↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/25

第5話:逃走

暗くて、深い樹海の中を、一人の少女が何かに向かって歩いていた。


―――ハイエルフの少女、リィネ。


彼女が村から追い出された時、その手に持たされたのは粗末な弓矢と数日分の干し肉、わずかな水だけであった。


「……あっ」


なんでもない木の根につまずき転ぶリィネ。


彼女は先ほど起きた出来事に理解できず、苦しんでいた。


(なんで……。なんで私が……!)


リィネの瞳は「エメラルドグリーン」、ハイエルフには決して現れない不吉な色であった。


忌み子。不吉の象徴。

幼い頃からそう呼ばれてきた。


そう、それだけならまだ良かった。


この数年で近隣の森の木が黒く枯れ始めた。

それは次第に村の内部の樹木にも浸食してきていた。


『あの忌み子の不吉な瞳が、木々の生命力を吸い取っているのだ!』


リィネ自身はもちろん何もしていない。自覚もなかった。


そんな時、決定的な事がついに起きた。


数日前のこと、村の信仰の中心である神木が、突然黒く枯れたのである。


『森の怒りを鎮めるために、あの子を村から追放するしかない!』


誰の言葉だったのかは、もう覚えていない。


ただ、誰もリィネを庇おうとはしなかった。

血の繋がった両親でさえも、静かに目を伏せ、彼女から顔を背けたのだ。


こうして彼女は、広い樹海へと一人投げ出された。


これからどうしようか……。


どこにも行く当てはない。でも、このまま死んでいくなんて嫌だ。


とりあえず、村の近くにいれば、また受け入れてもらえるかもしれない。そうしよう。


その瞬間、樹海の遥か遠くの方から、異質な魔力を感じた。


「……え?」


リィネは樹海の南の奥深くへと視線を向けた。


そこからはとてつもなく大きく、今まで感じたことのない魔力が漂ってきていたのだ。

初めてのことで何が何だかわからない、だけど……。


「あたたかい……」


不思議なことだった。


未知の異質な魔力であるはずなのに、なぜかリィネの魂を慈愛で包むような波動に満ちていたのだ。


(よし……あそこに行ってみよう)


