第4話 夏祭りの揺らめきと、届いた手のひら
七月下旬。期末テストを無事に終え、校庭のセミの声が一層大きくなった頃、街には夏休みの気配が満ちていた。
「真央、今週末の神社の大祭、一緒に行かないか?」
放課後の図書室で、返却本を棚に戻していた真央に、葵が当然のような顔で声をかけてきた。
「祭り……? クラスのやつらも行くのか?」
「いや、最初はそうしようかと思ったんだけどさ。みんな部活の遠征とか家族旅行とかで都合が合わなくて。……だから、真央と二人で行けたらなって」
さらりと告げられた言葉に、真央の手がぴたりと止まる。
以前の真央なら、「男同士の友情」か「女子としての警戒」の間でパニックを起こして断っていただろう。だが、雨の日の教室での対話を経て、二人の間には心地よい信頼感が芽生えていた。
「……別に、いいけどな。変に騒がしいところじゃなきゃ」
「本当か!? やった、絶対楽しいからさ!」
少年みたいにはしゃぐ葵の笑顔に、真央の胸が小さく温かくなる。
(俺も、ずいぶん毒が抜けたもんだな……)
心の中で苦笑しながら、真央は己の変化を穏やかに受け止めていた。前世の三十代男のプライドを盾にして意地を張る必要は、もうどこにもなかった。
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祭り当日。真央は自室の姿見の前で、ため息をついていた。
母親に「せっかくなんだから着ていきなさい」と半ば強引に着付けられたのは、淡い藍色に白百合が描かれた浴衣だった。帯は落ち着いた赤。鏡に映る自分は、どこからどう見ても、しとやかで可憐な女子高生そのものだ。
(……男の記憶を持つ俺が、こんな格好して夏祭りかよ)
自嘲気味に呟きつつも、髪を少しアップにしてうなじを出した姿を見つめる胸の奥で、小さな声が聞こえた。
『葵は、どんな顔するかな』
それは、前世の男の思考ではなく、紛れもなく「新開真央」という少女の素直な願いだった。真央は照れくさそうに頬を掻き、下駄を鳴らして家を出た。
約束の駅前につくと、すでに葵が待っていた。私服の葵はいつもより少し大人びて見え、待ち合わせの人波の中でも一際目を引いていた。
「……蓮見」
声をかけると、葵が振り向いた。
そして真央の姿を見た瞬間、葵の動きがピタリと止まり、目を見開いた。
「……あ、あのさ。ヘンか? やっぱり浴衣なんて慣れないから……」
気恥ずかしさに耐えかねて真央が目を逸らすと、葵は慌てて首を振った。
「っ……全然ヘンじゃない! すごく……すごく綺麗だ、真央」
耳まで真っ赤にして呟いた葵の言葉に、真央の顔も一気に熱くなる。
「綺麗」という言葉が、こんなにも胸を締め付けるものだとは知らなかった。前世で誰かを褒める立場だった自分が、今やたった一言で翻弄されている。
神社へ続く参道は、色鮮やかな露店と大勢の人出で賑わっていた。
たこ焼きや綿菓子の匂い、太鼓の音が心地よく響く。歩幅の違いや下駄の歩きにくさを気遣うように、葵は自然と真央のペースに合わせて歩いてくれた。
「ほら、真央、金魚すくいあるぞ。やっていくか?」
「俺、前世……じゃなくて昔からこういうの得意なんだよ。見てろって」
真央が腕を捲くって本気でポイを握ると、葵は楽しそうに笑った。そんな些細なやり取りの一つ一つが、真央にとっては愛おしく、輝いて見えた。
だが、境内の本殿に近づくにつれ、人込みは一層激しさを増していった。
突如、背後から押し寄せてきた人の波に揉まれ、真央の足がもつれそうになる。
「っと……! あぶない」
次の瞬間、真央の右手を大きな温もりがしっかりと包み込んだ。
「逸れたら大変だろ。……こうしてていいか?」
葵の大きな手が、真央の小さく華奢な手を包み込んでいる。
男同士の手繋ぎなら違和感と拒絶しか生まれないはずの行為。しかし今、真央の指先に伝わってくるのは、葵の確かな熱と、愛おしさだった。
(ああ……俺、本当に葵のことが好きなんだな)
男としての記憶も、女としての身体も、すべてを含めた「新開真央」という一人の人間として、真央は自分の恋心を完全に受け入れた。真央は照れながらも、葵の手を小さく握り返した。
葵の身体が一瞬強張り、それから嬉しそうに握り返す力が強くなった。
二人はそのまま人混みを抜け、境内裏手にある小高い丘へと向かった。そこは街の夜景が一望できる、隠れた穴場スポットだった。
どーん、と腹に響く音が響き、夜空に大きな大輪の金色の花火が咲いた。
「綺麗だな……」
真央が夜空を見上げて呟くと、葵は花火ではなく、真央の横顔をじっと見つめていた。花火の光に照らされる真央の顔に、葵が静かに口を開く。
「真央」
「ん……? なんだよ」
真央が振り返ると、葵の瞳には真剣な色が宿っていた。
「俺、真央と出会えてよかった。最初はおもしろいヤツだなって思ってたけど……いつの間にか、真央のことばかり考えるようになってたんだ」
葵が真央の手を握る力に、ギュッと熱がこもる。
「……真央が好きだ。俺と付き合ってほしい」
夜空に散る花火の光の中で、真央の胸は高鳴り、涙がじわりと目頭に浮かんだ。
葛藤の末に見つけた「今の自分」で、真央は葵の真っ直ぐな想いに応えようとしていた。




