第45話:王の器
青い空、太陽の光が強く降り注ぐ昼下がりの森。
レンはリィネと二人で境界の茨の調査に来ていた。
日に日に樹海を蝕んでいる黒枯れの汚染、その進行から敷地を守るべく、茨の壁に浄化機能を付与したのはつい数日前のことである。
「うん、今のところ順調かな。黒枯れに負けて腐食している様子もなさそうだ」
ホッと一息つくも、壁の外を見るとところどころに汚染が確認できる。
黒く立ち枯れしている木々、嫌な臭いを放つ黒い水たまり。
「レン様、黒枯れは増えているのでしょうか」
リィネも外の森を見て不安そうに尋ねる。
「うん、少しずつだけど、樹海全体に広がっていると思う」
レンもまた、その胸に不安を覚えざるをえなかった。
その時。
ガサッ……、ガサガサッ。
「……っ!」
丁度見つめていた壁の向こうの森の、木々の隙間を覆う茂みが揺れた。
レンは腰の剪定鋏に手をあて、構える。
すると、見たこともない一団が姿を現した。
大柄で屈強な体格を持ち、豚のような鼻と、緑褐色の分厚い皮膚、そして、その口からは大きな牙が覗いている。
「なっ?あの人たちは?」
「レン様、あれは『フォレスト・オーク』です」
彼らはぞろぞろと出てくると、キョロキョロと辺りを見回し、眼前に立ちふさがる茨の壁を見上げていた。
見たところ足取りは重く疲れており、頬がこけ、お腹をすかせているようである。
幼い子供を抱えた母親や、老人もいる。
「おい、この壁の向こう、空気が澄んでいるぞ!」
「噂に聞いた緑の聖者の地はここで間違いない!」
「やっと着いた!」
オーク達の歓喜の声が聞こえてくる。
安堵してその場にへたり込んでいるものもいた。
「どうやら、また難民が来たみたいだね」
レンは彼らに声をかけようと一歩踏み出した時、向こうにいるひときわ大きなオークと目が合った。
「ここを開けろおッ!!」
ビリビリと空気を震わせる、地鳴りのような怒声が響き渡った。
「ひっ!?」
その声にビクリと体を震わせ、足を止めるレン。
その足がすくみ、力が入らなくなる。
彼の身長は二メートルを超え、丸太のような腕には無数の傷跡が刻まれている。
その背中には、身の丈ほどもある『巨大な包丁』のような大剣が背負われていた。
「ガ、ガスト様……!」
オークの老人が、すがるような声でその巨漢の名を呼んだ。
「ガスト様……どうか、落ち着いてくだされ……」
「長老、まだあいつが緑の聖者と決まったわけではない。油断大敵だ」
ガストは、レンを睨みつけながら、背中の巨大包丁をゆっくりと引き抜いた。
「オーク風情が私達の聖地に何用です!」
その時、リィネがレンの前に出て、大きな声でガストに向かって叫んだ。
その手には弓を持ち、凛とした表情をみせている。
「黙れ!貴様らこそ何者だ!ここを開ける気がないのなら、力ずくでも開けさせてもらうぞ!」
前世の営業マン時代を思い出すレン。
顧客からのクレームの電話。
大きな声で怒鳴られ、一方的に要求を突きつけられることも少なくはなかった。
『おたくの商品はどうなってんだっ!!』
『いいから責任者を出せ!!』
『払った金を返せよ!!』
これは、正面から抵抗や否定をすると泥沼に陥るパターンだ。
こんな時は、まずは相手に寄り添い、共感するところから……。
レンは震える足をパンパンと叩き、営業モードのスイッチを入れる。
よし、お客様のお出迎えだ。
レンは今にも矢を放ちそうなリィネを抑え、前に出る。
「やるなら一対一だ!魔法のような卑怯な真似は許さんぞっ!」
ガストは大剣を構え、壁の向こうでレンを睨みつけている。
「大変失礼しました。どうぞお入りください」
「レン様!?」
「大丈夫、僕に任せて」
オークたちに見えないよう、後ろにいるリィネに振り返って小さくウインクするレン。
リィネは頬を赤らめつつも、静かに弓を下ろした。
レンは茨の壁を一部解除し、彼らを招き入れた。
「……もし罠でも仕掛けてみろ、その時は俺が貴様を真っ二つにするからなッ!」
そう言いながらガストが壁の内側に入り、続いてぞろぞろとオークの一団が入ってくる。
彼らはキョロキョロと見回し、思い思いに感嘆の声をあげていた。
「お……おお……どこにも黒枯れがないぞ!」
「ここが聖者様の地で間違いない!」
「さあご遠慮なく……少し歩きますが、こちらへどうぞ……」
レンはそのまま森を歩き、彼らを自宅前のテラスまで案内した。
「なっ!なんだここは!?」
彼らは初めてみる菜園、噴水から常に水が出ている池、ゴブリン達が平和そうに生活してる森の姿に驚愕した。
ある者は地面に跪いて何かに祈りを捧げ、ある者は呆然と立ち尽くし、ある者は力なく座り込んでいる。
「き、貴様ァ!俺たちを油断させてどうしようという気だ!俺は騙されんぞォッ!」
ガストの声が周辺の森一帯に響き渡った。
そのまま大剣を構えてレンの方を向いている。
レンはその場で膝をつき、右手を地面につけた。
「な、何をする気だッ!?」
「私はあなた方に危害を加えるつもりはありません。まずは落ち着いてお話を……取引の円卓ッ!!」
ドゴォォォォォォォンッ!!
