Episode39 空虚な世界にて
歯車が精確に時を刻んでいた。
現実世界に戻ってきたリンピアは、無機質な音が響く時計台の機械室で、直前の憧憬に思いを巡らせていた。
「そうか。そうだったんだ……」
ロストが現れない理由がわかった。
80年前がターニングポイントだ。
あの夜、親子の仲違いがあった。
今でもロストは、あの白い世界で独り、何十年も待ち続けているのだろう。
一方、ロアは【七つ夜の怪異】という永遠に繰り返す20年周期のお祭りの掃除屋を任された。
"以来、俺はこの怪異に80年も囚われたままだ。第一夜で出会った屍と同じだよ"
ロアはとっくに自白していた。
あれは形容ではなく、本当にそういう役割で怪異に喚ばれるのだということ。
問題は、彼に自覚があったかどうか。
なかったかもしれない。
あるいは忘れていたとか。
これまでの反応を見るに、肝心な部分は記憶から抜けていたように思える。もし気づいていたのなら、ずっとリンピアのことも騙して――。
「ううん、そうじゃない。そうじゃないよ」
首を振って再思考。
リンピアは何度も何度もやり直す。
たくさんの情報に踊られ、本当に大事なことを掴み損ねそうになる。
ロアはずっと守護者として生きてきた。
冷静な判断力と土壇場の器量は、守護者の経験で培った彼の強みだ。
だが、感情がないから誰の味方もしない。
80年前、土壇場でロアはリルガに味方した。
リルガの誘う"黒点"に救うべき世界が広がっていると思ったからだ。
根底にはきっとロアにも願望があった。
人を救いたいという願望が。
それが叶うなら親と対立してもいい。そういう決断をロアはした。
結果、ロストは空白の世界に取り残された。
そうして彼ら一家はバラバラに――。
だったら、リンピアはどうする。
決まってる。やることは一つだ。
「……」
時計台の裏では静かに歯車が回り続ける。
来たとき一緒だった彼はもういない。
もし騙されていたのだとしても、それでも彼と過ごしたこの数日間は偽りじゃなかった。
「ロアくん、待っててね」
リンピアは外に出て、夜風が吹き込む時計台屋上から街を一望した。
夜景を彩る灯りが、いつもより少ない。
○
リンピアは街を駆け回った。
もうそこは見知った景色ではない。
街に並んでいた集合住宅や店の数が軒並み消えている。
「どうして……?」
嫌な予感がした。
アールグリッジは平穏そのもの。
街道の名前はそのままで、標識にもここがアールグリッジの街であることを示す看板がいくつも見えた。
だが、リンピアの知る街とは違っていた。
考えられる原因はただ一つ。
「怪異による神隠し……」
それがついに街にまで及んだ。
あらゆるものが消え、人の数も減り、辻褄合わせに家の軒数も変化している。
リンピアはエスス魔術相談所に向かった。
景色は違ったが、住所から所在地を探した。
事務所自体が無くなってたらどうしようと思ったが、幸いにも存在した。
慌てて駆け込む。
表札が『ソフィア探偵事務所』になっていた。
「ソフィアさん、怪異が街に!」
入ると内装がすっきりしていた。
世界中からかき集めた魔道具で散らかっていた部屋が、今は見る影も無い。所長の椅子が回り、ソフィア本人が姿を見せた。
ソフィアは"魔剣持ち"だ。
その効力でリンピアと同じように【七つ夜の怪異】の記憶は護られているはず。
「ん……?」
「怪異がそこまで迫ってます。街も変です!」
「きみは誰だ?」
「え……」
ソフィアが惚けた顔を向けてきた。
魔剣の効力なんて丸っきりだった。
「忘れてる……。ちょっと失礼します」
リンピアは無遠慮に事務所に上がり込み、ソフィアに近づいた。驚いたソフィアは机の引き出しから銃を抜き、突然の侵入者に銃口を向けた。
「ストップ。可愛い顔して深夜強盗かい?」
「ソフィアさんこそ動かないでください」
リンピアも所長に託された魔導銃を出してソフィアに向けた。ソフィアは目を丸くした。
「なんだそれ? オモチャか?」
「この魔導銃、ソフィアさんに借りたんですよ」
「私に? 私の銃はこれ一丁だけだ。というか、なんだマドウジュウって?」
ソフィアが動揺してる隙にボディチェック。
魔剣ケアスレイブがない。愕然とした。
「そんな……。奪われた……?」
「落ち着け。珈琲でも飲んでいくか?」
怪異どころか、リンピアすら忘れられた。
そんな状況で話してどうなる。
客の1人として扱われ、それは大変だったなと他人事のようにお悩み相談から入るに決まってる。
「とりあえずそのオモチャは置け」
「オモチャじゃありません! 魔力を凝縮させて弾丸魔術の威力を高めるんです」
「は……? 魔力? バレッタ?」
ソフィアは呆然としていた。
そんな様子の所長を見てリンピアも驚く。
記憶改竄によって魔導銃を知らなかったことは百歩譲ってアリだとしても、魔力の存在を知らないというのはおかしい。
魔術の存在は一般的に知られている。
魔力を知らないというのは、世間の常識すらないということになる。
「嘘。嘘嘘嘘……。もしかして……」
リンピアは試しに炎魔術を試してみた。
弾丸魔術は単なる魔力の結晶体。
各属性の球体を創り出す初歩の魔術だ。
それが不発に終わった。
初歩中の初歩を失敗するはずがない。
