第47話:レン様人形
そこは、樹海の南端から遠く離れた場所。
シャノアは魔導産業連邦ガルドの辺境都市『鉄機街ルグロス』にいた。
そこは、表向きは魔導産業の発達により快適な暮らしを約束された都市であるが、工場から常に排出される煙で空はいつも曇っており、河川は廃液により黒く濁っていた。
「……相変わらず空気が臭くて、鼻が曲がりそうだニャ」
誰もいない狭い路地裏で、シャノアは呟いた。
「それにしても、レン様からもらったこの服、すごいニャ。本当に誰にも気づかれないのニャ」
それは、レンの魔法により作られた、擬態の葉である。
光学迷彩のような機能で周囲に溶け込むことが可能になるのであった。
シャノアはピョンピョンと身軽に跳躍し、街で最も高級なレストランへと忍び込む。
誰にも見つからないよう、素早く天井の梁の上に飛び乗り、身を潜める。
小綺麗な服に身を包んだ紳士や淑女がポツリポツリとテーブルについている。
「いつもありがとうございます。御社のおかげで、うちの売上は倍増です」
「いえいえ、おたくの商品がいいからですよ。つきましては、次はこの商品を仕入れさせて頂きたいのですが……」
どうやら商談のようである。
(ここにはこれといった情報はなさそうだニャ)
「このステーキとても美味しいですわ。香ばしいだけでなく、噛む度に肉汁が溢れてきますの。私、こんなの初めてで、感激です!」
「君のためなら、お安い御用だよ。その喜ぶ顔は太陽よりも美しく、僕の心を温めてくれるのさ」
こちらはデート中のようだ。
焼けたステーキの香りがレストランに充満する。
(あのお肉、すっごくいい匂いがするニャ……)
―――ジュルッ!
シャノアは無意識に口から流れ出たヨダレを吸い上げてしまった。
「おや?なんの音かな?上の方から聞こえてきたような気がするけど」
レストランの天井を見上げる男。
(しまった!退散ニャ!)
シャノアは店を出て、屋根の上に逃げ込んだ。
「ふう、危なかったニャ。次行くのニャ」
シャノアは音も立てずに屋根から屋根へと飛び移る。
そして、軍関係者用酒場の屋根裏へ忍び込んだ。
通気口の隙間から、下の様子を窺う。
酒場は、今日の仕事を終えた軍人達で溢れかえり、ガヤガヤと騒がしい。
「くそっ!俺が一体何したってんだよ!上官のバカヤロー!いつもいつも俺ばかり怒鳴りやがって!」
「おいおい、ちょっと飲みすぎじゃないか。ほどほどにしておけよ」
(ああいうお酒の飲み方は良くないニャ。悪酔いするのニャ)
シャノアは音を立てないようそっと移動し、別の通気口を見つけ、耳を傾ける。
「ちょっと聞いてくれよ。樹海の伐採活動にまた予算を入れるみたいだぜ」
「ああ、それなら俺も聞いたよ。今度のは今までよりも規模が大きいらしいぞ」
「ってことは、魔導重機もまた何台も新たに追加投入だな。樹海のお陰で俺たちも儲かるってもんだ」
話をしているのはガルド軍の兵士達であった。
(これはレン様に報告ニャ。機械を増やすという事は、それだけ黒枯れの汚染も進むという事なのニャ)
シャノアは酒場の様子をキョロキョロと見渡す。
(あれは……商人達かニャ?護衛を連れているところを見ると、それなりの位なのは間違いないニャ)
「なあ、バルトロ様の話、知ってるか?」
「ああ、あれだろ?緑の聖者の捕獲に失敗したってやつ」
レンの話をしている事に気づき、シャノアの耳がピンと立ち上がる。
「そうそう、私設の隠密部隊まで使ったのに、全員が無傷、しかも記憶まで失っていたらしい。正直なところ、本当かどうかも怪しい話だよな」
「俺も最初はそんな事あるはずがないと思ってたんだよ。だけどさ、その事件以来、バルトロ様はより一層緑の聖者の捕獲に執着してるって噂なんだ」
(なんて事ニャ!バルトロのやつ、まだ諦めていないのニャ!)
「なんとかして緑の聖者を手に入れ、その力を自分のものにしたいらしいぞ。懸賞金までかけたって話だ」
「……実はここだけの話なんだが……誰にも言うなよ……」
耳をそばだてるシャノア。
「バルトロ様、ここに駐留している軍に緑の聖者の捕獲を依頼したんだよ。生きて魔法さえ使えれば、手足が無くなっていても構わないとまで言っているそうだ」
(……っ!)
シャノアは怒りを覚えずにはいられなかった。
レンが相手を傷つけないようにと使った、睡眠と痺れ、記憶消去の魔法を、己の武器として使おうとしている。
そして、金にものをいわせ、軍にその生け捕りを依頼していたのだ。
(バルトロ、許せないのニャ!レン様の魔法はそんな人間には絶対に使わせないのニャ!)
