第76話:守りたいもの
黒枯れの魔物との決戦当日。
その日も太陽は平常運転で、何事もないように地平線から顔を出している。
樹海には柔らかい陽射しが降り注ぐ。
しかし、それと同時に不穏な空気も漂っていた。
レンはベッドの上で眠りという暗闇からゆっくりと目を覚ました。
隣にはエルフの少女が丸くなって寝息を立てている。
部屋の壁の障子からは光が入り、朝が訪れていることを告げていた。
いつもであれば二度寝をするか、まだ覚めきれない眼をこするところであるが、この日だけはそうもいかなかった。
「はあ……いよいよか……」
リィネを起こさないよう、小声で呟くレン。
目を覚ましたその瞬間から、体が胸騒ぎと緊張感に襲われているのが嫌でもわかる。
ゆっくりと体を起こす。
今、寝ていたベッド、これはレンが自分のために慣れない魔法を駆使して作り上げたものだ。
昨日は一瞬で数百台ものベッドを作り上げたが、最初の一台はこのベッドであった。
この世界に転生してからこれまで、自分の睡眠を支えてくれたベッドに心のなかで「ありがとう」とつぶやいた。
レンはベッドからおり、リビングへと向かおうとした時。
「レン様……待って……行かないで……」
「えっ?」
振り返るレン。
リィネは目を閉じたまま苦しそうな表情をしてうなされていた。
レンは優しくリィネの頭を撫で「大丈夫だよ」と声をかける。
次第にリィネは安心したように安らかな表情に戻っていった。
「いつも強がって背伸びしているけど、まだまだ子供なんだな……」
リィネの寝顔を見届け、リビングに入るレン。
そこにはキッチンとテーブルが佇んでいる。
リィネが食事を作りたいと言い出し、営業マンの本領発揮とばかりに本気で作ったキッチン。
それからは毎日のように手料理を作ってくれた。
前世を生きていたころには食べられなかった、人の温かさがある手料理だった。
リィネもまた、レンのためにと張り切っている姿が可愛らしかった。
彼女らしい豪快な料理もまた、レンには嬉しかった。
その料理を食べながら他愛のない会話をしていたテーブル。
前世の仕事の愚痴ばかり話していたような気もするが、前世の生活や料理の話などもリィネは嫌な顔一つせずに聞いてくれた。
リィネもまた、シャノアにこんなこと言われた、ガストにこんなダメ出しされたと、楽しそうにレンに話していた。
このテーブルでは、時には仲間を集めて作戦会議を開いたこともあった。
リィネ、シャノア、ガスト、皆個性が強く、癖も強いが最高の仲間たちだ。
レンは玄関扉を開け、テラスへと出た。
朝の冷涼な空気がレンの体をヒヤリと撫でてくる。
同時に黒枯れの匂いが立ち込めていた。
先からは池の噴水の音が聞こえてくる。
レンの目の前には大きな菜園が広がっている。
元々は数種類の野菜や果実をレン一人で楽しむためのほんの数株だけであった。
エナジー・ベリーを一つもぎ取り、口に入れるレン。
これはレンが魔法で生み出した果実である。
体に必要な栄養素がその一粒にぎっしりと詰まっており、体中に元気がみなぎってくる。
初めてこれを食べた人が皆驚くのがまた面白かった。
菜園の脇には大きな池と噴水がある。
池の中には魚が泳ぎ、淡い光を放っていた。
また、池の上に浮かぶ葉も明滅を繰り返し、幻想的な光景を作りあげている。
この池にはレンの想いが詰まっていた。
永遠に繰り返される水の噴射。
雫が水面を跳ねる音はいくらでも聞いていられた。
この美しい池の前で、何も考えずに生きていく、それだけでよかった。
レンは池のほとりに腰をおろし、噴水を眺める。
「僕は……何をやっているんだろう……」
前世で過労死をし、気が付けばこの世界に転生していた。
