第43話:鈍感な男
静かな森の夜。
はるか上空では無数の星々がキラキラと輝き、天を覆いつくしている。
しかし、樹海の空気はどこか淀み、息苦しさをも感じさせていた。
レンは、家のリビングで夕食後のハーブティーを楽しんでいた。
「……っ!」
右手の甲が突然痛み、思わずカップを落としそうになる。
持っていたカップをそっとテーブルに戻し、顔をしかめながら右手の甲をおさえた。
「レン様、またですか?」
後片付けをしていたリィネが心配そうに近寄ってくる。
「うん、いつもの……だね。樹海に黒枯れの汚染が広がっているのかもしれない」
相変わらず、夜になると時折こうして手の甲に強烈な痛みが走ることが続いている。
以前は、リィネに心配をかけまいと手の疼きを隠していたが、近頃は正直に話をするようにしていた。
「……人間達め!許せません!機械を使って森を汚し、さらにはレン様を苦しめるなど……万死に値します!今から私が人間の国に行き、壊滅させてきます!」
「いやいや、そんな、一人で無理だって!」
レンは両手を前に出して大きく振り、必死にリィネを止める。
そんなやり取りをしているうちに、手の甲の痛みはいつの間にか無くなっていた。
「レン様、どうか無理はなさらず。私にできることがあれば何なりとお申し付けください」
「大丈夫だよ。ありがとう」
レンはにこりとほほ笑み、再びハーブティーをすする。
「ハーブティーのおかわりはいかがですか?」
「うん、もう大丈夫。もう眠くなってきたから、そろそろ寝るよ。おやすみなさい」
レンはハーブティーを飲み終えると、ふわぁと大きなあくびをし、寝室へと向かった。
「……」
一人残されたリビングで、リィネは寝室へと続く扉を見つめる。
「レン様、私は心配でなりません」
リィネを心配させまいと、レンがいつも強がっていることをリィネは知っていた。
「いつもいつも、大丈夫って……」
リィネはぽつりと呟くと、リビングの棚から小さな木箱を取り出した。
その中から、編みかけのスカーフを取り出す。
レンにサプライズでプレゼントして喜ばせようと、夜な夜な少しずつ編んでいるのであった。
それは、真っ白な魔法の繊維。
そこに、自身の月光銀の髪を合わせて編んでいるものである。
リィネは部屋の隅のテーブルに腰をかけ、眠気覚ましにハーブティーを口に入れた。
スルスル、キュッ。
リィネはかぎ針を手に取り、静寂の夜の中で、祈るように続きを編み進めていく。
(レン様は、私が自分の無力さに悩んでいる時、弓を作ってくれた。たとえ私に魔物と戦う力がなくとも、レン様ならその魔法の力でなんとでもできるのに)
ちらりと横目で疾風の茨弓を見る。
弓にはバラの蔓が巻き付いており、レンの魔力とつながっているという。
(私はその弓を持っているだけで、レン様がすぐそこにいるような気がして、心が強くなれます)
スルスル、キュッ。
(ゴブリンの一族がレン様に助けを求めに来た時は、それを受け入れた。頼まれたら断れないと、そう仰っていた)
(ゴブリンのような貧弱な下等種族と同じ敷地で暮らすなど、普通じゃ考えられない。普通の人間ならば、喜んで虐殺するか、捕まえて奴隷にするのに……)
(いったいレン様はどこまでお優しいのか。その底無しの優しさにつけこまれ、レン様が傷つくようなことが起きないか、心配なのです)
スルスル、キュッ。
(レン様……)
(どうしてあのように優しいお方が痛みを背負わなければいけないのか。黒枯れの汚染とレン様の魔力が反発するたびに、いつも顔を歪ませて痛みに耐えていらっしゃる)
(どうか、少しでもその痛みが無くなりますように……)
スルスル、キュッ。
リィネは手を一旦止め、ハーブティーを飲んだ。
光るキノコの淡い光が、リィネの横顔を照らす。
スルスル、キュッ。
(夜、寝ている間に人間が敷地に侵入してきたこともあった)
(あの時のレン様は心強かった。家の中にいながら魔法の力で外の人間達を眠らせていた)
(もし、あの時、レン様がいなかったら……。もし、私一人の時に襲撃されたら……)
スルスル……ギュウ。
(あっ、しまった。つい、力が入ってしまった。やり直さなきゃ)
―――スルスル、キュッ。
(レン様は他人を傷つけるのが怖いと言っていた。自分を襲いにきた相手の家族のことまで考えていた)
(それを、レン様は自分自身の弱さだと思っていたが、私は違うと思う。損得無しに他人を大切にすることができる、それは強さだと思うのです)
(ああ、レン様はなんて慈悲深いのでしょうか。自らの危険を顧みず、他者のことを優先して考えるなんて)
スルスル、キュッ。
(そうなのであれば、私がレン様を守る。あのお方が安心して暮らせるよう、レン様が誰かに傷つけられることがないよう、私が外敵から守るのです)
スルスル、キュッ。
(元はといえばレン様に救われたこの命。レン様のためであれば、この命を捧げたって構わない)
ほんの一瞬、全ての音が消えた。
(―――私の全てをかけてレン様を守ってみせる……)
その瞬間。
リィネの髪に編み込まれた魔法の蔓から、ポンポンと白い花がいくつも咲き始める。
そして、
フワァァァァッ……!