突如として彼の目の前の地面が隆起し、大きな切り株のようなテーブルが出現する。
同時に、彼の足元から背もたれと肘当てのついたイスがニョキニョキと生え出し、その巨体を強制的に椅子へと着席させた。
「うおお!」
ガストは罠だと思いイスから立とうと考えたが、不思議と警戒心が薄くなり、立ち上がれなかった。
「乱暴なやり方になってしまい、すいません。しかし、このテーブルからは興奮を抑える植物由来の成分が出ていますので、少し気持ちが落ち着きますよ。リィネさん、ハーブティーを彼らに入れてあげて」
「あ……ああ……なんかわからんがいいのか?」
「遠慮なくゆっくりしてください」
呆然とイスに座るガストを横目に、レンは菜園から果実を収穫していく。
テーブルにはハーブティーと皿に盛り付けられた果実が並べられた。
「さあ、どうぞ召し上がってください。長旅でお疲れでしょう。皆さんもご自由にどうぞ!」
「あ、ああ……」
ガストはおそるおそるハーブティーを口にする。
「……なんだこれは……!美味い……」
しばらく水たまりの泥水をすすって凌いでいた体に、染みわたっていく。
「自己紹介が遅れました。私は、レンと言います。ここで隠居生活をしている剪定師です。最近では『緑の聖者』などと巷では噂になっているようですが……」
「あ、あんたが……やはり……」
ガストは驚いてレンを見つめる。
噂になっている緑の聖者がこんな少年だとは思ってもいなかったのだ。
「……さあ、こちらの果実もどうぞ、遠慮しないでください」
レンは営業スマイルを全開にする。
ガストは勧められるがままにテーブルの上からイチゴを一粒とり、物珍しそうに見つめた後、口に入れる。
「なっ?あ……甘い……!?」
数日もの間、まともに食事をとっていなかったガスト。
テーブルの上の果実を貪るように食べ始めた。
「気に入ってもらえて安心しました。まだたくさんありますので、足りなかったら言ってください。そのままどうぞ、ごゆっくり」
ガストが食べている間、レンはリィネと二人で温かい布や食事を周囲のオークたちにも配り始めた。
「お母さん、これ甘いよ!」
「ああ、美味しい……こんなに新鮮な果物を食べるのは、いつ以来だろうねぇ」
オーク達が、涙を流しながら震える手で果実を頬張っている。
ガストはお腹いっぱいになるまで果実を口にした後、周囲を見渡した。
一族の皆の幸せそうな顔が目に入ってくる。
そして、正面に座っているレンに向かい、額がテーブルにつくぐらいまで頭を下げた。
「すまない!」
「いえいえ、気にしないでください。困っている人を見ると、見捨てておけないだけなんです」
「しかし、俺はあんたに剣を向けたんだぞ。こんなことまでしてもらって、俺はどうしていいのか……」
「確かに剣をむけられた時は怖かったですよ。でも、戦ったところで何も解決しないでしょう。それに……ガストさんだって大切な一族を守るために、必死だっただけだと思いますんで……」
その言葉に、ガストは目を丸くした。
レンからは他意は感じられなかった。
そこにはただ、真っ直ぐな誠実さだけがあった。
(な、なんという慈悲、緑の聖者の噂は本当だった……)
(己を殺そうとした相手に席を用意し、飯を食わせる。それは、真に強き者、真に気高き魂を持つ者にしかできない振る舞い……)
「……ひとつだけ、頼みがあるんだが……」
「はい、何でしょうか」
レンは再び前世を思い出す。
クレーム対応の電話、ひとしきり話を聞いた後、最後に出てくるのは真の要求事項だ。
社の方針に照らし合わせ、受け入れるか突っぱねるのか、ここが瀬戸際なのである。
レンはまっすぐにガストを見つめ、姿勢を正した。
「俺たちは、村が黒枯れに汚染され、住むところがなくなったのだ。俺はどうなってもいい。どうか、一族の者たちだけは、この地に置いてやってはくれないだろうか」
ガストは再び頭を下げた。
「ガストさん、あなたがどうなってもいい、なんてことはありませんよ。おそらくあなたが一族を引っ張ってきたのでしょう」
「レン殿……」
ガストは胸から湧き上がってくる気持ちを抑えるのに必死であった。
レンはそのまま言葉を続ける。
「ガストさん、どうぞここでゆっくり休んでいってください。キャンプ場なら、たくさんスペースがありますから。それに、つい先日ゴブリンさん達も同じように避難にきたのですよ」
目を丸くし、頭を上げるガスト。
「……い、いいのか!?……う……う……うおおおおぉっ!」
ガストの目から大粒の涙がポロポロとこぼれ始めた。
彼の大きな体から発せられる大きな泣き声が、森の中に響き渡る。
ひとしきり泣いた後、テラスに静寂が戻ってきた。
(なんという慈悲深いお方なのだ。このお方こそ『森の王』としてふさわしい。ゴブリンのような弱者にまで手を差し伸べるなど、もはや神にも近い存在ではないか)
ガストはイスから立ち上がり、レンの前で片膝をついて頭を下げる。
「レン殿……。一族だけでなく、この俺まで大事にしてくださるそのお気持ち、感謝してもしきれぬ。この身の全てを捧げると誓おう!」
「ええっ?そんな大げさな!そんなに重く受け止めなくてもいいですよ!」
レンは慌てながらも、今回のクレーム案件も無事、平和的に解決できたと胸を撫でおろした。
しかし、樹海では着実に黒枯れが進行し、住む場所を失う者たちが増えているのであった。




