最後を何より望んでいる。
ふざけるな。
「わたし、ロアくんのおかげでここまで来れた」
「俺や怪異がそうなるように導いたからだ」
「違う。ロアくんが昔、この道を教えてくれたからだよ。魔術師の道を歩んで、いろんな世界を見ることができた。楽しかったよ」
「……キミはそれでいいかもしれないが、俺には俺の生き様というものがある」
ロアはそっぽを向いた。
荒野の小高い丘から、遠くを眺めている。
骸骨ばかりのこんなみすぼらしい荒野が、いったい彼の心のなにを満足させられるというのか、リンピアには理解しがたい。
「だから、今度はロアくんが救われる番だよ」
「…………」
ロアが視線だけ向けてリンピアを睨んだ。
その瞳に宿す闘志も読み取れた。
「引導を渡す覚悟ができたという意味か?」
ロアの両手に赤黒い剣が生成された。
魔力が凝縮され、造作もなく手元に双剣が握られる。
リンピアも身構え、固唾を飲み込む。
ロアは全力でリンピアと戦うつもりだ。
全力でなければこの戦いに意味はない。
それがロアの望みであり、最初から全身全霊をかけた上での敗北を望んでいる。
覚悟は決まっている。
だが、問いかけるのはこちらの方だ。
「――覚悟を決めるのはロアくんの方よ」
「ふむ。俺はとっくに準備万端だ。それこそリンピアが生まれるずっと前からな」
「最後にわたしに泣きついても知らないから。そっちの覚悟もしといてよね」
「そんな状況にはならない。俺が破壊されて消えるか、君を殺してまた怪異を繰り返すかのどちらかだ」
ロアは不愛想にそう吐き捨てた。
この頑固者め。どうも一筋縄ではいかない。
リンピアは溜め息まじりに問いかけた。
「ロアくん、つまらないんでしょ?」
「なに……?」
「ずっとそんな顔してた。不死の呪いで生き続けるしかない。でも生きてて楽しいこともない。それでも守護者を名乗って皆を助け続けてさ……。全然つまらないよ、そんな人生……」
「リンピアに何がわかる。俺は――」
「わかるよ! ずっと一緒にいたんだから!
ロアくんと一緒にテロリストを倒したし、白熊の子も助けたし、メトミスの怪も乗り越えた! お父さんのことだって知ってる!」
「……なに?」
今の反応が答えだ。
ロアはリンピアの憑依に気づいてなかった。
それならまだ不意打ちだって狙える。
「ロストさんは、ロアくんにもっと楽しく生きてほしいって思ってたよ」
「…………」
ロアは剣を握る手に力を込めた。
あと一呼吸の間に戦いは始まる……。
リンピアは深呼吸して手を前に翳した。
初めから切り札に賭けるしかない勝負だ。
だからリンピアがこの戦いですべき事は、空想を描く隙を作り出すこと。
これはその一点に賭けた博打なのだ。
「その"汚名"を口に出すな――」
来る……!
初期工程の魔力凝縮をコンマ数刻で完了。
絵のイメージを速写して足に魔力粒子を纏う。
構築された片脚部のジェットが奮いを上げて大地を蹴った。横跳びで躱した直後、ロアの踵落としがリンピアのいた地面にクレーターを作った。
「……っ!」
背筋が凍る。直撃したら冗談抜きで即死だ。
リンピアは荒野を滑り転げながら、慌ててもう片脚にもターボジェットを描いて装着させ、機動力だけ確保した。
「ありきたりだな。応用が足りない」
――ぞわりと血の気が引いた。
すぐ背後でロアの低い声が耳元に囁かれた。
条件反射で両腕に鋼鉄のバックラーを描いて、首筋を守るように包んだ。
その直後には容赦のない拳が、バックラーに叩き込まれた。
「……いっ!?」
リンピアは前に仰け反って、そのまま前転しながら荒野を転げた。
脳天に反動が伝わって吐き気がする。
本当に容赦がない。
今までさんざん守られた相手が、今になっては本気で殺しにきている。こんな調子で続けば、生身のリンピアではひとたまりもない。
だが、意外にもロアの攻撃を耐えられる。
きっとこれが『血の盟約』の恩恵だ。
リンピアも既に耐久性は人間離れしていた。
そうでなければ、バックラーの鋼鉄だけがひしゃげ、リンピアの腕は骨が軋む程度で済んでいることに説明がつかない。
通常なら骨折どころか腕が引き千切れる。
ロアもそれを理解した上でリンピアを自己破壊の相手に選んだのだ。
はじめから挑むに足る力は持っている筈だ。
荒野の坂下まで転げ落ち、リンピアは仰向けで倒れたまま息を大きく吸った。
耐久性では互角。確かに、そうらしい。
「く……うぅ……」
でもそれだけだ。
体力比べで肩を並べても、戦術すべてはロアの十八番とするもの。それが魔術と絵を描くしか取り柄のないリンピアが、真っ向勝負を挑むこと自体間違っていた。
「……」
リンピアは首を振って気を取り戻した。
覚悟は、こんな程度でへし折られるほど脆くはない。
彼を救うと誓った。
どんなに痛くても、どんなに苦しくても、それはロアが抱えてきた300年の積年に比べたら、ちっぽけなものだ……。
「かはっ……あぁーー!」
体に鞭を打って起き上がった。
女でしょ、腹決めなさい、そう自分に言い聞かせた。
見上げると荒野の上にロアが立っていた。
こちらを冷徹な目で見下げている。
失望させるなと猛禽のような視線が刺さる。
リンピアは『無の存在証明』に集中した。
元より出来ることは限られている。
絵を描くことしかできないのなら、せめてそれに全神経を集中させよう。
