第71話:リィネの献身
黒枯れのに汚染された数千もの魔物達。
後数時間で、先に数百匹のアリの群が迫る。
空は橙色に光り、樹海を照らしていた。
リィネは、レンの魔法の調整につきあっていたが、そこにガストが来たことで先に一人で家に戻り、夕食の準備をすることになった。
森の中を歩くリィネ。
「ガストさんはレン様に何の話をしにきたのでしょうか……」
一人、歩きながら呟く。
森の中はオレンジ色の光が木々の隙間から差し込んでいる。
「私を外すという事は……もしかして、男同士でいやらしい話でも……いや、レン様に限ってそんな……」
家に押しかけてきた避難民たちは全員が地下の避難施設に入っている。
リィネの足が草をかき分ける音、風が木々の葉を揺らす音だけが森の中で鳴っていた。
「それにしても……昨日までは賑やかだった家の周り……こんなにも静かな場所だったのですね……」
突如、リィネは胸の鼓動を意識するほどの焦燥感にかられた。
静かな森、独りの森、それは村を追い出されてこの地に辿り着くまでの間、人間達に追いかけられた時、それ以来であった。
「はあっ……はぁっ……」
足を止め、胸を抑えて誰もいないはずの森を見渡すリィネ。
安全だとわかっているのに、恐怖が蘇ってくる。
遠くから聞こえてくる動物の鳴き声にビクリと肩を震わす。
思い返せば、レンと出会ってからというもの、彼のそばを片時も離れていなかったことに今気が付く。
「レン様……レン様……」
彼がいた方を振り返り、目を閉じ、両手を胸の前で組み、彼の名前を呟く。
そして、彼女はレンの笑顔を思い出す。
不思議なもので、それだけでスッと心が落ち着きを取り戻した。
再び家に向かって歩き始めるリィネ。
「さて、夕食はどうしましょうか……戦いに備えて精がつくもの……」
過去のレンとの会話を思い出しながら歩く。
彼の好きな食材、彼の好きな味付け、彼の好きな料理、彼が好きだと言ったものは全て覚えていた。
「レン様が絶対に喜ぶもの……」
リィネは家に辿り着き、食糧庫に入る。
そして、各種野菜、冷蔵庫から鶏肉を取り出し、キッチンへと向かった。
誰もいない静かな家の中、キッチンの作業台にやさしく手で触れるリィネ。
このシステムキッチンをリィネのために作ってくれたことを思い出す。
温かい料理を作りたい、その一言だけでレンは動いてくれた。
リィネの体に合わせ、彼女が作業しやすい大きさまで考えてくれた。
「うふふ……」
思わず笑みがこぼれる。
「ここまでしていただいた恩、ほんの少しでも返さないといけませんね……」
作業台を撫でながら、表情を引き締める。
リィネはまな板を用意し、包丁を手に取った。
「まずはスープから……ガストさんに教わったアレで……」
リィネは鶏肉をドンとまな板に置き、包丁で細かく切り刻み始める。
彼女が包丁を振るたびに鶏肉は細かくなり、鶏ひき肉となった。
「次は、お野菜です……レン様は大きく切ったものがお好きですが……」
続いて、タマネギ、セロリ、ニンジンをまな板に置き、トントンとみじん切りにしていく。
タマネギの半分は薄切りにし、まな板の端に寄せた。
「よいしょ……」
彼女は鍋に水をはってコンロの上に置き、その中に鶏ひき肉、みじん切りにした野菜を入れ、グルグルとよく混ぜ合わせた。
「ふぅ……確か、最初は中火でしたね……」
リィネは鍋に火を入れ、沸騰する前に火を弱める。丁寧に灰汁を取りながら煮込んでいく。
そして、薄切りにしたタマネギも加える。
「さて、次は……うふふ……」
レンの喜ぶ顔を想像して嬉しくなるリィネ。
彼女は大きな鶏もも肉をドンとまな板に置き、身の方に切り込みを入れていく。
そして、岩塩と黒コショウを手に取ると、その鶏肉にグリグリと揉み込む。
「これで美味しくなります……レン様の疲れが少しでも癒されますように……」
肉を揉みながら呟くリィネ。
続いて大量のニンニクをまな板の上にゴロゴロと置く。
「これで元気になること間違いなしです……」
ニンニクの半分は薄切りにスライスし、残り半分は包丁の腹で叩き潰していく。
「まずはニンニクの香りを油に……」
リィネはフライパンに油と薄切りのニンニクを入れ、弱火でじっくりと加熱する。
ニンニクがきつね色になったところで一度取り出した。
「では……いきます……」
ジュウウゥゥッ!
