第44話:自動黒枯れ浄化システム
夜が終わり、太陽が昇りはじめ、森に暖かな光が差し込む頃。
その日はどんよりと曇り、空気は冷たいままであった。
朝食用に果実を収穫しようと外に出るレン。
テラスを歩いていると、ヒューと風が吹いてきた。
「あれ?なんか、変な匂いがするな……」
風に乗って、動物が腐ったような匂いに、古くなった機械油の匂いが混ざったような、嫌な臭いがレンの鼻についた。
それは何度も嗅いだことのある、黒枯れの泥の匂いであった。
「レン様。おはようございます」
「おはよう、リィネさん。……ねえ、何か変な匂いしない?」
リィネもクンクンと匂いを嗅ぐ。
「……そうですね。あの、黒枯れの泥の匂いではないでしょうか」
二人が風が吹いてきた森の奥を見つめた、その時だった。
『――助けて……痛い……苦しい……!』
「うっ!?」
レンの脳内に、植物の伝言を通して、木々や草花の「悲鳴」が流れ込んできた。
右手の甲に鋭い痛みが走り、思わず手で押さえ、痛みを我慢する。
「くっ……何てことだ。南の方の境界の茨が黒枯れに汚染されている」
手を抑えながら南の方角を見つめるレン。
南の方、問題が起きるのはいつも南からであった。
人間諸国があるのは南の方角、やはり人間達の活動と黒枯れの汚染には関係がないとはもう言い切れない。
「よし、行ってみよう。リィネさん、一緒に来てもらえるかな?」
「はい!喜んで!」
二人の周囲の森の様子に異変がないかどうか確認するように、森の中を歩いていった。
「レン様が浄化したところの木々たちは元気ですね。レン様のお陰です」
「ありがとう、リィネさん」
敷地内についてはどこにも異常はなく、それぞれの植物達は活き活きとしている。
やがて、茨の壁が見えてくる、はずだった。
しかし、
ジュワァァァァッ……!!
そこにあったのはドロドロに溶かされたような茨の残骸であった。
地面からは黒い液体が溢れ出しており、黒枯れ特有の臭い匂いが漂っている。
「やっぱり……感じた通りだ」
部分的であるとはいえ、レンの作り出した魔法の茨が黒枯れに汚染され、壁に穴が開いていた。
ふと、目を前方に向けると、壁の向こうの森も黒枯れに汚染されていた。
ところどころの樹木が黒く立ち枯れし、その足元には黒枯れの泥が溢れている。
黒枯れの水たまりのようなものもあり、かつての森ではなくなっていた。
「そんな……」
変わり果てた光景に呆然と立ち尽くすレン。
「マズイな、黒枯れの汚染が進んでいる。このままだと家の方まで汚染されるのも時間の問題かもしれない」
「……レン様」
不安そうにレンを見つめるリィネ。
「ちょっと、見てみるよ……」
レンは意を決したような顔をリィネに見せたあと、地面に片膝をつき、右の手のひらを大地につける。
「―――植物の伝言、フルマックス!」
目を閉じ、意識を集中して植物の伝言の感度を最大限に上げる。
『水が……黒い……苦しい……!』
『グルルルアアァ!』
『……痛いよ……助けて……ドロドロしてる!』
『もう……限界だ……泥に溺れる……』
「―――うわぁっ!」
レンは両耳を塞ぎ、思わず声を上げた。
頭に流れ込んでくる大量の情報を処理しきれず、脳が焼かれるような感覚に襲われたのだ。
「ぐうっ……ああっ!!」
続いてレンは右手の甲を抑え、その場に倒れ込んだ。
地面に横になったまま右に左にその身をよじり、痛みに耐える。
樹海の広域にまで自身の魔力を展開したことで、地域一帯の全ての黒枯れの汚染が反発し、レンの右手に痛みとなって返ってきたのである。
「レン様!」
リィネがレンの隣にしゃがみ、レンの背中をさする。
「うああぁっ!……はあっ……はあっ!」
脂汗を大量にかき、手を押さえながらもだえ苦しむレン。
泣きそうな表情でただひたすら背中をさすり、祈るリィネ。
(ああ、レン様!いつもレン様ばかり苦しんでいる。こんな時、なにもできない私は悔しい。私にレン様をお守りする力があれば!レン様を苦しみから解放してあげたい!レン様!)