速写で描いて紡いだ『魔砲武装』。
迎撃用の追尾砲を6つ。
手持ちの魔導銃を1つ。
防御用のバックラーを再生成。
そして近接応戦用の短剣を隠し玉に備えた。
武器なら無限に紡ぎ出せる。
それこそロアの魔力を利用して――。
「――――」
丘の上の気配が消えた。
まだ来る。……痛めつけられる。
リンピアは四方八方のどこからでもロアが来ることを想定して身構えた。魔砲武装は完璧。リンピアを中心とした城塞はすでに積み上げたと自信を持って言える。
その盤石な護りさえ、あの無敵の男には通用しない。
「っ……」
――みぞおちに一突きが迫る。
かろうじてリンピアはそう予知した。
ロアは間合いを詰め、既にリンピアの懐にいる。やはり彼は速すぎた。
迎撃用の魔砲だけでは対応できない。
リンピアは隠し玉の短剣を咄嗟に振った。
まぐれで突きの軌道に入り込み、その剣戟を弾き返すことに成功した。
「ぁ―――」
魔剣の反動で腕がねじ切れそうになった。
まるで暴風を纏わせた剣術だった。
荒野の砂塵が舞い上がり、疾風でリンピアはブロンドの髪が舞い上がった。
相手の動きが止まる。
リンピアはこの神域の戦いに顔が引き攣った。
「はぁ……はぁ……」
「先ほどから守りばかりだな。攻めないのか? 俺と魔力を共有する君なら対等に渡り合えると思ったが、読み違いだったか」
ロアは真剣な目でリンピアを煽っている。
視線だけで獲物を射殺しそうなほど殺気立っていた。
リンピアは言葉が出ない。
優しかった彼が、今では戦場を駆る戦士。
その強靭な姿に"守護者"の並々ならぬ強さを今更ながら思い知らされた。
――戦場に憧れた少年の姿を思い出す。
デビュー戦で、彼は満足できなかった。
あの初戦から、彼はたいていの人間より圧倒的に強いことを自覚してしまった。
少年は生まれながらに強すぎた。
でも彼が望んだのは凌ぎを削る本気勝負。
「ハァ……ハァ……わかったわ……」
「……?」
「でも約束して……。ロアくんが望み通りに負けられたら、絶対わたしの元からいなくならないって……ずっと一緒にいるって……辛いことも、悲しいことも全部分け合うって……」
リンピアは唇が切れて血が垂れていた。
声を出すたび、吐息に擦れて口の傷が痛む。
ロアは言葉の意味が解らず、首を傾げた。
「いいわね……? わたしが……この先ずっと楽しいこと教えてあげるから……」
「保証はしないが、なんであれ俺を斃すなら恩の字だ」
ロア・オルドリッジに敵う者は存在しない。
彼は世界最強だ。少なくとも今は。
リンピアは片脚のターボジェットに魔力を通して機動させた。エンジンが唸りを上げて高速の足蹴りが正面のロアに放たれた――。
「……?」
ロアはその攻撃を軽く片手で受け止めた。
何のつもりだ、と無下に扱う。
そこに、もう片方の脚部ジェットで追撃の蹴りがいく。
リンピアはその両足が浮いた状態で両足のジェットを呻らせ、背後に跳んだ。
さらに魔砲6つを差し向けて地面に一斉掃射。
粉塵を舞い上げた。
これがリンピアにできる時間稼ぎの限界だ。
――彼の望郷の思いをリンピアも知っている。
父親と二人で星空を眺めた屋根の上。
あの夜、父親の瞳に映る無限の世界に憧れた。
届かぬ星明かりの先に、未知なる世界が広がっていると心躍らせたのだ。
だからロアは父親の後追いを始めた。
リンピアはロアとなるべく距離を空けて、彼女だけの詠唱を開始した。
荒野には風が吹き荒び、リンピアを中心につむじ風から竜巻へと変化していく。
赤黒い魔力が凝集し、竜巻に吸い上げられた。
紫電を巻き散らしてそれを描く――。
魔力は十分だ。
あれと同じ材質はロアから供給される。
「わたしが、あなたの理想に会わせてあげる」
紡ぎ出すのは彼の理想の体現。
この荒野と骸の山はその舞台に相応しい。
何度も転んで、這いつくばって、それでも諦めずに前に進んだ男がいた。
そうして理想に行き着いた男はただ一人。
ロアには決して成れない存在。
最強には理解できない真の"敗北者"を喚びつける。
それがリンピアが描く最後の魔法。
存在の有無に関わらず、生死を問わず、実在を空想するだけの"絵空事"の極致――それが『無の存在証明』の神髄だ。
「お願い。ロアくんを救ってあげて……!」
手を伸ばし、祈りを込めて告げた。
救世主を喚びつける。
既に、その男と口約束で絆を結んでいる。
それこそ今より数十年も昔に。
ばちばちと紫電が弾け、赤黒い流砂の竜巻はぶわりと弾け飛んで解放された。
その中で屈強な男が一人、整然と立っていた。
ロアは何かの直感で危機感を覚えたか、リンピアのもとへ足早に迫っていたようだが、煙から現れた男の存在に驚愕して、足を止めた。
「魔力が一気に……。何を……した……?」
「ふー……」
リンピアの『無の存在証明』は召喚に近い。
描いたモノはすべて本物を創り出す。
それが人間一人を描いた場合、抜け殻の肉体のみならず、オリジナルと感覚を共有する個体を生み出す。
故に、そこにいる男は正真正銘の本物。
ロアが理想とし、そして汚名とも呼ぶ父親。
――ロスト・オルドリッジだ。
「ようやく俺の出番か」
浅黒い肌に黒い魔族紋章の入れ墨。
悪役めいた禍々しい容姿だが、ロストはこの場で誰より頼もしかった。