第72話:戦の準備
黒枯れの大群が翌日に迫る森の夜。
どこか臭く、生暖かい風が木々の枝葉をザワザワと揺らしている。
レンとリィネは家のリビングで夕食後の口直しにハーブティーを飲んでいた。
「……やはりレン様の魔法で森中の魔物達を一度にせん滅するというのは難しいのですか?」
「そうだね……できるならそうしたいんだけど、想像しただけで黒枯れの反動が怖いんだよね。前に植物の伝言を樹海全体まで広げようとしたら、それだけでも右手に激痛が走ったから……」
思い出すように右手の甲に刻まれた紋章を見つめるレン。
「まずはリスクの少ない方法でチャレンジして、どうしてもうまくいかなかったら、その時に考えるよ」
レンは前世を思い出した。
新商品の販売のプロジェクトの進め方ではいつも悩んでいた。
短期間で売り上げを伸ばしたいが、その場合は効果の高い広告宣伝への大きな投資が必要になる。
会社からは低予算での成果を求められるので宣伝費用は抑え、まずは自分たちできることからチャレンジすることが多かったのだ。
「予算をもっとつけてくれれば、やれることはいっぱいあったのになあ……」
思わずボヤくレン。
「わかりました。レン様につらい思いをさせないよう、粉骨砕身で私も頑張ります」
真剣な表情で答えるリィネ。
その時、玄関の扉が開き、シャノアが入ってきた。
「レン様!報告……ニャ!?すっごくいい匂いがするニャ!一体何を食べていたのニャ!?
」
「さっきまでガーリックソースのチキンステーキを食べていたから、それかな?」
まだ部屋には匂いが残っていたのか、報告がそっちのけになるシャノア。
部屋に充満しているニンニクの香りをくんくんと嗅いでいる。
「残念でしたね、シャノア。あなたの分はありませんよ。駄猫は残飯でも食べてればいいのです」
うふふと悪い笑みを見せるリィネ。
「ニャ!ずるいニャ!アタシも食べたいニャ!」
「ふん!仕方ありませんね。明日の戦いが終わったらシャノアの分も作ってあげましょう。それまでレン様のために精一杯働きなさい」
リィネは何故か腕を組んで偉そうにしていた。
「シャノア、報告は?」
「そ、そうニャ!アリの群れがあと数時間で南の境界まで来るニャ」
それまでと空気が一変し、緊張感が張り詰める。
「……わかった。黒枯れの大群本体の方はどうかな?」
「そっちは思ったより少し侵攻が遅いニャ。おそらく到着は明日の昼前になるニャ」
レンは頭の中でスケジュールを立て始める。
「よし、まずはアリ退治といこう。その後一旦戻って休憩をしっかりとって、決戦に備える。さあ、現場に直行して準備開始だ」
―――太陽は地平線の彼方に沈み、代わりに月が反対から上っている。
月明かりが森の中にも光を届けていた。
レン、リィネ、シャノア、ガストの四人は、南の境界の茨の地点、少し前に黒枯れの甲虫の群れと戦った場所、虎口全体と門、先の森まで見渡せる正面の高台の上にいた。
「では、昼に話した通り、この虎口をもっと深く掘り下げます」
レンは片膝をつき、右手をそっと床につける。
体からあふれ出す緑色の魔力が高台の床を通して地面に勢いよく流れ込んでいった。
ズズズズズズズズズズズズズ……
見下ろしている正面の広いスペースの地面がどんどん深く沈み込んでいく。
正面の入り口部分、それと虎口からの出口となる細い通路からのスロープもできあがり、数メートルの深さにまで達していった。
「レン殿の魔法は何度拝見してもほれぼれいたしますな」
「そうです。レン様はいつだって完璧なのです。これくらいは造作もないことです」
「さて、次はお互いに連絡がとれるようにします」
レンは腰のホルスターから開拓者の万能剪定鋏を抜き放つ。
続いて、高台のすぐ脇にある木の枝、シャノアの見張りに使えそうな背の高い木の上、虎口の出口通路の先であるオーク隊の待ち伏せエリア、その三カ所に向けて鋏を打ち鳴らした。
パチン……パチン……パチン。
すると、それぞれの地点で巨大な花がニョキニョキと出現する。
