第41話:猫の宣言
北の森でハイエルフの戦士・ゼノンを救出してから数日が経過した。
森の家ではこれといったトラブルもなく、平穏を取り戻していた。
今日も晴天に恵まれ、暖かな陽射しが木々の隙間から庭を照らしている。
レンとリィネは菜園にいた。
「さすがはレン様!小さくて青い実が房になっていて、とても美味しそうです!早速いただいてもよろしいでしょうか!?」
「リィネさん、ちょっと待って。これはね、そのまま食べるものじゃないんだ。凄く甘いけど、凄く酸っぱいと思うよ」
剪定鋏を手に、棚を見上げるレンとリィネ。
リィネのエメラルドの瞳が見たこともない果実を映し出し、キラキラと輝いている。
レンはつい先ほど大きな木製の棚を作り、何本ものブドウの木を成長させ、一気にたくさんの実を実らせたのだ。
彼にはある考えがあった。
「この実を僕が桶に入れるから、騙されたと思ってドロドロになるまで踏みつぶしてもらえるかな?」
「レン様のお考えはよくわかりませんが、きっと素晴らしいものができるのですね!このリィネ、喜んでお手伝い致します!レン様の為でしたら、例え火の中でこの身が焼かれようとも構いません!」
ふん、と鼻息を荒くし、袖をまくり上げて気合を見せるリィネ。
「あははは……よろしくね……」
それに圧倒され、営業スマイルをみせるレンである。
レンは手早くブドウを収穫すると、その実を大きな桶いっぱいに詰め込んだ。
リィネは裸足になり、ブドウを踏みつぶしていく。
ブドウの皮が弾け、中から実が飛び出す。
飛び出した実が更に踏まれ、中から汁が溢れ出す。
やがて、桶の中は果汁と皮が混ざったドロドロの赤黒い液体になり、甘い香りが漂っていた。
「レン様、これでよろしいのでしょうか?」
慣れない作業に困惑しつつ、レンに確認するリィネ。
「どれどれ……うん、いい感じだね。次はこっちの桶をお願い」
レンは今しがたリィネが踏みつぶしていた桶の中身を全て樽に移し、空いた桶に次のブドウの実を詰めていく。
この作業を何度も繰り返し、樽の七割くらいまでを一杯にした。
「ふぅ、リィネさん、ありがとう。お疲れ様」
リィネはレンの役に立てたことに満足し、ここから一体何が始まるのだろうとワクワクしながらレンを見つめる。
「ここからが面白いんだ、樽の中、見てて」
リィネは樽の中を覗き込む。
レンは樽にそっと右手をあてた。
「―――急速成長!」
緑色の魔力が樽に注ぎ込まれていく。
すると、樽の中の液体からポコポコ、シュワシュワと泡が発生し始めた。
「レン様!大変です!ば、爆発してしまうのではないでしょうか!?」
突然の発泡に驚き、目を泳がせながら後ずさりしていくリィネ。
「あははは!大丈夫だよ、リィネさん。爆発したりはしないから、見ててごらん」
ホッと安心して再びリィネは樽を覗き込んだ。
すると、底に沈んでいた皮が浮き上がり、果汁がだんだんと赤黒く染まっていく。
「レン様、とてもいい匂いがします。私、この香り好きです」
リィネは立ち上る芳醇な香りにうっとりとし、潤んだ瞳でレンを見つめていた。
しばらく見ていると、発泡がおさまった。
皮は沈み、樽の中は何事もなかったかのように落ち着いている。
上澄みはルビーのように赤く透明で、キラキラと輝いていた。
「よし、こんなもんかな」
発酵が想像以上に順調に進み、満足げに頷くレン。
「はっ……はっ……わ、わたひの、れんひゃま……」
ところが、樽を覗き込んでいたリィネの呼吸が荒く、顔が真っ赤になっていた。
「にゃんか、ぐりゅぐりゅまわって……いまひゅ……」
リィネはそのまま後ろに尻もちをつくように倒れ込んでしまった。
「……れんひゃま……だいすきれしゅ……」
目をグルグルと回すリィネ。
「え?あ……しまった!リィネさんはアルコールに弱かったのか!」
レンは慌ててリィネを抱え、寝室まで運び、ベッドに寝かせた。
