第75話:緑の聖者と新たな避難民
巨大なアリの群れとの戦いの後、虎口の壁の修復をしているレンの元へ駆け寄るガスト。
警戒を続けていたオークの若者から、こちらへ向かう群衆の気配がするとの報告があったことを伝える。
レンの頭の上では数えきれないほどの星々がキラキラと輝いていた。
「えっ!?今度はなに!?聞いてないよ!?」
レンは突然の予想外の報告に、目を丸くして驚いた。
「心配することないニャ。彼らは敵じゃないのニャ」
いつの間にかレンのすぐ後ろにシャノアが立っている。
リィネもその脇にいた。
「シャノア……もう歩いても大丈夫?それに、敵じゃないってどういうこと?」
「心配かけたニャ。まだ違和感があるといえばあるけど、気にするほどのことじゃないニャ」
その場で軽やかにジャンプし、空中でくるんと後ろに回るシャノア。
「この通りニャ。それで、彼らは……もうそこまで来ているニャ。見た方が早いニャ」
シャノアは境界の先の森の方を指さした。
森の奥から大きなざわめきが聞こえてくる。
「茨の壁だ!ここだ!」
「噂の聖地……本当にあったのか」
「早く!早く行けって!」
茂みを掻き分け、姿を現したのはゴブリンやコボルド、種族のわからない亜人の集まりであった。
「ま、またか……」
またしても避難民かと思うレンであったが、今回は少し違っていた。
森から出てくる亜人たちが、まるで先ほど戦っていたアリの群れのように、次から次へと出てきたのである。
「お、おい……おいおいおい……何人いるんだ……」
あまりの数の多さに呆気にとられるレン。
彼らは暗がりの中のレンに気が付くと、境界をまたいでスロープを下って近づいてくる。
「緑の聖者様!」
「うわ!黒枯れの沼だ!足元に気をつけろ!」
「どうか助けてください」
ザワザワ……ザワザワ……
数百名にも及ぶ亜人たちが黒枯れの泥を避けるようにしてレンの周りに集まっていた。
彼らの視線は全てレンに集中している。
「うっ……あ……」
あまりの人数の多さに動揺し、声がでないレン。思わず後ずさりしそうになる。
その時、リィネがサッとレンの前に出てきた。
「皆さま!お静かに願います!レン様、緑の聖者様は先ほど退治した黒枯れのアリ達との戦いでお疲れなのです!」
群衆の中にどよめきが広がる。
「な!なんと!」
「あのアリたちを倒したのか!?」
「信じられん……」
ザワザワ……ザワザワ……
「静粛に!!……静粛にお願いします!!」
声を張り上げるリィネ。
「リィネさん、もう大丈夫だよ。ありがとう」
レンは落ち着きを取り戻し、周囲の亜人たちを観察してみる。
どの亜人も服はボロボロになり、体中に傷の跡や汚れがついている。
中には赤子を抱えているもの、怪我をしているもの、老人も多かった。
群衆の一番前にいた種族のない亜人の長老が一歩前に出て、レンの前で跪く。
「緑の聖者様。どうか我らをお助けいただけないでしょうか。我らは皆、ここより南の森で生活していた者たちです。この数日で黒枯れに汚染された魔物が急激に増え、それぞれが逃げ惑い、避難場所を求める中で一緒になったのです。中には怪我人も多く、突然のことでご迷惑だと思いますが、せめて同じ敷地の中にいさせてもらうだけも!後ろからは魔物の大群が迫っております!なにとぞ!」
先ほどまでのざわつきが、嘘のように静まり返っていた。
改めて周りを見渡すレン。
逃げ込んできた数百名の亜人たちは胸の前で手を組んで祈る者、土下座して頭を下げる者、歩き疲れて座り込んでいる者、涙目でレンを見つめる者など、様々であった。
しかし、最後の希望に縋りつくような必死の思いだけはひしひしと感じられた。
レンはリィネの方に顔を向けると、リィネは黙って頷く。