運よく授かったこの第二の人生こそは自分のために生きようと、そう決めていたはずだった。
もう誰かに気を遣って、誰かの為に生きていくのは嫌だったのに。
なのに……。
噴水の水は変わらず水面を打ち続けている。
時折、黒枯れの匂いの混じる風がレンの前を駆け抜けていった。
家の中から声が聞こえる。
「レン様!レン様!」
レンが家の方を振り返ると、玄関扉を開けて出てきたリィネと目が合った。
泣きそうになっていたリィネの顔が、レンを見つけたその瞬間に安堵の表情へと切り替わる。
「リィネさん、おはよう」
リィネがレンの元へバタバタと駆け寄ってくる。
「おはようございます、レン様。こちらにいらしたのですね……」
「うん。それより、どうしたの?そんなに慌てて……」
レンの隣に座るリィネ。
「いえ、別になんでもないのです……ただ、レン様がどこかへいってしまったのではないかと思って……」
「あ、そうなの……ごめんね」
やさしく微笑むレン。
リィネもまた、ほほ笑みを返す。
朝の陽射しが二人を温かく見守る。
「レン様……私……怖くて仕方がありません……」
「うん……」
レンの服の裾をギュッと握りしめるリィネ。
「昨日みたいにレン様の足を引っ張ってしまうのではないか……また私のせいで誰かが傷つくのではないか……もしかしたら力尽きて魔物に……」
「リィネさん、そんなことは僕がさせないよ」
裾を掴むリィネの手をとり、両手で包み込むレン。
「正直なことを言うと、僕だって不安はあるよ。朝からなんか落ち着かないし……。でも、僕にはリィネさんが必要なんだ」
リィネはそのレンの両手におでこをつけた。
「でも、私は足手まといなのではないでしょうか……私がいない方がレン様は戦いに集中できるのではないでしょうか……」
「確かに僕一人で魔力全開で戦うこともできるよ。でも、そんなことをしたら森を壊してしまうと思うんだ。だから、僕はそれが正解だと思っていないし、それに……」
顔をあげるリィネ。
「それに……?」
「うん、それに、その、リィネさんの僕の為に戦いたいっていう気持ちに応えたいんだ……だから、なんて言っていいのかよくわからないけど、戦力がどうのこうのじゃなくて……リィネさんの想いを大事にしたいんだよ……」
再びレンの両手におでこを当てて顔を隠すリィネ。
「……ありがとうございます……」
「昨日の事は、僕の方こそごめん。ああならないよう、僕がもっと気を付けるべきだったんだ。安易に近接戦闘を選んでリィネさんを一人にした僕の判断ミスだった。結果としてシャノアまで巻き込んじゃったし……」
リィネは自分の手を包むレンの両手に、もう一つの自分の手を重ねた。
そして顔を上げて微笑む。
「うふふ……レン様は、優しすぎますよ。こんな時くらい、怒ってくれてもいいのですよ……」
「……それができないから苦労しちゃうんだよね……あはは……」
クスクスと笑いあう二人。
「そんなレン様だからこそみんなに慕われ、みんながついてくるのですね。私もその一人ですが……」
「それは持ち上げすぎだよ。ただみんなの顔色を伺って怒られないようにしているだけだよ」
リィネの無邪気に微笑むその笑顔に、レンはすっかり肩の力が抜けていた。
「さあ、今日も頑張ろうか。大型プロジェクトの最終章、この商談をしっかりと刈り取って、持続可能な樹海の第一歩を踏み出そう。リィネさん、力を貸してくれるかい?」
「はい!喜んで!……ただ、もうちょっとだけこうしてていいですか……」
「うん……」
二人は両手を組み合ったままお互いのおでこをその手につけ、朝の静かな時間を過ごすのであった。
その後、朝食をとり終え、シャノアからの報告を聞いて戦場へと向かうレンたち。
いよいよ、黒枯れの魔物の大群本体との決戦を迎えるのであった。