しばらくそこで寄り添っていた後、呼吸や脈動が落ち着いたことを確認し、安堵の息をもらした。
再び樽に戻り、試しに木の柄杓で一口すくって飲んでみる。
わずかなタンニンの渋みの後から、重厚な甘みとさわやかな酸味が鼻を抜けた。
レンは一人で大きく頷いた。
「……完成だ。至高の果実酒」
確認の為、もう一口飲んでみる。
「うまい……。これなら、どんな相手だろうと完璧におとせるだろう……」
レンは前世の経験をここにも活かそうとしていた。
先日の人間の侵入者達の一件、おそらくは噂を聞きつけた者の仕業だろう。何かしら要件があったことは間違いない。
不法侵入者に対しては魔法を使って武力で制圧をするしかないが、話し合いであれば別だ。どんな要件はわからないが、それならおもてなしをすることで交渉が有利に進められるかもしれない。
そこでこの至高の果実酒の出番、というわけだ。
しかし、それはあくまで建前であった。
ただ単に前世からワインが好きであったレンが、自分の為だけに作るのは悪い気がして、体のいい理由を作ったに過ぎなかった。
ともあれ、至高の果実酒は完成した。
レンは赤い顔をしながらガッツポーズをし、交渉の切り札を地下貯蔵庫へと丁寧に運び込んだ。
* * *
その日の深夜。
「……んニャ?なんだか、いい匂いがするニャ……」
リビングの隅で丸くなっていたシャノアは、地下の貯蔵庫から漂ってくる芳醇なブドウの香りを見逃さなかった。
「こっちの方かニャ……とっても美味しそうニャ。」
クンクンと鼻を動かしながら匂いの元をたどっていく。
匂いに誘われるがまま、階段をゆっくりと下りる。
そして、そのまま地下貯蔵庫にたどり着き、一つの樽にいきついた。
「これニャ……」
どれどれと確認するように蓋を開け、樽の中を覗き込むシャノア。
「ニャあ……見つけたニャ……絶対に美味しいニャ……ちょっとだけ……」
匂いに我慢ができず、柄杓でそのルビー色の液体をすくい、ペロリと舐めてみる。
「ニャッ!?とっても美味しいのニャ!もう少しだけいただくニャ……」
シャノアは初めて飲むワインの誘惑に完全に負けていた。
少しだけのつもりが、アルコールの影響で自制心が吹き飛んでいく。
「こんなにたくさんあるなら大丈夫ニャ……もう一杯ニャ……ヒック!……ニャふふ、レン様は天才だニャ~」
——翌朝。
「え……シャノア?」
地下貯蔵庫への扉が開きっぱなしになっていたのを不信に思い、確認にきたレン。
そこには木箱に抱き着くように寝ているシャノアがいた。
周囲には空になった柄杓が転がり、そこから赤い液体が床にこぼれている。
「むにゃ……もう飲めないニャ……レン様、いい匂いニャ……」
シャノアはワインを飲みすぎてそのまま潰れてしまっていた。
レンは仕方ないといった表情で掃除と片付けを始める。
その時、背後からズゴゴゴゴゴッ!とただならぬ気配を感じ取った。
「ん?」
振り返ると、そこには疾風の茨弓に矢を番え、魔力を込めているリィネがいた。
その瞳からは一切の光が消え去り、全身からどす黒いオーラを放っている。
「……この泥棒猫が勝手に盗み飲みしたのですね。万死に値します!」
「待って!待って!リィネさん!ただの酔っ払いだから!」
レンは両手を大きく振ってリィネを説得する。
「と、とりあえず、シャノアをベッドに運んでもらってもいいかな?僕はここの掃除と片付けをしておくから」
「……レン様の作ったものを盗むような泥棒猫には死がお似合いかと思いますが……そう仰るなら、従います」
リィネは不満そうにため息をつく。
そのまま、寝ているシャノアの腕をガシッと掴み、ズルズルと引きずって寝室へと向かっていった。
* * *
数時間後。
太陽が最も高いところまで昇った昼下がり。
「うぅぅ……頭が痛いニャ……気持ちが悪いのニャ……」
シャノアは寝室のベッドで丸くなり、二日酔いと格闘していた。