「レン様。これは展望台にあるのと同じニャ。ということは……」
「その通りだよ、シャノア。植物の伝言と巨大な花を繋いだから、お互いにしゃべった声がこれで聞こえるようにしたんだ。戦いの最中もこれで連携がとれるでしょ」
通信機器と呼ぶには原始的であるが、会話をする、という目的を果たすには充分であった。
「なんと!離れた場所にいても会話ができるというのですか!なんと画期的な魔法!王のその底無しのお考えの深さには言葉がありません!」
目を丸くするガスト。
「ニャ……恐ろしいことを思いつくニャ……これで逐一戦況をアタシが伝えていれば、常に軍勢の弱点をつく事ができるのニャ……」
レンの軍師としての才能に、小さくなってぶるぶると震えるシャノア。
「レン様、流石です。これがあるところなら、樹海のどこにいても話ができるようになりますね。離れていても繋がっている、なんということでしょうか」
両手を胸の前で組み、うっとりとした目で見つめるリィネ。
「じゃあ、そろそろ配置について。お客様をお出迎えする準備をしましょう」
「はい」「はいニャ」「王の仰せのままに」
シャノアとガストはそれぞれの持ち場へと散っていく。
レンはそれを見届けると早速離れた仲間に声を届けてみた。
「コホン。シャノアさん、シャノアさん、聞こえますか、どうぞ」
「ニャアアッッ!!れ、レン様の声が聞こえるニャ!すごいのニャ!」
シャノアのあまりの驚きようにクスクスと笑うレンとリィネ。
「ニャニャ!笑うなニャ!全部聞こえているのニャ!」
「ごめんごめん。ちゃんと通じてるみたいで安心したよ」
予想以上にクリアな音質での会話ができ、ほっと息を吐くレン。
「シャノア、木の上でサボっていたら承知しませんからね!」
「リィネは黙っていろニャ!アタシがこの目で上からバッチリと見て報告するニャ!そっちこそレン様の足を引っ張るんじゃないニャ!」
「まあ、毛玉に出来る事はそれくらいしかありませんからね。レン様と一緒に戦う役目は私に任せるのです」
「ニャ!このウスノロエルフがなに言ってるニャ!アタシの目というサポートがあることでレン様が安心して戦えるのニャ!」
スピーカー越しにギャーギャーと口げんかを始める二人。
オロオロとするレン。
「ガハハハハッ!リィネの嬢ちゃんもシャノアも相変わらずだな!おかげでこいつらの緊張もほぐれたってもんだ!レン殿がモテモテで羨ましいですな!」
ガストの大きな声がレンとリィネのいる高台にも響きわたる。
「ちょ、ちょっとガストさん!?」
収拾のつかない仲間たちの会話に戸惑うレンであった。
「―――さて、昼に話した作戦をおさらいします。基本的には僕の広範囲爆発魔法でやっつけますが、爆風や砂埃の問題から威力はある程度抑えます。おそらく一度では倒しきれない個体もいると思うので、リィネさんは弱っている敵にとどめを。ガストさんたちはそれでも虎口から通路に抜けてきた敵を各個撃破していってください。シャノアは戦況の報告を逐一お願い」
改めて今回の戦い方を仲間たちと共有するレン。
彼にとって会社方針とビジョンの共有はその体にしみ込んだ習慣のようなものであった。
話をしていると足元がほんの少し、揺れていることに気が付く。
ズズズ……ズズズ……
「ん?地震か?」
しかし、その揺れは次第に途切れることなく、ビリビリとした地鳴りのような振動に変わっていった。
ズズズズズズズズズズ……
「こっ!これはっ!?シャノア!?」
「はいニャ!レン様!アリ達が迫ってきているニャ!あと十分か十五分くらいニャ!」
数百匹の巨大なアリの群れの行進による地響きであった。
「くっ!みんなっ!戦闘準備だっ!」
震える足を必死に抑えるレン。
それは恐れによるのか、地響きによるのか、はたまた両方か。
ついにアリの軍勢との戦いの火ぶたが切って落とされる。
さらにはその遥か後方より、数千もの黒枯れの大群の先方が近づいてきているのであった。




