第38話:リィネの光
澄み渡るような青空が広がっている森の朝。
この数日吹き荒れていた風はおさまりをみせ、森に静寂が戻っていた。
「レン様、今日はどうなさいますか?」
テーブルには朝食に用意したレタスとトマトの生野菜サラダが並んでいる。
「実は、家の周りの地形を確認しようと思って歩いた時に、何か所か黒枯れに汚染されているところを見つけたんだ。できれば、魔法で浄化しようと思って」
そういいながらも、黒枯れの反発による紋章の痛みを思い出し、レンは思わず右手の甲を抑える。
その様子をリィネは見逃さなかった。
レン様がまた無理をしようとしている。
「……レン様、私もお供してよろしいでしょうか?」
「ん……別に構わないよ」
二人は朝食を済ませ、ハーブティーを飲んで一段落した後、外に出た。
穏やかな朝日が池の水面にキラキラと反射している。
「さあ、行こうか。確か……こっちだったな」
レンたちが暮らす森の家から少し離れた北東のエリアに、それは存在していた。
「……やっぱり、ここだ」
黒枯れに汚染されたエリアがそこにあった。
木々の根本からは黒い泥が水のように湧き出し、腐ったような不快な匂いが漂っている。
何本もの木が黒くなり始めており、枝は勢いがなく、葉も下を向いて変色しかかっていた。
「今、助けてやるからな……」
「レン様……」
心配そうにレンを見つめるリィネ。
レンは意を決して、枯れかかっている木の幹にそっと右手を当てた。
「癒しの祝福……」
接ぎ木の紋章が光り、緑色の魔力が木に注ぎ込まれていく。
「ぐぅっ!……くっ……」
「レン様!大丈夫ですか!?」
右手の紋章が激しく熱くなり、痛みに耐えるレン。
顔をしかめながらも魔力を注ぎ続ける。
少しずつではあるが、木の足元の黒い水は透明になり、木は色を戻しながらゆっくりと枝も張りを取り戻していった。
「はあっ……はあっ……ふぅ……」
レンは汗を拭い、浄化した木を見上げる。
まだ疼きが残る右手を抑えながら、笑顔をみせた。
「良かった。すっかり元気を取り戻したな」
自分を犠牲にしながら森の木を治療するレンの姿にリィネは感動していた。
「レン様。ありがとうございます。森の木々の為に、ご自身を犠牲にされて」
「いいのいいの。リィネさんは気にしないで。僕がそうしたいからやっているだけだし」
そう言った後、すぐ近くにある別の弱っている木の元へ行くレン。
ふぅと息を吐いてから木に右手をあてる。
レンの顔が痛みに歪む。
リィネは少しでもレンの役に立ちたく、レンの額から流れる汗を自らの服の袖で拭いていた。
森の中に差し込む陽射しの角度がわずかに変わる。
枯れかけていた木から黒い色が消え、枝葉が背筋を伸ばすように上を向いていた。
「はあっ……ああっ……わかってはいたけど……やっぱりきついな……」
「レン様、あまりご無理は……」
「大丈夫だよ、リィネさん。この木から『ありがとう』ってお礼を言う声が聞こえるんだ。まだまだこれからさ。まあ、半分は強がりだけどね」
レンは笑顔を作って強がってみせるが、実際のところ、右手の負担は大きかった。
「ふぅ……よし、このエリアが終わったら一旦休憩しようか」
小さな目標を一つ作り、モチベーションを維持するレン。
次に浄化する木を決め、足を運んだ。
―――およそ一時間後。
その汚染エリアの浄化を終え、レンはふぅとその場に座り込んだ。
「よし、休憩しよう。この時間があるから頑張れるんだよ」
レンは前世の営業マン時代を思い出していた。
クレーム処理を終えた後、自分へのご褒美として喫茶店に入り、ケーキとコーヒーで休憩をよくとっていたのだ。
レンは、魔法を使って木を生やし、その枝を切って流れ出る水を口に入れる。
水を飲み終わり、一息ついた時、リィネが口を開いた。
「レン様、右手を見せてもらえますか?」
「ん?右手?いいけど……」
レンが不思議に思いながら右手をリィネに差し出す。
すると、リィネはその右手を宝物のように両手で包み込んだ。
「レン様の痛みが、少しでもやわらぎますように……」
レンは胸がドキリとした。
しかし、心なしか右手の痛みが引いていく気がする。
「あ、ありがとう。もう大丈夫だよ。次のエリアに行こうか」
照れ隠しもあり、次へ急ぐレンであった。
―――数時間後、目星をつけていた複数の汚染エリアの浄化を終え、最後のエリアへと来ていた。
浄化をするべく木の幹に手を当てようとする。
しかし、
「……ああ、マズイな……足に力が入らない……」
レンは足がもつれ、その場に手をつく。
長時間に及ぶ魔力の行使が、肉体にも大きな負担をかけていた。
魔力そのものはまだまだ残っている。
それは何にも問題ない。
だが、全身の筋肉が、特に足の筋肉が悲鳴を上げている。
「レン様!?」
「ああ、どうやら朝から魔力を使いっぱなしだったから、足にきたみたいなんだ」
レンの隣でしゃがみ込み、心配そうにその顔をのぞき込むリィネ。
レン様を何とか少しでも休ませなければ、そう思ったリィネは一つの提案をした。
「レン様!ご無理をなさらないでください!さあ、どうぞ私の膝の上でお休みください!」
リィネはその場に正座し、自身の太ももをポンポンと叩いた。
いわゆる「膝枕」である。
「ええっ!?いや、ちょっ、その……恥ずかしいし、申し訳ないから!ここで横になってれば、だ、大丈夫だから!」
レンは顔を真っ赤にして慌てて断る。
いくらなんでも美少女エルフの膝枕はハードルが高すぎた。
しかし、それを聞いたリィネの眉は悲し気に下がり、瞳は潤み始める。
「……私が、嫌い……なのですか?それとも、私の膝では、お体を休めるには物足りないのでしょうか……」
「いやいや、そんなことない!リィネさんのことは好きだよ!」
「では、せめてこの膝で、レン様のお疲れを少しでも癒やさせてください!でなければ、私、死んでも死に切れません……っ!」
いやいや!すぐに死のうとしないで!