「自業自得ですよ、シャノア。レン様のお慈悲の深さに感謝しなさい……ほら」
リィネが皮肉を言いながらも、冷たいおしぼりをシャノアに渡す。
「うう……ありがとなのニャ」
ベッドの上で丸くなったままおしぼりを目にあてるシャノア。
「シャノア、加減はどうだい?」
「最悪ニャ。もうこりごりなのニャ」
レンはキッチンから木のボウルを持ってきてシャノアに差し出した。
「これは……なんニャ?」
「二日酔いに効く、特製の薬草スープだよ」
前世で、何度も二日酔いを経験してきたレンである。
ショウガから抽出したウコンを中心に、鶏の肝臓をすり潰したものを加えたスープ。
各成分が本来の力以上の効果を発揮するよう、レンの魔力を注ぎ込んで仕上げた二日酔い対策の一品であった。
「いただきますニャ……」
シャノアが震える両手でボウルを受け取り、スープをすする。
「……ふぁあ。あったかいニャ」
「たくさんあるから、全部飲んでね。水分をたくさんとるのも大事だから」
それから、シャノアはあっという間にスープ全部を平らげ、ホッと息をついた。
「頭が痛いのと、気持ち悪いのが無くなったニャ。スッキリなのニャ」
そう呟いた後、申し訳なさそうに耳をペタンと伏せて、レンを見上げる。
「レン様……ごめんなさいニャ。あんなに美味しいお酒、初めてだったのニャ」
「別にいいよ、怒ってないし。次からは一緒に飲もうね」
レンが微笑むと、シャノアの瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「レン様は、本当に優しいニャ……。行き倒れてたアタシを助けてくれて、毎日美味しいご飯を作ってくれて……おまけに、あんなにすごいお酒まで……」
「そんな、別に、やりたい事をやっているだけだよ」
少しの沈黙の後、泣き止んだシャノアはキッと顔をレンに向けた。
「決めたニャ!レン様の平穏は、アタシが絶対に守るニャ!」
「ん?どうしたんだい?」
シャノアは真剣な表情になり、まっすぐにレンを見つめる。
「レン様は、外からの侵入者にいつも怯えているのニャ」
「……うん。まあ……」
「だから、人間たちがこれから何をしようとしてるのか。あいつらの本当の狙いはなんなのか。それを、アタシが人間たちの街に潜入して、全部調べてくるニャ!」
それは、人間諸国の領土に潜り込み、動向を探るという『長期偵察任務』の宣言だった。
「え、ちょっと、大丈夫なの?危ないんじゃないの?」
シャノアは自信満々に鼻を鳴らした。
「アタシの俊敏さと隠密能力ならお茶の子さいさいだニャ。元々商売で人間の国とは行き来してたし、アタシももっとレン様の役に立ちたいのニャ」
レンをまっすぐに見つめるシャノア。
「……わかった。でも、絶対に無理はしないで。少しでも危険だと思ったら引き返してきていいから。怪我しないで帰ってくると約束してほしい」
「約束するニャ!絶対に無事で帰ってきて、レン様と美味しいお酒を楽しむのニャ!」
シャノアはニカッと笑い、レンの手をぎゅっと握った。
―――翌朝、その日の空は雲が多く、テラスは薄暗かった。
「気をつけてね、シャノア」
「長旅になります。道中、困ったことがあったらレン様を思い出しなさい……ほら、これ」
リィネは小さな人形をシャノアに手渡す。
「なんニャ?これは……」
それは、昨日のシャノアの宣言後、一睡もせずに夜通しで作った「レン様人形」であった。
「リィネ……ありがとうなのニャ。でも、アタシがいない間にレン様を独り占めするんじゃニャいよ!」
シャノアはレンに大きく手を振ると、森の中に疾風のように消えていった。
レンはその森を見つめ、大きく深呼吸をした。
「さて、リィネさん、手伝ってもらえるかな。……至高の果実酒を、もっとたくさん作っておきたいんだ」
「はい、レン様」
慎重な元営業マンは、平和的に争いを避けるための準備を着々と始めていた。




