Episode38 誰彼考察Ⅴ
空白な世界を2人で歩いていく。
やがて真っ白な地面は石畳へ姿を変え、正面には聳え立つ白亜の城が出現した。
彫られたように空間に浮かび上がる城。
それはロアも幼少期によく見て育った、エリンドロワ王城の模造品だった。
そこは数百年前のエリンドロワ王国首都。
行商人が騒がしく行き交い、活気に満ちて平和な光景だった。
「この世界が窮屈に思ったことはない?」
リルガは当時の言葉のまま尋ねてきた。
確かに世界は彫刻のようだ。
ロアは、きみの言葉だったのか、と驚くような顔でリルガを見返した。
もうとうに忘れてしまっていた言葉の中で、その言葉だけは記憶の片隅に残っていた。
「今後こそ私が貴方を英雄にしてあげる」
「……そうだったな」
そんな約束を思い出した。
◆
80年前、ついに怪異の発生源を突き止めた。
北レナンサイル山脈麓のメトミス峡谷。
峡谷はまるで陰の世界だ。
ロストは五人の賢者たちの協力を得て、ようやくその地が、かつて女神が祀られていた遺跡と同じ霊脈を辿ることを明らかにした。
しかも現在、その近隣の町で殺し合いが起こっているということだ。
ロストとロアの親子は事態を収拾させるため、メトミス峡谷へ出向いたが、到着する頃には既に町民のほとんどが消え、遺された数名の住民だけで争っていた。
「なんだこれ……」
ロストが血みどろの戦いを見て愕然とする。
ロアは冷静に判断を煽いだ。
「どうする?」
「ひとまず暴動を止める。ロアは町に生き残ってる人がいないか見てきてくれ!」
「了解」
ロストは力づくで住民の暴動を止めた。
時には手荒い真似もした。
ロアは血塗れの民家を回り、生存者を探した。
だが、大量の血痕はあっても、生存者どころか遺体すら発見できなかった。
一夜明けると、たちまち町が綺麗になった。
血濡れの民家は綺麗さっぱり消え、町は、ぽつぽつと家が点在するような集落に変わり果てた。
不自然なことに住民も冷静で、昨晩の出来事が嘘のように、村は元からこうだと言い出すのだ。
故人を悼む様子もない。
誰も死んでおらず、家の数も正しい、と。
だが夜になるとまた元の町に戻り、血生臭い町の中で殺し合いを始め出すのだ。
これはリンピアの言っていた通りの怪異だ。
未来からの警告が的中した。
ロアはまだ話が通じる者に、怪異が発生している夜間に聞き込みを開始し、走り書きでこれまでの起こった狂騒の数々を書き留めた。
それが【メトミスの怪】を世に知らしめたメモとなった。
最初の夜から数えて七つ目の夜となった。
2人がメトミスの町に到着したとき、既に第五夜を迎えていた。
生き残った住民はたったの3人。
次はどんな悪夢が襲ってくるのだろう。
――ロアはこのとき、自分自身が何かを期待していることに気づいた。
退屈な人生に襲ってきた怪奇現象。
もしかしたら、生まれて初めて何かを成し遂げることができるのではないか。
達成感を得られるのではないか。
そんな淡い期待があった。
第七夜は、それまでと様子が変わっていた。
第五夜や第六夜で続いた血生臭い町の殺し合いの風景と打って変わって、殺風景な空間がひろがっている。
ロアは白い空間に居た。
遠くに浅黒い肌の少女が立っている。
ロストと同じ魔族紋章の入れ墨まである。
何とはなしに近づくと、少女は顔を上げ、問いかけた。
「この世界が窮屈に思ったことはない?」
「……。ふむ、そうだな」
ロアは周囲を見回してから感想を伝えた。
「全面が白というのは圧迫感がある。もう少し間取りを広げて青空や深緑を取り入れれば、空間に奥行きが生まれて見栄えがよくなるだろう」
「貴方、よく天然って言われるでしょ……」
「さぁ。変わり者と言われたことならある」
ロアはこんな風に応対しながらも、少女に警戒心を抱いていた。十中八九、元凶だろう。
おそらく連日連夜続く怪異の主犯。
油断を誘うために恍けてみたまでだ。
「ふっふふ、面白い人。――ところで貴方の願いだけど、私が叶えてあげるって言ったらどう?」
「願い……。俺に願いなんかない」
「ウソ。私はすべて知ってる」
「なにをだ?」
「貴方はこの怪異にワクワクしてる。違う?」
ロアはぴくりと眉を動かせた。
少女はロアの願望を嗅ぎつけていた。
言われて初めて自覚した。
「私はね、世界の裏側で活動する守護者なの」
「守護者? 俺たち家族と同じようにか?」
「そう。ほら、この魔族紋章が証拠。女神の眷属の証。あなたのお父さんにもあるでしょ?」
少女の肌にびっしり刻まれた魔族紋章。
確かに父親と同じ。
ロアは古代魔族語も読めるが、『女神』の刻印があることも確認した。本物だ。
「世界には裏があるのか? 初めて聞いた」
「何百年生きても気づかないこともあるわ」
「具体的には何をしている?」
「あれを見て」
少女は後ろを指差した。
白い空間の中、ぽつりと黒い穴が開いた。
まるで窓のようだ。
目を凝らすと、黒い穴の向こうに人がいることがわかった。純粋な人間もいるが、ちらほら巨人族もいる。かなり前に抹消されたはずの種族だ。
「あれは……」
「私は現実では不遇な個人や種族を保護して、あの先の世界へ昇華させて楽園を提供してる」
「楽園? 随分と強引なやり方だな」
それで本当に彼らは幸せなのか?