今にも泣きだしそうな悲痛な顔で懇願するリィネ。
「わ、わかった!わかったから泣かないで!お、お願いします……」
レンは緊張のあまりゴクリと唾を呑み込む。
そして、彼女の膝の上に頭をのせようと姿勢を変えた時。
「痛たたた……ちょっと足が痛いな。リィネさん、ちょっとだけ待ってもらっていいかな……」
レンは地面についている手にそのまま魔力を流し込み、冷気草とゴムの木を成長させた。
「―――進化の接ぎ木」
冷気草の成分とゴムの樹液を合わせ、触るだけで冷やりとするジェル状の液体ができあがる。
「これを、ここに塗ると……。ああ、冷たくて気持ちいい……効く……」
レンが自分の両腿とふくらはぎに冷感ジェルを塗り、筋肉の炎症を抑える。
「不思議な治療薬ですわ……。レン様、まだお痛みはありますか?」
「まだ痛いけど、少し休めばきっと良くなるよ。……じゃあ、その、膝枕……いいかな……」
「はい!喜んで!」
レンは顔を真っ赤にしたままゴロンと寝転び、リィネの膝の上にそっと頭をのせた。
リィネは心配そうにレンの顔を覗き込み、その髪をやさしく撫でる。
空いている方の手は姿勢を支えるため、そっと近くの大地に触れた。
「お加減はどうですか?」
「うん、ありがとう。リィネさんが嫌じゃなければ、もう少しこのまま休ませてもらってもいいかな」
「はい、私はレン様のためなら死ぬまでこうしていられます」
思わず笑顔になるレンであったが、ふと周囲を見ると黒枯れに汚染され、枯れかけている木々が目に入った。
「それにしても、今日は本当にたくさん治療したね」
「はい。レン様の慈悲が、森の隅々まで行き渡っております。……私も、少しでもレン様をお守りする力になりたいです」
リィネは、レンの頭を優しく撫でながら、大地に置いた手にそっと祈りを込めた。
(レン様をお守りしたい。レン様の疲れを、この私が癒したい。レン様のためなら、この私の全てを捧げても構わない。ああ、レン様……)
リィネの頭に編み込まれた蔓から小さな白い花がポンポンと咲く。
その瞬間だった。
パアァッ……!
リィネから白銀の魔力が溢れたかと思うと、彼女を中心にエリア一帯がまばゆい白い光に包まれた。
森に一瞬の静寂が訪れる。
その直後、黒枯れに汚染されて枯れかけていた木が、みるみるうちに元の色を取り戻していく。
足元の泥も浄化され、きれいな透明の水になっていた。
それだけではない、エリア一帯に花が咲き乱れ、生命のエネルギーが爆発するように満ち溢れていたのだ。
「えっ……!?」
レンは目を見開き、痛みを忘れて跳ね起きた。
「ど、どういうことだ……?」
理解を超える現象に困惑するレン。
しかし、リィネは特に不思議がることもなかった。
「レン様!さすがです!朝から流し続けていたレン様の魔力が、大地を伝って浄化を促進したのですね!まるで奇跡のようです!」
なるほど、それはあるかもしれない。
朝から膨大な魔力を木々に流し込んでいたから、余剰分が大地に滞留していて、ここのエリアに届いたのかもしれない。
自分の魔法が奇跡的な浄化を引き起こしたのだと、レンは見事に勘違いをした。
「朝から頑張った甲斐があったよ。今日はこれでノルマ達成だ」
一日の仕事を終え、喜ぶレン。
リィネもまた、瞳をキラキラと輝かせて周囲の純白の花畑を見渡した。
「あはは、いやぁ、自分でも驚いたよ。……でも、これだけ花が咲くと、なんだか疲れも吹き飛ぶね」
レンは心地よい花の香りに包まれ、再びリィネの膝の上へと頭を預けた。
「……そうですわね。レン様、もう少しだけ、こうしていらしてください」
リィネは眠りに落ちようとするレンの頭を優しく撫で続ける。
森の奥深くに咲き乱れた花々は、夕暮れ時の風に揺られてキラキラと輝き続けていた。




