第62話:業務命令
ハイエルフの一団を敷地の中に迎え入れたその日の夜。
レンはベッドの中で深い眠りについていた。
レンが目を開けると、辺り一面、空も地面も全て真っ白な空間にいた。
目の前には天を覆いつくすような大樹がそびえたっている。
そして、その数えきれないほどの枝、その葉の一枚一枚からきらきらとしたエメラルドの粒子が降り注いでいた。
「ん……?ここは……前にも来たことがあるな……そうだ、この世界に来た時だ」
顎を上げ、周囲の状況を見回し確認していると、どこからともなく声が聞こえて来る。
『お久しぶりですね、レン』
それは、確かに聞き覚えのある声であった。
「あなたは確か……樹海の……」
『そうです、樹海の理を紡ぐものです。今日はレン、あなたにお話があり、来てもらいました』
上司に呼び出される時は大抵がろくでもない話だ。
前世の頃からそうだった。
こういう場合、ほとんどの場合が無理難題の相談や、面倒な仕事の押し付けとも取れる業務指示であった。
レンの胸の内を、ざわりと嫌な予感がよぎっていく。
「そうですか、わざわざ私をここまで呼び出し、一体どのようなご用件でしょうか」
無表情、抑揚のない口調、鋭い目つき、警戒心を最大級にして口を開くレン。
『そんなに構えないでください。あなたに危害を加えるわけではありません。私は、今、樹海に訪れている危機を伝えたいのです』
「樹海の危機……それは、黒枯れが急激に進んでいることですか?」
レンは今までの経験から、迷うことなくその推論に達した。
『そうです……あなたもご存じの通り、黒枯れの原因は人間達がもたらす機械の廃液です。今までは、樹海全体で木々が吸い上げ、浄化し、分解して自然へ戻す循環を繰り返し、なんとか間に合っておりました……』
レンは途中で口を挟む。
「え……今までは、ということは……」
『ええ、お察しの通りです、レン。人間達の活動が活発になり、廃液がこれまでの比にならないほどに増えました。その結果、樹海全体で浄化できる許容量を完全に超えてしまったのです』
「やっぱりか……」
手を握りしめ、力が入るレン。
『この数日間で黒枯れが一気に増えてしまったのは、そのためなのです』
「……なんてこった。うすうすそんな気はしていたけど……けれど……どうしたら……」
レンは知りたくもなかった真実を知らされ、下を向いて首を横に振った。
少しの間、無音ともいえる静寂が訪れた。
はるか上空からは、まるで雨でも降るかのようにエメラルドの粒子が舞い落ちてくる。
『更に悪いお知らせがあります』
「ちょ、ちょっと待ってもらえませんか?これ以上に悪い知らせですか?」
再び顔を上げ、動揺を隠せないレン。
『はい……この急激に広範囲に黒枯れが加速したことにより、非常に多くの樹海に生息する魔物達が汚染されてしまいました』
「そういえば、シャノアも魔物達の足音や雄叫びが増えているって……。でも……そんなにですか?」
『驚くかもしれませんが、その数は数千です』
「え……」
大樹を見上げながら、レンは絶句した。開いた口が塞がらなかった。
『彼らは黒枯れに汚染されたその苦しみから、樹海の中を駆け回っていました。それが、やがて群れとなり、その群れがいくつも集まり、大きな集団となってしまいました』
レンはその光景を想像し、ゴクリと唾を飲み込んだ。
『また、残念な事に、樹海の南を守っていたエルダー・ドラゴンまでもが、黒枯れに汚染され、苦しみ、もがき、暴れています』
「え、エルダー・ドラゴンって……樹海の主とも呼ばれている……あの?……」
レンは足が震えていた。
ドラゴンといえばその体の大きさ、怒らせた時の恐ろしさから、森の秩序を守っている存在であると、ゴブリンやオークたちからも聞かされていた。
『そうです。そして、黒枯れに汚染されたエルダー・ドラゴンから逃げるように、数千規模となった魔物の集団は南から北上を続けています』
その言葉を聞いた瞬間、レンは目を皿のように丸くした。
「え……という……ことは……」
『……はい。あなたの元へ彼らが辿り着くまで、あと五日程度でしょう……』
「そんな!一匹二匹でも大変なのに!数千もの大群が!?」
レンはガクリとその場に両膝をつき、両手で頭を抱えた。
しかし、絶望に打ちひしがれている暇すら与えられなかった。
『レン……あなたにお願いがあります。彼らを救ってほしいのです』
「いやいや!待ってくださいよ!僕にそんなことできるわけないじゃないですか!いくらなんでも無理ですよ!」
大樹を見上げてレンは叫んだ。
『あなたならできます……それだけの魔力をこの世界に来た時に授けました。どうか、黒枯れに汚染された彼らを、その苦しみから解放してあげてください』
「そんな……急にそんなこと言われても……」
再び下を向いて呟くレン。
「なんでいつもこうなんだ。突然呼ばれてなにかと思えば、まったく初めてのプロジェクトなのにやってみろ、とか、このクレーム処理の担当はお前だ、とか、決まって最後には、お前にならできるから任せたって……」
レンは前世を思い出していた。
「部長はその間接待ゴルフかもしれないけど、こっちは責任の重さで胃がつぶされそうなんだよ……なんで俺なんだよ……」
愚痴が止まらないレン。
そうこうしている内に、周囲が少しずつ明るく白んでいく。
『もう一度だけお願いします。どうか、私たちを、樹海を助けてください……』
「え?あ……ちょっと、まだ……聞きたいことが……」
レンは急激に眩しくなり、その意識は再び眠りの中に落ちていった。
森の家の寝室。
ベッドの中ではレンとリィネが仲良く寝ている。
その時、レンはハッとして目を覚ました。
暗い部屋の天井が見える。
体を起こし、隣をみるとリィネがすやすやと寝息をたてて寝ている。
外に面している障子の方を見るとまだ外も暗いことがうかがえた。
ふと、右手の紋章が温かいことに気づくレン。
「……?」
その手の甲に刻まれた接ぎ木の紋章は淡く光っていた。
その瞬間、先ほどまでのやり取りを思い出した。
「くそっ!」
リィネを起こさないよう、小さな声で憎々し気に呟くレン。
「あと数日で、黒枯れに汚染された数千もの魔物の群れがやってくるだと?」
彼は力いっぱい右手を握りしめた。
そして、天井を見つめ、自分に言い聞かせた。
「……まあいいさ。ちょっと久しぶりだけど、こんな無茶ぶりは日常茶飯事だよ。慣れっこさ。樹海の理だかなんだか知らんが見てろよ、やってやる」
レンは再びリィネの寝顔を見つめた。
「むにゃ……がすとさん……れんさまのおりょうり……このわたし……ばんしにあたいします……」
リィネにやさしく布団を掛けなおすレン。
「リィネさん……ここで一緒に暮らすみんなと、君の事は僕が命をかけて守るよ」
レンの右手の紋章からは、強い光が放たれていた。
樹海から突然の連絡、そして業務命令を受けたレン。
彼はリィネの寝顔を見ながら決意を新たにするのであった。