一つ大きな深呼吸をするレン。
「皆さま、長旅ご苦労様でした。ご安心ください、魔物の大群がここに来るのは明日の昼前です。まだ時間は充分にあります」
「おお!」
「よかった……」
ザワザワ……ザワザワ……
反応が落ち着き、少し静かになるまで待つレン。
「この、茨に囲まれた私の敷地、この中には皆さんと同じように避難してきた方々が大勢いらっしゃいます。そして、その方々は明日の戦いに備え、地下の避難所に避難してもらっています」
「なんと!」
「地下に避難だって!?」
「真っ暗で息苦しい地下牢じゃないのか!?」
ザワザワ……ザワザワ……
「地下と聞いてご不安に思われるかもしれませんが、大丈夫です。地上と同じように生活できるよう、照明もあり、食べ物もベッドもあり、充分な換気もしています。ただし、今は皆さんを受け入れるほどのスペースはありません」
「ええっ!」
「それじゃあ私達はどうしたら!?」
「どうか、俺でも助けてくれ!」
「そんなあ……」
ザワザワ……ザワザワ……
悲観する者、自分だけでも助かろうとする者、絶望的な顔で下を向く者、様々であった。
レンは一つ深呼吸をする。
「ですが、私と一つだけ約束をしていただければ、皆さまの居住スペースを用意します。難しい事ではありません」
静まり返る群衆。
皆がレンの次の言葉を待っていた。
レンは充分に間をおいてから言葉を続ける。
「……それは、種族を問わず、皆が平等である、という事です。エルフだろうがゴブリンだろうが、オークだろうが関係ありません。力が強いから偉い、何をしてもいい、なんてことはここでは許しません。ここに住む人は全員が同じで、平等です。それを、約束してもらえますか?」
周囲の反応を待つレン。
ゴブリンやコボルド、種族のわらない亜人たちはお互いの顔を見合わせ、周りの反応をキョロキョロと伺っている。
そんな中、どこからともなく声があがった。
「緑の聖者様!約束します!」
約束していいんだ、そんな雰囲気が沸き起こる。
その一言をかわきりに、次々と大きな声がレンの耳に聞こえてきた。
「俺も!」
「約束します!」
「わかりました!」
「ありがとうございます!」
レンはただ単純に嬉しかった。
死人に鞭を打つような非常な業務命令でひたすらに仕事をこなす毎日。
残業しても終わらない地獄のような日々。
誰も助けてくれる人はいなかった。
ここにいる亜人たちのように、上司も部下もなく、皆で一つになりたかったのだ。
胸からあついものが込み上げ、思わず泣きそうになるのをグッとこらえるレン。
再び大きな深呼吸をする。
「わかりました。それでは、今から皆さんを避難施設まで案内します。私についてきてください」
「おおお!!」
「ありがとうございますー!」
「緑の聖者様の噂は本物だった!」
ザワザワ……ザワザワ……
レンはシャノアの方に振り向いた。
「シャノア、悪いけど先に戻って今いるみんなに事情を説明してきてくれないか。それが終わったら展望台で監視しながら休んでていいから」
「はいニャ!」
シャノアは勢いよく駆け出すと、ピョンと跳ね、真っ暗な森の中へと消えていった。
レンは次にガストの方を振り向く。
「ガストさん、皆さんを地下の避難所まで案内してあげてください。小隊の若者たちは怪我人や病人のお世話をお願いします。僕は万が一に備えて一番最後、殿を担当します」
「はっ!王の仰せのままに」
ガストは近くにいる亜人たちに声をかけると、誘導しながら家の方に向かって歩き始めた。
オークの若者たちは声を張り上げて怪我人や孤独な老人など不自由な亜人たちを探し、一人にならないようサポートし始める。
レンは最後にリィネの方を振り向いた。