「ま、魔力が……なくなってる……!」
魔力そのものが神隠しによって消えた。
現実は既にその域に達していたようだ。
「これ、亜人種のときと同じ……」
常識だったものが空想に変わっていく。
リンピアも亜人種の存在は御伽噺だと思っていたが、本当は実在した。今のソフィアにとっては魔力や魔術自体が御伽噺になっている。
「何だというんだ? アレでも吸ってるのか?」
「すみません。間違えました……」
「間違いのようには見えないが」
「ごめんなさい!」
「あ、おい――」
それだけ言ってリンピアは通い慣れた魔術相談所を後にした。
リンピアは街を何ヵ所か巡ってみた。
お気に入りのブティックショップが無くなっていて、ロアと2人でアイスを食べた中央公園も無くなっている。
アールグリッジ市商会の象徴的存在、トイリ家の屋敷も廃墟になっていた。シグネ・トイリはどうなってしまったのだろう。
心細くなってきた。
もうこの世界には何もない。
神霊も精霊も魔力そのものも、いかなる超常、多様な超自然的文化が丸ごと消えてしまった。
「嫌だ……嫌だよ……!」
リンピアが好きだったもの、夢中だったものが軒並み消滅していく。
最後、『喫茶・月光亭』の場所に行き着いた。
喫茶店はそのまま存在した。
中ではちゃんとイルマが店主をしていた。
「あ、リンピアじゃない。いらっしゃい」
「イルマ……」
親友は相変わらず親友でいてくれた。
リンピアはショック状態で言葉が出なかった。
静かにカウンター席に着いた。
「どうしたの、青い顔して?」
もう閉店だけどサービスでこれ、とイルマは心配して珈琲だけ出してきた。
沈黙が続く。
イルマも気まずそうに店仕舞を再開した。
「イルマ、ここ、アールグリッジだよね?」
「何言ってんの。当然じゃない」
「わたしたち、孤児院で友達になった」
「うん。だからなに?」
「……はぁ」
安堵で涙が出そうになった。
自分を昔から知っている存在が一人いれば、あっさり人は居場所を手に入れた気になる。
「なんか様子が変ねぇ。悩みなら聞くわよ」
悩みは人に言えない。
魔術の存在すらなくなってしまった世界で、リンピアの話を誰がどう信じてくれるというのか。
それは親友だとしても同じだ。
「ありがと。なんか全部うまくいかなくて……」
「ふふ、リンピア不器用だもんねー」
「不器用で悪かったわねっ」
「ううん、そこが良いというかなんというか。手先は器用なくせに性格は不器用だから、ギャップが良いのかしらね」
イルマはリンピアの腰を指差した。
そこに肩から提げた画材が吊り下がっている。
手先の器用さとは、絵のことを言っている。
「リンピアは探究心だけ人一倍強くてマメにスケッチばかりしてたもんね。なんだっけ」
イルマは天井に視線を上げた。
リンピアの癖を指摘しようと何かを思い出そうとしている。
「"見つけたら見失う前に記録する"」
「あ、それそれ。口酸っぱく言ってたわね」
イルマは、今回は何を見つけてきたのかしら、とリンピアのスケッチブックを取り上げ、ぱらぱらとページをめくり始めた。
「綺麗……。写実主義はやめたの?」
「ん、どういう意味?」
「なんか創造的な絵ばっかりだから」
イルマが捲るスケッチブックには、これまでの七つ夜の怪異で急いで描き起こしてきた風景画が何枚も収録されている。
リンピアは単純に風景画を描いてきた。
七つ夜の怪異の映し出す幻想風景は、今の現実世界では創作された世界に見えるのだろう。
「ふーん。それでこの男前は誰?」
イルマは、スケッチブックのほぼ最初に描かれた男の描画を開いて見せてきた。
彼と出会った翌日に描き起こした肖像だ。
やはり無機質な顔をしている。
リンピアが出会ったこの時より、ずっと昔からロアは満たされない日々を送っていた。
「ロアくん……」
「誰だって?」
「ううん。なんでも。理想の人を描いただけ」
「へえ、こういうのが好みなんだ?」
リンピアはこくりと頷いた。
そうだ。好みも好み。憧れの男性像だ。
彼はリンピア以上の不器用さで、遠回りに自分の理想を追いかけた。
ロアのことは責められない。
たとえリルガに与したとしても、葛藤の中で彼が導き出した最善がそれなのだ。
だからリンピアはロアのすべてを許す。
許した上で、彼の最善を上回る最善をこっちから提示してやるつもりだった。
「――また絵を描けばいいんじゃない?」
「え?」
イルマが脈絡なくそんな提案をしてきた。
「悩み。描いて描いて描き続けて、そうすれば道が開けるかもしれないわよ」
「…………」
「趣味に没頭できれば、嫌なこと忘れるものじゃない?」
良い親友に巡り合えたものだ。
リンピアは心底思う。
「ありがと、イルマ。もう大丈夫よ」
リンピアはカウンター席を立った。
またね、と、この世界の親友に別れを告げた。
もう二度と会うことはないだろう。
行く宛なんかない。
当然だ。自分の家の場所すら知らない。
少なくとも、この空虚な世界では。
ただ、帰る場所はなくても向かう場所はある。
喫茶店の扉を開けて外に出ると、普段見ているアールグリッジの夜空より、星が綺麗に見えた。
壊れてしまった世界にも綺麗なモノがあった。
それだけで勇気が湧いてきた。
――さぁ、彼を迎えに行こう。