シャノアは酒場の外に出て、その屋根の上に戻った。
(どうしようかニャ。レン様から無理はするなと言われているニャ。けど……)
冷たい夜風がシャノアの頬を撫でる。
(ここまで来たら後ちょっとだけニャ。まあ、危なくなったら全力で逃げれば大丈夫ニャ……)
シャノアはその足で、軍の司令部となっている大型のテントへと向かった。
テントの正面には兵士が立っている。
シャノアはテントの裏に回り、耳をピンと立て、テントの中に人の気配が無いことを確認する。
そして、音もなくテントの頂部にある通気用の隙間から侵入に成功した。
シャノアは机の上に置いてあった書類の中から、『新規伐採計画書』と、バルトロ商会からの『聖者捕獲の契約書』を手早くポーチにしまい込む。
「任務完了ニャ。早く帰って、レン様の匂いを嗅ぎたいのニャ」
「――ネズミかと思えば、猫が迷い込んでいるとは、面白いものですね」
「ニャっ!?」
テントの入り口から一人の男が姿を現した。
右腕に魔導義肢を装着し、モノクルから冷徹な視線を送る男。
魔導産業連邦ガルドの技術将校「ヴァルター」だった。
シャノアは振り返ってヴァルターの姿を確認すると、再び換気用の隙間から逃げようと身構える。
「アタシの事が見えるのニャ!?」
「残念でしたね……私の眼にはあなたの魔力がバッチリと映っているのですよ」
そう言ってヴァルターはモノクルを人差し指でトントンと叩く。
「さて、お縄を頂戴といきしょう」
技術将校がパチンと指を鳴らすと、テントの四隅から次々と網が射出された。
「そんなもの、アタシには通じないニャっ!」
四方からシャノアに向けて網が迫りくる。
シャノアはその目で網を確認すると、素早く足を動かし、跳躍した。
床、机、テントの柱を蹴り、網にかからないよう見事に避ける。
「ほう、さすがは猫といったところだな。では、これはどうかな?」
男の眼がモノクルの奥で冷たく光る。
そして、いつの間にか手首から先が外された右腕の魔導義肢をシャノアに向けた。
シュバババババッ!!
男の義肢から、熱線が機関銃のように発射される。
「甘いニャ!残像の舞ッ!!」
シャノアは一瞬にして複数の残像を作りだした。
しかし、
「見えているといったでしょう」
「ギャッ!」
残像を囮にし、気づかれない内にシャノア本体は上部の換気の隙間から逃げだす作戦であったが、ヴァルターのモノクルの前には通用しなかった。
換気の隙間まで届いたものの、シャノアの左胸と左肩に熱線が命中し、肩の一部がえぐられ、そこから血がボタボタと流れる。
「……っ!」
「おかしいですね。心臓を貫いたはずですが……」
ヴァルターは不思議に思いつつも、再びシャノアに向けて熱線を放つべく、右腕を天井に向けて構える。
しかし、シャノアは痛みを堪え、外へと逃げ出していた。
シャノアは左肩を抑えつつ、司令部を駆け抜け、闇夜へと再び溶け込んでいった。
「……私から逃げるとは……あの猫、なかなかやりますね……」
男はテントの天井を冷たい目で見上げた。
* * *
ルグロスの街の暗い路地裏にシャノアはいた。
大きなゴミ箱の影にしゃがみこみ、息を整える。
「ハァッ……ハァッ……危なかったのニャ。まずは止血ニャ……」
シャノアはポーチからボロボロの布を取り出すと、左肩にあて、抑え込む。
襲ってくる痛みに、思わず顔が歪んだ。
「うっ!……あの男……なんなのニャ」
貧血と疲労のせいか、視界がぼやけてくる。
気を抜くと、そのまま意識がとんでしまいそうだ。
その時、服の左胸の部分に大きな穴が空いていることに気が付いた。
「......っ!」
シャノアの背筋に悪寒が走る。
そして、咄嗟に左胸に手を当てた。
「なんとも......ないニャ......」
ホッと胸を撫で下ろすシャノア。
そして、彼女は気が付いた。
「レン様が……守ってくれたのニャ……!」
そう、それは出がけにリィネからもらったレン様人形であった。
ずっと左胸のポケットに入れてあったのである。
「こんなところで倒れるわけには、いかないニャ……」
行き倒れていた自分を助け、いつも美味しい食事を用意してくれたレンを思い出すシャノア。
今回の偵察任務の報告をするまでは死ねないと、覚悟を新たにするのであった。
シャノアは明け方まで路地裏でしっかりと休憩し、レンたちの待つ家へと向かい始める。
背後からは、ガルド軍の警備部隊の騒ぐ声が微かに聞こえてくる。
屋根の上をピョンピョンと飛び移りながらシャノアは呟いた。
「リィネ……ありがとうニャ……」
規模が大きくなるという樹海の伐採、聖者の力を渇望する強欲な商人の執念。
そして、傷つきながらも主様のもとへ急ぐ、小さな斥候なのであった。