下味をつけた鶏肉を皮目を下にして焼き始める。皮に黄金色の焦げ目がついたところで裏返し、火が通るまでしっかりと焼き、皿に盛りつけた。
「次は私の特製ソース……」
鶏肉の脂が残ったフライパンに、少量の水と、叩き潰されたニンニクを入れ、トロトロになるまで煮詰める。
ニンニクの香りが部屋の中に充満していく。
その時、
「ただいまー」
レンが家に帰ってきた。
「レン様、丁度いいタイミングです。もう少しで夕食ができあがります」
なぜかリィネの体を上から下まで舐めるように見るレン。
その時、彼の鼻がひくひくと何かを捉える。
「うわあ!すっごくいい匂い!何作ってるの?」
「うふふ……楽しみにしていて下さい」
リィネはガーリックソースを焼き上がった鶏肉にかける。
「さて、次はスープの仕上げです……」
トマトをまな板におき、サイコロ状にカットしていく。
それをドボドボとスープの中に放り込む。
最後にトマトに火を通し、岩塩で味を整える。
「……レン様!完成しました!」
笑顔で報告するリィネ。
食卓に温かいスープと焼けた鶏肉が並べられていく。
レンはテーブルにつき、軽く水を飲んだ。
「今日はすごい手の込んだ料理だね。いただきます!じゃあまずこのスープから……」
両方の手のひらを胸の前であわせた後、レンは湯気の立ち上るスープにふうふうと息を吹きかけ、ズズッと口に含む。
その様子をじっと見つめるリィネ。
レンの口の中に、トマトの酸味と野菜と鶏肉から出た旨味が広がる。
「ふう……あったまるね。透き通ったスープだけどコクがあるし、いろんな味がして美味しい。何杯でも飲めそうだよ……」
無心でゴクゴクとスープを飲むレン。
その姿にほっと安堵するリィネ。彼女もまた、スープを飲んでみる。
「うん……やさしいけど、しっかりとしたお味ですね。実は、これはガストさんから教わりました。『漢の黄金汁』というスープです」
「ングッ!……ゲホッ!ゲホッ!……あははははっ!ガストさんらしい名前だね。だけど、とっても美味しいよ。この繊細な味付けはガストさんならではだね……ゲホッ!ゲホッ!」
突拍子もない名前にむせるレンだが、水を飲んで落ち着きを取り戻す。
「ガストさんったら、野菜と肉を細かく刻め、だとか、丁寧に灰汁を取れ、とか細かい指示ばかりでしたが……こうしてレン様に喜んでいただけると、私も頑張ったかいがありました」
レンはスープを飲み干すと、その器をコトンとテーブルに置く。
続いて、もう我慢できないという風にステーキをカットした。
「いや、もうこの匂い……家に入った瞬間から気になってたんだ」
レンは大きな口を開け、ガーリックソースをたっぷりとつけたチキンステーキを頬張った。
「もぐもぐ……うん……もぐもぐ……ん……美味い!」
立て続けに二口目も口に入れるレン。
ガッツポーズをするリィネ。
「こちらは、レン様が以前元気が出ると仰っていたニンニクをふんだんに使ってみました。これで明日の戦いにもお力を百二十パーセント出せるようにと思いまして」
「もぐもぐ……。ありがとう、リィネさん。何か気を遣わせちゃったかな」
「いえ、お気になさらないでください。本当はレン様に喜んでいただきたかっただけですから」
二人は、温かいコンソメスープとチキンステーキを堪能する。
他愛もない会話をし、食事を続ける。
食卓に残る料理も後半分ほどという時であった。
「ところでレン様……私、最近思うのですが、明日の戦いが終わった後、私は同胞たちの元へと戻るべきなのでしょうか……」
レンの食事をする手がピタリと止まる。
「ん~……どう……かな……。リィネさんが、もし、彼らと一緒に暮らしたいのなら、それでもいいとは思うよ……」
レンは少し悩んだあと、搾りだすようにそう言った。
リィネは何も言えなかった。
二人は手を止めたまま微動だにしない。
静寂が家の中を支配していた。
短いはずの数秒の時間が、ひどく長く感じられる。
先に口を開いたのはレンの方であった。
「ごめん……それは、嘘だ。本当は……今と同じようにリィネさんにいてほしい。……そして、今日みたいに美味しいご飯を作ってほしい……」
レンはまっすぐに、誠実な瞳をリィネに向ける。
「はい……すいません、変な質問しちゃいましたね。冷めないうちに食べちゃいましょう」
微笑むリィネであったが、その瞳は確かに潤んでいた。
レンにはそれが悲しいのか嬉しいのかよくわからなかった。
しかし、その後も二人だけの温かい夕食の時間は続くのであった。
リィネの愛情たっぷりの料理が、二人の関係をより強固なものへと作り上げていく。
しかし、数千という魔物の大群はその二人に向かってゆっくりと、確実に近づいているのであった。