リィネは迷う事なく行き先を決め、足を動かし始めた。


しかし、運命はまたもや残酷な試練を彼女に与える。


何時間歩いたのかはわからない。

夜になり、すっかり辺りが暗くなっていた。


不意に、木々の向こうに幾つもの松明の明かりが見え、声が聞こえた。


「おい! あそこを見ろ! 誰かいるぞ!」


野太い男の声。

リィネはビクッと肩を震わせ、息を呑んで足を止めた。


「女だ……いや、待て。あの尖った耳、エルフじゃないか!?」

「マジかよ! もしかしたらハイエルフかもしれないぞ!」


大きな声を出しながら、数名の男たちがこちらに向かって歩いてくる。

軽装ではあるが、腰に剣をぶら下げていた。


彼らは、帝国アイゼンベルクからこの樹海の調査に派遣された『ヴォルフ調査隊』の先遣隊である。


何も出てこない森の調査に飽き、退屈を持て余していた彼らは、刺激を求めていたのだ。


「おい、生け捕りにしようぜ!もしハイエルフだったら貴族の連中に高く売れるぞ!!」

「それは名案だな!傷をつけないように気をつけろよ!」


リィネは人間に出会ったのは初めてであったが、村では嫌というほど聞かされていた。


人間とは悪魔の成り代わり。

血も涙もない魔物以下。


ここで捕まるわけにはいかない。


「……っ!」


リィネは一切迷う事なく、弾かれたように夜の樹海へと駆け出した。


「逃げるんじゃねえ!!」


地獄のような逃走劇の幕開けだった。


月明りに照らされる森の中を、リィネはあの魔力の方角に向かってひたすらに走った。


何度となく転倒し、枝や木の肌に体をぶつける。

それでも何事もなかったように立ち上がり、がむしゃらに走った。


背後からの声はやがて怒号へと変わり、走るほどに少しずつ遠ざかっていった。

どうにか、追跡を振り切った。


しかし安心はできなかった。

彼らは足跡や方角を頼りに追いかけてくる可能性もあった。


暗闇の中を時間も忘れて走り続け、ついに太陽の光が森の木々の間から差し込んできた。


リィネは巨大な倒木の洞を見つけ、その中へと逃げ込んだ。


息は乱れ、心臓は破裂しそうである。


少しでも回復させるべく、手で近くの蔓をちぎり、流れ出る水を口に注ぐ。

持たされた干し肉を食べようかとも考えたが、走り続けた後の体がそれを拒否した。


日中は動きづらかった。

明るいというだけで彼らに見つかりやすいと思われた。


それだけではない、走り続けた疲労感、すでに思い通りに動かない足が、今から再び走って逃げ続けるという選択肢を拒んでいた。


リィネは休息と潜伏を兼ねて、薄暗い洞の中で膝を抱え、ただひたすらに息を殺した。


時折、遠くから人間の男たちの声が聞こえた。


万が一にも見つかった時は、魔力を一気に放出し、その隙に走って逃げるつもりでいたが、幸運にも声が近づいてくることはなかった。


しかし、いつ見つかるか分からない恐怖に耐え続ける時間は、永遠にも感じられた。


やがて、太陽が西へ傾き、再び樹海が暗くなり始める。


(もう人間達も諦めたかもしれない。そろそろかな……)


洞を出て、あの魔力に向かって再び歩き出した。


だが、丸一日ろくに寝れていない身体は、想像以上に重かった。注意力まで散漫になっていた。


―――パキッ!


「あ……」


迂闊にも枯れ枝を踏み抜いてしまい、静かな森に響き渡った。


そして、不運なことに、ヴォルフ調査隊の先遣隊はまだ近くをうろついていた。


「おい! 今向こうで音がしなかったか!?」


茂みをかき分ける複数の足音が、猛烈なスピードでこちらへ殺到してくる。


しまった。見つかった。


リィネは再び全力で走り出した。


昨晩とは違い、疲れが溜まっているせいか、人間達を引き離すことができない。

走っても走っても、後ろから声が聞こえてくる。


どれだけ逃げていたのかわからないが、気が付けば辺りは完全に暗くなっていた。


次第に人間達は苛立ってきていた。


「はあっ……はあっ……いつまで逃げるつもりだ。」

「こうなったら遠慮はしねえぞ!」


人間達の声に続いて、ヒュッ、という風を切る音。

直後、背を向けて走り続けるリィネの右肩に、鋭い痛みが走った。


「うあっ……っ!」


矢が突き刺さったとすぐにわかった。


しかし、それだけではなかった。

激痛とともに視界がぐにゃりと歪み、地面に倒れ込む。


それは、森の動物を狩るときに使う毒矢であった。


「よしっ、当たったぞ! エルフは初めてだが、まあ死にはしないだろう」


もう……だめかもしれない。


誰か……助けて。


視点が定まらない。


このままでは、捕まってしまう。


しかし、温かな魔力を少し先から感じる。

確実に近づいてはいるのだ。まだ諦めるには早い。


リィネはふらつきながら前へと進む。

しかし、数歩進んだ先で、リィネは絶望に目を剥いた。


「え……」


行く手を阻むように、無数の鋭い刺を持った巨大な茨の壁がそびえ立っていたのだ。


見上げるほど高く、左右を見渡しても迂回できるような隙間はない。

完全な行き止まりだった。


「さあ、年貢の納め時だな。おとなしく捕まってくれ」


人間達の足音が近づいてくる。


この茨の壁の向こうから魔力を感じる。


そこに希望がある、そう信じて疑わなかった。


リィネは迷わず覚悟を決めた。


再び体に力をみなぎらせる。


そして、身体を無理やり茨の壁のわずかな隙間へとねじ込んだ。


「ゔっ、あぁっ……!」


茨の棘が衣を裂き、肌をえぐる。

茨の中を動くたびに鋭く鋭利な棘が全身を容赦なく襲う。


「うあああぁっ!」


全身から血が流れだす。

あまりの痛みに意識がなくなりそうな感じすらしてくる。


それでも彼女は、血まみれになりながら、ついに茨の向こう側へとたどり着いた。


「なんだ、あのエルフ!頭おかしいんじゃねえか!? 回り道を探せ!」


毒が回り、立って歩くこともままならなくなっていた。


リィネはそのまま地面を這いつくばり、巨大な倒木の陰へと隠れこんだ。


(……痛い……だれか……おねがい……もう、足が動かないの……)


ようやく振り切ったと思ったが、彼らはまだ諦めていなかった。


茨の壁を突破してくる人間達の声が聞こえてくる。もう時間の問題だろう。


だんだんと視界が暗くなっていく。

絶望感が強くなる。


(まだ死にたくない……それとも、彼らの前に出て命乞いでもしようか……)


この世には神はいないのか、森は私を見捨てるのか。

諦めとともに、震える唇を動かした。


「助けて……」


一筋の涙が頬をつたう。

リィネは静かに目を閉じた。

最後に感じたのは、すぐ近くまで迫っていた、あの優しく温かな魔力の気配。


――ザクッ、ザクッ。


誰かが来る……


パチン……パチン……


(ああ……温か、い……)


そこで、リィネの意識は完全に途切れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。