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第7話:やぶられる静寂

昼下がりの森の家。

レンは完成した自動菜園を見つめながら物思いにふけっていると、不意に、右手の甲に鋭い疼きが走った。


「うっ……」


レンの頭の中に膨大な「雑音」が雪崩れ込んでくる。


それは、森の理(フォレスト・マスター)の索敵能力――植物の伝言(ウィスパー・ネット)だ。


周囲の森のあらゆる植物と繋がっており、レンの脳裏に直接情報が伝わってくる。


リスク管理を徹底する臆病なレンの性格と魔法が融合し、無意識に使っている能力であった。


『……痛い。踏まれる。人が通る』


『……壊される。静寂が、外から、壊される……』


レンの顔からスッと血の気が引いた。


何てことだ……森の中に人がいる……しかも複数人。


草が踏まれ、枝が折られ、森への配慮がまるで感じられないぞ……。


この森がどれくらいの広さなのか。

この世界には他にも人間がいるのか。

レンには何もわからなかった。


この時、初めてこの世界で人間の気配を感じたのだ。


しかし、残念な事に植物たちが悲鳴と共に伝えてくるのは、明確な「侵略者」の気配だ。


「……まさか、こんなところに誰かが向かっているのか?」


こちらに向かって来ている、だが、その状況を理解ができない。

ここには自分以外誰もいないし、そもそも何もないのだ。


紋章の疼きは尚も収まらない。

家の南の方角から不吉な何かが向かっているような気がする。


だが、その不快なノイズの中に、今にも折れそうな弱々しい存在も感じた。


まるで荒野に咲く、一輪の「孤独な花」のようであった。


一人?怯えてる?隠れてる?


その花は絶対に枯らせてはいけない、そう思った瞬間、右手の紋章が温かく熱を帯びた。


「一体……何だ?何が起きているんだ?」


何が何だかわからなかった。


昨晩感じた焦燥感といい、何か良くないことが起きているとしか思えなかった。


何かじっとしていることもできないが、何をしたらよいのかもわからない。


「……何でもない。気のせいだろう……」


レンは強く自分に言い聞かせた。

しかし、どうしても無視することはできなかった。


何となく、南の方角に顔を向けてみる。


彼の脳内で葛藤が始まっていた。


今はもう異世界で隠居中の身なんだ。

前世のようにトラブルに巻き込まれるのはごめんだ。


一人で生きたいんだ。

誰も邪魔をしないでくれ。

何があろうと首は突っ込まないぞ。


そうはいっても、放っておいてはいけない。

何もしないと後にやっぱりああしておけばよかった、と後悔することにならないだろうか。動かないと不安だけが残ることもあるぞ。


レンは一つ大きく深呼吸をし、グッと拳を握りしめた。


「……確認しよう」


嫌な予感がしたときはまず第一に現場の確認をすること、それが彼の前世での信条であった。


万が一トラブルが発生した時は早めに手を打つことが肝要だ。

ほっておけば顧客からのクレームに発展しかねない。


そうと決まると、レンは南の方へと歩き出していた。


家から出てすぐ、大きなシダの葉をかき分けた先、そこには見たこともない小動物たちが倒れていた。


それは、淡い水色の毛並みを持った、ウサギとリスを合わせたような不思議な生き物の一群だった。


親と思われる大きな個体が、子供たちを守るように必死に丸まっている。


どこからか逃げてきたのだろうか、疲れているように見えるだけでなく、その水色の毛並みは泥と血で黒く汚れていた。


「ん……大丈夫か?僕は悪い人じゃないよ。どこか怪我しているな」


レンは膝をついて目を合わせた。


小動物を飼ったことはないが、動物園や観光牧場によくある触れ合い広場は好きだった。

リス、ハムスター、ウサギ、ヤギなど、愛おしくてたまらなかったのだ。


「何もしないよ。怖がらなくていいよ」


小動物たちは怯えているように見える。

野生動物である彼らにとって、「人間」は冷酷な捕食者なのだろう。


よく見ると、傷から出血をしている。

そのクリクリとした瞳を見て、レンは即座に決断した。


「目の前で困っているのを放っておくと、後悔するからね」


苦笑まじりに呟くと、レンは膝をついた姿勢のまま、地面に手をつき、魔力を流し込む。


同時に、小動物たちの周囲から、彼らの種族に最も適した薬効を持つハーブが急速に芽吹いた。


しかも、レンの魔力でその効果は最大限まで引き上げられていた。


小動物たちはクンクンとハーブの匂いを嗅ぐと、葉にがぶりと噛みつき、そのまま口に入れた。


ふう……これで、傷はそのうち治るだろう。


さらに、レンは自動菜園に戻り、エナジー・ベリーを摘み、細かく砕いて彼らの前にそっと置いた。


「ほら、お食べ」


そう言ってレンは少し離れ、小動物達の様子を観察した。


一頭の個体がエナジー・ベリーに鼻を近づけ、クンクンと匂いを嗅ぐ。

そして、モグモグと食べ始めた。


すると、他の個体も集まり、同様に食べ始める。


「可愛いな……」


レンはその愛らしい姿に癒され、そして、自分の育てた果物が彼らに受け入れられたことに深く満足した。


「……キュゥ」


エナジー・ベリーに群がる姿を観察していると、一番小さな個体が、おずおずとこちらに寄って来る。


「どうしたんだい?」


優しく話しかける。

すると、まるでお礼を言うようにレンの指に鼻先を寄せた。


「っ……!」


レンはびくっとして、反射的に指を引っ込めようとした。


異世界の未知の動物に触れるリスクが頭をよぎる。


見たこともないような病気にでもなったらどうしようか……。


だが、それについては気にしないことに決めた。


純粋にかわいかったのだ。

そして、この世界に来てからの初めての動物とのコミュニケーションでもあった。


自然と強張っていた頬が緩み、そのまま小動物の頭から背中をやさしくなでた。


「……よしよし。もう大丈夫だよ。怪我が良くなるまでここに居ていいからね」


しばらく彼らの様子を観察した後、レンは彼らを促し、家の前へと誘導した。


自分でも、よく分かっていた。

一人で静かに生きたいと言いながら、こうしてまた「誰かのため」に動いている。


でも、結局はそんな自分が好きだった。


ビジネスマンとしては落第点だと、上司に怒られるかな。

でも、情けは人の為ならず、という言葉もあるさ。


エナジー・ベリーを美味しそうに頬張る小動物たちの姿を見ていると、不思議な感覚に包まれた。


前世の激務で凍りついていた心が、春の雪解けのように少しずつ、確かに温まっていくのを感じたのだ。


「……ありがとうな」


レンは、夢中で果実をかじる彼らを見下ろしながら、感謝の言葉を口にした。


そして、彼らが夜の冷気に凍えないように、より柔らかく、保温性に優れた最高級の苔のベッドを、テラスの隅に生成した。


あわよくばこのまま一緒に生活できないかと考えていた。


「一人になりたい」という切実な願いと、「誰かの為に生きたい」という願望。


レンの矛盾に満ちた第二の人生が、この静かな森の中で、本格的に動き出そうとしていた。


彼はまだ知らない。

この小さなお節介が、やがて森全体の運命を変える「最初の接ぎ木」になることを――。

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