第59話:樹海の異変
その日、樹海の空は雲に覆われていた。
森には陽の光が届かず、テラスは薄暗く、ひんやりとしつつもどこか湿った空気が流れている。
そんな中、レンとリィネはハーブティーを飲みながらゆっくりとした時間を過ごしていた。
「いつも不思議に感じるのですが、レン様はどうしてゴブリンやオークに手を差し伸べることができるのですか?」
「う~ん……そうだねぇ、僕が係長になった時、ちょっと変わり者で、要領が悪くて、ミスばっかりしている新入社員の部下がいたんだ」
イスの背もたれによりかかり、思い出しながら話すレン。
「それでね、他のみんながいじめるんだよ。僕はそういうの嫌いだし、世の中色々な人がいるのは当たり前だからさ、丁寧に仕事を教えて一人前に育てようと思ったんだけど、結局会社を辞めちゃったんだ」
「……その、辞めてしまった方の気持ち、少しわかるような気がします……」
リィネもまた、過去を思い出していた。
「あ、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど……。それでね、部下が辞めるってやっぱり上司としての僕の力不足だし、どうせ仕事するならみんなそれぞれ認め合って、楽しくできるようにしたいと思ったんだ」
「なるほど、そのようなご経験からだったのですね。さすがはレン様です。仕事ができない者と共に過ごすのは苦痛であるというのが普通ですが、そのような尊いお考えに到達できるとは、私のような下賤の者にはたどり着けない境地です」
「いや、そんなに自分を卑下しないでよ。もっともらしいことを言ったけど、本当は臆病で、他人に厳しいことを言えないだけだよ」
そんな話をしているとガストが甘い匂いを漂わせながら歩いてくる。
「レン殿、新作のスイーツを作りました。是非、我らが王に最初の味見をお願いしたく持ってまいりました」
ガストの持つ皿の上には、焼きたてのアップルパイがのっていた。
リィネの鼻が敏感にそれをキャッチすると同時に、エメラルドの瞳がキラリと輝きを放つ。
「ガストさん、未知のスイーツをレン様にいきなり味見してもらうなど、失礼千万。まず、この私が最初に毒見をいたします」
ガストの手から、奪うように素早く皿を取り、さっと一口食べてみる。
「モグモグ……ああ……なんてことでしょう……口に入れた瞬間から焼けたリンゴの甘い香りが鼻から抜け、パリパリとしたパイと柔らかいリンゴの食感が絶妙なハーモニーを作り出しています。ガストさん……合格です!!」
あれ?リィネさん、食レポもいける!?
手を頬に添え、目を閉じて味に集中するリィネ。
その瞬間、どこからともなくサッと手でが出て来たかと思うと、皿の上のアップルパイが全てなくなっていた。
「ニャア!なんニャ!甘くて香ばしくてほっぺが落ちるのニャ!」
アップルパイを咥えてピョンピョンと逃げ去るシャノア。
「はっ!この泥棒猫っ!レン様のスイーツを勝手に食べるなど!万死に値します!」
疾風の茨弓を構え、番えた矢に魔力をこめるリィネ。
「ニャッ!?ちょっといい匂いがしたからもらっただけニャ!そんなに怒ることないのニャ!」
「俺の作った新作がこんなに喜んでもらえるとは、嬉しい限りですな!ガハハハハッ!」
「待って!リィネさん!やりすぎだって!ガストさんも笑ってないでリィネさんを止めて!」
―――騒動がひと段落したところで、四人はテーブルについた。
シャノアが、真剣な表情で報告を始める。
「レン様、大変ニャ。ちょっと匂いにつられたけど、それどころじゃないのニャ」
シャノアは口の周りをペロリと舐める。
「今度は何があったの?また軍隊?」
レンも残ったアップルパイを口に入れる。
「軍隊の方がまだマシかもしれないニャ……この数日間で、樹海の黒枯れが一気に進んでいるのニャ。もう空気が臭くてたまらないのニャ」
「えっ……」
カタン!