「リィネさんは僕と一緒に殿をお願い。魔物の気配を感じたらすぐに教えてほしい」
「はい!」
弓を両手で握りしめ、笑顔になるリィネであった。
「よし、それじゃあいこう」
レンとリィネは群衆の最後尾まで進み、周囲を警戒しながら家の前まで戻った。
地下避難施設の大ホールに通される新たな避難民たち。
「こ、こんな空間が地下に!?」
「これを緑の聖者様が作ったのか……」
「おい!押すなよ!」
ザワザワ……ザワザワ……
大ホールには亜人たちがごった返していた。
最後に部屋に入ったレンは周囲を見渡す。
「う~ん……さすがにこの人数だと狭いな。もう眠いんだけど……最後の一仕事、頑張るか……」
レンは人ごみを掻き分け、大ホールの奥まで進み、その壁に右手を添えた。
体から溢れ出る緑色の魔力の奔流が壁の中に流れ込んでいく。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
新たに迎えた数百名の亜人たちがゆったりと過ごせる巨大な部屋を一つ作り上げ、ベッドまで配置していくレン。
「こ、これが緑の聖者様!」
「まさに神の奇跡!」
「信じられん……こんなことが現実に……」
亜人たちは初めてみるレンの常識外の大規模魔法に驚愕の色を隠せずにいた。
「はあっ……はあっ……さすがにもう無理、こんなに仕事したら過労死しちゃうよ……」
レンはぜえぜえと息を切らしながらも自虐ジョークをぼやく。
ふと周囲を見渡すと、亜人たちが皆床に両手をつき、レンに向かって土下座をしていた。
種族のない亜人の長老が一足前に出て、レンの前で両手両膝を床につき、頭を床に擦り付けるように下げる。
「緑の聖者様、あなたが行使するという奇跡のような魔法の噂話、我々はどこか半信半疑でおりました。しかし、今、目の前でその御力を拝見し、確信しました。あなた様こそはこの樹海の神の化身。我々をお救いいただき、心から感謝し、御礼申し上げます」
レンは重い瞼と戦いながら自分に向かって頭を下げる避難民たちを見渡した。
「……とんでもありません。当たり前のことをしただけですよ。そんな、気にしないでください」
群衆はどよめいた。
「これが当たり前だとは!」
「奇跡の力が日常だと!?」
「ここまでしたのに気にするなとは、どこまで懐が深いのか……」
ザワザワ……ザワザワ……
「皆さん!静かにしてください!レン様はもう疲労困憊なのです!レン様に感謝する気持ちがあるなら、レン様を休ませてください!」
リィネが一生懸命に大きな声を張り上げる。
「すいません、明日に備えて今日はもう休ませてもらいます。困ったことがあれば相談してもらいたいですが、緊急事態以外は明日にしてください。それでは、よろしくお願いします」
こうしてレンとリィネは重い足を引きずり、自室に戻った。
早速二人はベッドに入り、照明を消す。
「レン様、今日もお疲れさまでした」
「……うん、本当に疲れたよ。リィネさんも、今日は色々とありがとうね……」
「いえ、私なんてレン様のお働きに比べれば大した事ありません。……明日は……どうなるのでしょうか……」
沈黙が訪れる。
「レン様?」
レンの口元からスヤスヤと寝息が漏れ始めた。
「うふふ……おやすみなさい……」
計り知れない量の魔力で奇跡を起こす一面とはまったく別の、子供のようなレンの寝顔に思わずクスリと笑うリィネ。
数千もの黒枯れの魔物との戦いが翌日に迫る。
地下の巨大な避難所では亜人たちが静かに眠りにつく。
展望台ではシャノアが浅い眠りにつきながら監視を続ける。
ガストはオークの若者たちと反省会を開いている。
リィネは翌日の不安を紛らわすように、そのままレンの片腕を抱きかかえるようにして目を閉じるのであった。