その瞬間、周囲一帯が白銀の光に包まれた。
―――静寂が訪れる。
「はあっ……はあっ……もう、大丈夫。ありがとうリィネさん」
程なくレンの痛みはゆっくりと引いていき、落ち着きを取り戻す。
体を起こし、右手を見つめるレン。
「この手の痛みはさ、少し時間が経つと治るんだよ。今回はリィネさんがいたからいつもより早かったかな、ははっ」
リィネに向かって営業スマイルを見せた。
それを見て、安堵するリィネ。
「レン様……何か、わかりましたでしょうか」
「うん……残念だけど、樹海のあちこちで黒枯れの汚染が進んでいるよ。それも、外から入ってきた黒枯れの水が、地下水脈を通して樹海全体にどんどん広がっているみたいだ」
手の激痛という代償を払って得た情報は非常に有意義なものであった。
黒枯れの汚染は外部から持ち込まれ、樹海に広がっている。
これは人間達の機械の廃液であるという説の可能性が濃くなっていく。
レンは前世の営業マン時代を思い出す。
外部環境の変化による影響は大きい。
そう、為替の影響で材料費がどんどん高くなるにもかかわらず、容易に価格転嫁ができずにどれだけ苦しんだことか。
時間のかかる商談は早急な対応が勝負の分け目だ……。
「……まずは、自分達のところだけでもなんとかしないとね……」
そう言って、レンはまず黒枯れに汚染された茨を浄化し、壁を作り直そうと視線を前に向ける。
「あれ?」
黒枯れに汚染されてドロドロになり、泥が溢れていたはずの地面がきれいになっている。
さらに、前方の森一体の黒枯れも浄化され、木々は色を取り戻していた。
「さっきまで黒かった……よね?」
「……はい、確かに、そうですが……一体何があったのでしょうか?」
「あれかな……さっき、もの凄い量の魔力を地面に流し込んだからかな。あっ!それで右手があんなに痛かったんだ!そういうことか!」
レンは一人で納得し、「さすがはレン様です」と喜ぶリィネであった。
レンは茨の壁を元に戻すと、一つ大きな深呼吸をした。
彼はあるアイデアを思いついていた。
「さて、このままだとまた汚染にやられちゃうから、自動で簡単な浄化をできるようにしておこうと思うんだ」
「自動……ですか?」
首を斜めに傾げ、レンを見つめるリィネ。
「そう。黒枯れの水は地中を通して広がっているから、この茨の壁に、黒枯れを少しでも浄化できるような機能を持たせてみようと思う」
レンはそう言うと、再び地面に片膝をついた。
先ほどの激痛を思い出し、少しためらう。
大丈夫……だよな……。
手のひらから大地に魔力を流し込んだ。
「―――進化の接ぎ木っ!」
レンの魔力が、森の家を広範囲に囲っている境界の茨へと一気に注ぎ込まれていく。
レンの魔力を受け取った茨の根は、グングンと深く広く地中に張り巡らされていく。
茨の葉は一回りも二回りも大きくなり、その表面から時折シュンと蒸気が立ち上る。
その茨は、根から黒枯れの毒素を吸い上げ、酵素の力で強力に分解し、葉から無害なガスとして放出するように変化したのである。
「よし、これで多少の黒枯れの水が流れてきても、大丈夫なはずだ」
「レン様、ありがとうございます。これでまた、私達の家の安全は守られたのですね」
リィネは両手を胸の前で組み、神を崇拝するような目でうっとりとレンを見つめている。
しかし、レンは一安心したものの、根本的な解決に至っていないことに不安を残すのであった。
* * *
時間は少し遡る。
森の家の南東部、キャット・ピクシーのシャノアは音もなく駆け抜けていた。
「……おかしいニャ……」
人間の動向を探るための長期偵察に出たばかりのシャノアは、目前に広がる光景に違和感を感じていた。
彼女が知る限り、その一帯は、青々とした緑の海だったはずだ。
だが今、彼女の視界に広がる森の木々は、黒く変色し、無残に枯れ果てている。
「前はこんなんじゃなかったニャ……黒枯れの汚染が進んでいるのニャ……」
その時、
『ギャァァァァァァッ!!』
おぞましい鳴き声が空から聞こえてきた。
シャノアは空を見上げる。
そこには黒枯れに汚染された巨大なカラスがいた。
「ニャっ!?」
羽からは時折ポタポタと黒枯れの泥が落ちている。
赤黒く濁った目はシャノアの姿を捉えていた。
『ギャァァァッ!』
その魔物は、凄まじい速度でシャノアへと向かってきた。
「冗談じゃないニャッ!」
シャノアは木々を蹴って宙を舞い、魔物から逃げるために森の深い方へと逃げ込んだ。
「はぁっ……はぁっ……」
ようやく魔物の気配が消えたことを確認すると、シャノアは太い木の幹に背中を預けてへたり込んだ。
「……あんな魔物、前にはいなかったニャ……」
シャノアは軽く休憩をとると、警戒を最大限にして人間諸国への道へと急いだ。
静かに、だが確実に忍び寄る『黒枯れ』の脅威。
逃げ場を失いつつある始まりの森に、かつてない絶望の気配が満ち始めていた。