思わず持っていたフォークをテーブルに落とすレン。
「最初は気のせいかと思っていたニャ。別に珍しいことでもないから。だけど、気が付くと今まで緑だった森が何か所も黒く変色しているのニャ。空気の匂いも臭くなってきて、見間違いではないのニャ」
「どういうこと……?人間たちが廃液を大量に不法投棄でもしたのか……?」
「それはよくわからないニャ。でも、特に南の方で広範囲に黒枯れが進んでいるのはハッキリと目で見てわかるから、人間たちが関与している可能性ももちろんあるのニャ」
自分を落ち着かせるようにハーブティーを口に入れるレン。
しかし、カップを持つその手は震えていた。
「まあ、でも、黒枯れは今に始まったことじゃないし……かといって、急にそんな進むものかな……」
レンはちらりと右手の紋章を見る。
黒枯れを浄化したときに受ける反動の痛みを思い出す。
「レン様、スピーカーから聞こえる魔物の雄叫びや足音もそれに合わせて増えているニャ。もしかすると、黒枯れの魔物も急に増えているかもしれないのニャ……」
「そ、そうか……」
下を向いて、言葉に詰まるレン。
森のテラスは沈黙が支配していた。
「……それと、もう一つ大事なお知らせがあるニャ。北の方からまた避難場所を探してこっちに向かっている種族があるのニャ」
「また?」
シャノアは、チラリと一瞬だけリィネを見てから、再びレンを見る。
「あれは……ハイエルフなのニャ……おそらく、今日の夜にはここまで辿り着くニャ」
レンは思わずリィネの方に顔を向けた。
リィネは目を皿のように大きくして見開き、その小さな体をわなわなと震わせ、言葉を失っていた。
「え……と……ちょ、ちょっと待って……色々ありすぎて、わかんないよ……」
レンはおでこに手をあて、多すぎる情報に向かい合う。
「まず、黒枯れの汚染が急に進んでいる、でしょ?それで、汚染された魔物も増えている。そして、ハイエルフもまた避難先を求めてここに向かっている、だね?」
次に、指を一つずつ折りながら整理していくレン。
「その通りニャ」
「……よし、まず、魔物の襲撃に備えての地下避難所計画は引き続き僕の方で進める。ガストさんは魔物との対抗戦力を増やすべく、オークの若者たちの訓練を継続して。できれば実戦的な内容で」
「かしこまりました。王の命ずるままに」
深々と頭を下げるガスト。
「次に、シャノアは今まで通り監視を続ける。異常があったら早めに教えて。特に黒枯れの魔物については間違っててもいいから早めに」
「わかったのニャ」
返事と同時に尻尾を左右に振るシャノア。
「それで……リィネさんは、家の中でちょっと話がしたいんだけど……いいかな?」
「……わかりました」
目線を落とし俯きながら声を返すリィネ。
そして、シャノアは見張り塔に、ガストは訓練場へと戻っていった。
レンとリィネは自宅のリビング、テーブルを挟んで向かい合っている。
「それで、リィネさん……単刀直入に聞くけど、ハイエルフの人たちについて……どうしたい?」
テーブルの上で両手を組むレン。
残酷な質問であることはわかっていつつも、無視するわけにはいかなかった。
「レン様……私にはわかりません……助けたいと思う気持ち、助けたくないと思う気持ち……どちらもあります」
手を膝の上に置き、少し背中を丸くしているリィネ。
「……まあ、きっとそれが普通だよね……」
リビングにひと時の静寂が訪れた。
リィネはその瞳に涙を溜めたまま、口を開いた。
「……レン様、私はひどい女なのでしょうか?ハイエルフの人たちは同胞なのに……心から助けたいと思えないのです!」
「リィネさん……リィネさんは何も間違っていないよ。それは自然な感情だと思う。だって、村にいる間は……無視、されたりとか、嫌味を言われたり、とか、されたんでしょ?リィネさんはひどい女じゃない、むしろ温かい人だと僕は思ってるよ」
「え……」
温かいと言われ、驚き、見つめ返すリィネ。
「だって、同胞が困ってるって聞いて、悩んでいるのがその証拠なんじゃないかな。本当に冷たい人だったら、悩まずに見捨てるでしょ。それにリィネさんがそういう人だったら、僕は一緒にはいないよ」
「あ……」
再び静寂が訪れるリビング。
レンは予め考えてあった、ハイエルフ受け入れ案についての落としどころを提案した。
「……でもさ、だからといって何も考えずに助けるのは、それも嫌だと思うんだよね。だからさ、条件つきで受け入れてもいいんじゃないかと思う」
「条件……ですか?」
「うん、条件。まず、今までリィネさんにしてきたことを謝ってもらう。そして、これからは他の人たちと同じように接してもらう。それと、ゴブリンやオークたちとも仲良くすること。この三つを守ってもらえたら、受け入れるっていうのはどうかな?」
「……今までの謝罪とこれからの態度……そして、他種族との協調……」
下を向いたままブツブツと呟くリィネ。
「……わかりました。それが本当に守られるなら、私も受け入れられるかもしれません……気持ちよく、とはいきませんが」
「よし、じゃあその方針で彼らと話をしてみよう」
レンはどこか不安な気持ちを残しつつも、ハーブティーを飲みほすのであった。
こうしてレンとリィネはハイエルフの受け入れについて条件をつけることにした。
ついに樹海の黒枯れが急速に進み始める。
そんな中、レンたちは集落の戦力の強化、更なる難民の受け入れ準備を進めるのであった。