ロアもこれまで正義の在り方について考えさせられる場面を幾度も経験した。
手を差し伸べるだけが助けではない。
時にはそれは人を不幸にするのだ。
「それで、あなたにはあの裏世界の人助けを手伝ってほしいの」
「人助け? なぜだ?」
「現実世界にも欠陥があるように、楽園には楽園の欠陥がある。欠陥は強敵となって襲いかかることもあるし、私は戦闘型じゃないから、返り討ちにされてしまうの。でも貴方は強いから対抗できるでしょう」
それは魅力的な提案だった。
現実世界は退屈だ。ロアにとっては。
「だが、表の世界のあの怪異はなんだ? 死人も出ている。楽園へ誘うために犠牲が必要というのなら、それは守護者の信条に反する」
「七つ夜の怪異のこと?」
「七つ夜の怪異……というのか」
「あれはね、昇華に必要な手順の一つよ。現実では死ぬかもしれないけど、新しい世界に旅立った彼らは幸せになれる」
肉体の軛から解き放たれ、裏世界の住民になれば楽園が待ってると云う。
昇華した人間は現実で忘れられてしまう。
ある意味、誰も不幸にならない。
人類救済を天秤にかけたとき、この世界分割の選択は悪くない手法だとロアは思った。
「ふむ。そういうことなら――」
「騙されるな!」
背後から慣れ親しんだ父親の声が響いた。
白い空間にメスが入るように赤黒い剣が突き出て、無理やりこじ開けられた。
「はぁ~。やっと隙間を見つけた」
ロストが隙間に体をねじ込み、白い世界に入ってきた。
「親父。この少女を知ってるのか?」
「あぁ。古い知り合いだよ」
ロストは少女を睨んだ。
同じ魔族紋章の刻印を宿した2人。
まるで同胞のようだが、今は対立している。
「やぁ、イザイアくん。調子はどう?」
少女はロストのことを旧名で呼びかけた。
もうどれほど昔のことだろう。
そう親しげに呼ばれていた頃があった。
ロストが運命に翻弄される前、純粋に魔術研究をしていた頃の話。
……イザイアとして生きていた頃の話。
「リンダ、お前だったのか」
「覚えててくれたんだ。嬉しいな。もう他の女の子との思い出に塗りつぶされて、忘れられてると思ってた」
少女は茶化すような口ぶり。
ロストは動揺して唾を呑み込んだ。
修羅場なのだろうか。ロアも人知れず気まずさを感じていた。
「……俺も最初は全然気づかなかったよ。当時、リンジーとして人生をやり直していただけかと思ったけど、俺と一緒だったんだな。女神にオリジナルの魂を引っこ抜かれて、そのままにされてたのか」
ロアは首を傾げた。
知らない名前が飛び交っている。
リンダとは誰なのか、リンジーとは誰なのか、ロアには分からない。
「昔から変わらず察しがいいね。でもイザイアくんはまだいい。時間魔法を手に入れたんだから。苦難はあったかもしれないけど、夢は叶えた」
リンダと呼ばれた少女は目が笑ってない。
絶望と憎悪まみれの光のない眼をしている。
「私はどう? 何もなかった。代償どころか、ただ損しかしてない! リンジーって誰のこと? そんなの私じゃない。私はそんな女の子は知らない! なんで何も満たされないまま、死ななければならないの!」
慟哭は白い空間を震わせた。
とてつもない瘴気だ。
少女自身が楽園だと紹介した"黒い穴"は拡張してその先の闇を垣間見た。そこから黒い魔力が吹き荒んで白い空間に流砂となって襲いかかった。
「くっ……仕方ないな!」
リンダの暴走をこれ以上見過ごせない。
ロストは疾走して遥か過去の同級生に刃を向けるため、一気に肉迫した。手には赤黒い魔剣。
――鋭い剣戟の音が甲高く響いた。
赤の魔剣と赤の魔剣の衝突音。
そこには同じ魔剣で受け止めるロアがいた。
「な……なにしてんだ、ロア!? 退け」
「本当にこの少女を殺す必要があるのか」
「リンダはもう死んでる! 今そこにいるのは怨霊みたいなもんだ! 怪異の元凶が怨霊のせいなら、早いとこ始末しないと被害が拡大するぞ」
交差する剣越しに鬩ぎ合う2人。
両者、神性と虚数魔力の保有者で力は互角。
戦えば長期戦は余儀なくされるだろう。
「本当に被害と言えるのか? あの黒い穴の先には昇華できた人間が生きてる。現実が表なら裏のような世界だそうだ。そこで平穏に暮らせる状況を被害といえるか?」