リィネの体から途方もない白銀の魔力が溢れ出し、リビング全体が光に包まれたかと思うと、その光が編みかけのスカーフに吸い込まれていった。
「え……?……光が、布に宿った?」
リィネ自身もわからなかった。
気のせいだろうと思い直し、作業を再開した。
スルスル、キュッ。
夜は静かにふけていった。
* * *
翌朝。
「ふぁあ……よく寝た」
いつも通りの朝を迎え、リビングで寝起きのハーブティーを飲もうとキッチンへ向かうレン。
「あれ?なんだろう?」
レンはテーブルの上に置いてある小さな木箱に気が付いた。
よく見ると、蓋が少し開いている。
蓋を開けて中を覗き込むと、真っ白な編みかけの布地が入っていた。
白銀の繊維も編み込まれており、うっすらと輝いているようにも見える。
「リィネさんが作っているのか、すごいなぁ……こんなこともできるなんて」
レンは、その布地を手に取ってみた。
糸の一本一本が丁寧に編み込まれており、しっかりとした布地になっている。
表面はツルツルと滑らかで肌触りがよく、安心するようないい香りがしていた。
思わずその滑らかさに、その布に頬をあて、スリスリと頬ずりしてみるレン。
その時。
「レン様……?」
「ひぃっ!」
後ろからのリィネの声に驚くレン。
そして、その手に布が握られているのに気が付き、慌てるリィネ。
「はわわわわっ!れ、レン様!ダメです!」
「ご、ごめん!なんだろうと思って、つい!」
リィネは顔を真っ赤にしてレンから布を取り上げ、木箱に戻した。
「いや、それ、すごいね!前から編んでたの?上手にできてるから、びっくりしたよ!」
「その……はい、ありがとうございます……」
リィネはどうしてよいかわからず、涙目になって俯く。
手はドレスを握りしめてモジモジとしている。
レンは勝手に編みかけの布に頬ずりした事をごまかそうと、しどろもどろになりながら言葉を続けた。
「こんな事ができるなんてリィネさんは器用なんだね!きっといいお嫁さんになれるよ!」
「あ……あ……お、お散歩に行ってきます!」
リィネは耳の先まで顔を真っ赤にし、急ぎ足で家の外に出て行った。
外に出て森の中に駆け出すリィネ。
何かを吹っ切るようにひとっ走りし、疲れたところで目の前の木に手をついた。
「はあっ……はあっ……レン様のバカ……」
そんな言葉を口にするも、リィネの口角は上がっていた。
その頃、レンは一人でリビングをウロウロと歩いていた。
「……しまった。あんなに怒るなんて。ああ、どうしよう……」
やがて、リィネの機嫌を取り戻すにはこれしかない、と思い立ち、いつもより手の込んだ朝食づくりを始めた。
鈍感な男と、その男の役に立ちたい一心でスカーフを編むハイエルフの少女。
黒枯れの汚染が進む樹海の中、森の家は今日も穏やかに時が流れているのであった。