ロアは2本目の魔剣を生成した。
姉譲りの双剣スタイルだ。
その刃がロストの剣柄を弾き、ロストは得物を失った。
「だから騙されるなって! そんな嘘を見破れないようなお前じゃないだろ! 冷静になれ!」
ロストはさらに魔剣を生成した。
一刀流で生きてきたロストは、双剣の剣技ではロアに劣る。空中から剣の雨を降らせて補った。
「――――!」
ロアは剣戟の雨を双剣ですべて叩き落とした。
息つく暇もなく、ロアが顔を上げたときに父親の膝蹴りが飛び込んできた。
それをロアは片手で掴み、受け流すように反対方向へ放り投げた。
「冷静じゃないのは親父の方だ。自分の過去が関わると、まるで拒絶反応を起こしたように決断を急ぐ」
ロストは舌打ちして立ち上がる。
「お前こそなんでリンダに肩入れするんだ」
「……」
ロアは少女の悲痛な叫びに共感した。
満たされないまま生きていく。それは辛い。
誰よりその苦痛を知っていた。
事務処理のように世界の調和を整えるとき、心の底から手を差し伸べたくなる相手がいる。
リンダもその一人だった。
このまま始末するのはあまりに酷い所業。
この世に存在する生命体は皆、平等に充足感を得る権利がある。
ロストも根底にはそんな考えがあるだろう。
だが、今回は未来の状況をリンピアに既に聞いたという逼迫した環境で決断を早めた。それがロアのような傍目には、焦って決断したように映ったのだろう。
この対立は、最初の印象の差だった。
「息子さんの方が優秀だね」
リンダの声が耳元に届いた。
とても遠くにいる彼女が、まるで近くで囁いたかのように聞こえた。
「なに――」
「ま、これはイザイアくんのせいでもあるし、同情しないよ。今はイザイアくんに私と同じ状況を味わってほしいとすら思ってるくらいだし」
リンダはロアの近くに寄り添った。
背後には黒い穴が拡大し続けて、2人を呑み込もうとしているのが見えた。
2人が世界の裏側へ溶け込もうとしている。
息子が奪われるような気がした。
「ロアをどこへ連れていく気だ!?」
「大丈夫。悪いようにはしないよ。現実の掃除屋より、楽園の掃除屋の方が楽しいでしょ。そういうことをしてもらうだけだから」
ロアはそれが意思のように抵抗しなかった。
「それより自分の心配した方がいいんじゃない」
ロストははっとなった。
2人まで距離がある。このまま黒い穴の先にリンダもロアも行ってしまったら、この空虚な世界に取り残されてしまう。閉じ込められる。
「マジか。ちくしょう!」
ロストは自分が出せる限界の脚力で走った。
だが、黒い穴は急速に閉じていく。
「チッ――――止まれ!」
ロストの十八番、時間停止魔法。
それを展開したはずなのに黒い穴の閉鎖は止まらなかった。
「時間の概念が存在しないのか……」
時間がなければ時間魔法は無意味だ。
飛び込もうとする直前で、穴は完全に塞がり、何もなくなってしまった。
リンダもロアも消えた。
白くて何もない空間で一人になった。
「嘘だろ……」
魔剣を生成しても切れ目が見つからない。
空振りに終わる。
こんなところに長時間いれば発狂モノだ。
「おおおーーーーーい!」
声の反響もなかった。閉じ込められた。
魔剣を生成して適当に振り回してみたが、綻びはどこにも見つからない。完全に詰みだ。
うな垂れていたとき、地面に白い紙きれが落ちていることに気づいた。白に同化してまったく気づかなかった。
『ロストさん
試したらできました。
まかせてください リンピア』
紙にはそれだけ書かれていた。
リンピアはこのだいぶ前、それこそメトミス峡谷に来たときからロアに憑依していて、ひそかに伝言を用意していたのかもしれない。
それはもう彼此150年ほど前にロストからリンピアに依頼した怪異実験のことだ。そんな遥か昔に用意した切り札がここにきて芽が出ている。
「は、はは……! リンピア……きみは……」
リンピアはここでのやりとりも見たはずだ。
だったら必ずやり遂げてくれるだろう。
そんな信頼感があった。
まだ全て諦めたわけではない。
ロストには未来に託した希望の女神がいる。
それだけで、この白い虚無な世界が何百年続いても耐えていけそうだ。




