第36話:ハイエルフの戦士達
その日、森には時折ビュウと強風が吹き、木々が何かを案じるようにざわめいていた。
太陽が最も高い所まで昇った昼下がり、レンは菜園の果実をチェックしている。
「うん、栄養状態もバッチリ、順調に育っているな。……あ、こっちは葉が込み合って風通しが悪くなってる、剪定しておこう」
パチン、パチン。
愛娘でも見るかのように、苗の一つ一つをよく観察するレン。
時折風が強く吹き、その目に砂が入る。
その時。
「ニャニャーー!レン様!レン様ーっ!」
シャノアの声が頭上からどんどん近づいてくる。
見張り塔から、シャノアが勢いよく駆け下りてきた。
「どうしたの?シャノア。そんなに慌てて。また森の南側で人間の動きがあった?それとも来客?」
レンは作業の手を止め、シャノアに向き直る。
シャノアの尋常じゃない雰囲気に、まずは植物の伝言の感度を上げる。
この周囲には異常はなさそうだ。
しかし、
「ハアッ……ハァ……南じゃないニャ!今度は北の方ニャ!」
レンのすぐ脇に樹上から飛び降りてくるシャノア。
「北?」
「そうニャ!北でエルフ達が魔物の群と戦っているのニャ!」
シャノアは一旦息を整え、言葉を続けた。
「北の方から来ている魔物達を、彼らが全部退治しているニャ!」
「ええっ!?魔物達だって!?」
レンは目を丸くした。
「そうニャ!遠いからはっきりとは見えなかったけど、あの黒っぽいのは魔物達に間違いないニャ!」
レンは胸がざわつき、息を呑んだ。
黒っぽい魔物達、それはもしかすると黒枯れに汚染されている魔物達ではなかろうか。
「でも、エルフ達もなかなか強いのニャ。次々と返り討ちにしていたのニャ」
レンは詳細な調査を決め、腰のホルスターから開拓者の万能剪定鋏を抜き放った。
周囲を見渡し、目線より少し上の高さにある枝を見つけ、狙いを定める。
パチン。
すると、その枝から一輪の朝顔のような花が斜め下を向いて咲いた。
それは、以前にも一度試した、植物の伝言用の巨大な花である。
「……今度は、北の方だったな……」
以前、樹海の南端までつなぎ、人間の怒鳴り声を聞いて委縮した思い出を思い出しつつ、チューニングを開始する。
パチン、パチン。
鋏の音が森に響く。
始めはノイズ混じりだった音が、少しずつクリアになる。
強風に煽られる木々の葉の擦れる音が聞こえてくる。
「もう少し……」
レンは目を閉じ、さらに意識を集中させた。
『放てぇっ!』
ヒュンッ!ヒュンッ!ヒュンッ!ヒュンッ!
『ギャシャァアアアッ!』
―――ドスン。
巨大な花からは、弓を射かける音と魔物の断末魔と思わしき音が聞こえてくる。
『よし!次は十時の方向の個体だ!十分に引き付けるぞ!』
聞こえてくる生々しい声にレンも緊張し、手のひらにじっとりと汗がにじんだ。
「すごいな、複数人で協力して一体ずつ相手にしているのか」
『グルルルルゥッ!』
獣のおぞましい唸り声が聞こえてくる。
『まだだ……よし、今だ!放てぇっ!』
ヒュンッ!ヒュンッ!ヒュンッ!ヒュンッ!
『ギャインッ!』
―――ズン。
『……ふぅ、次が来るまで少しある、怪我はないか?』
『ゼノン戦士長、申し訳ありません。もう魔力が底をつきそうです』
『今回の群れは残り二体で終わりだ。村へ戻っていいぞ。残りは今のうちに息を整えろ』
ゼノンと呼ばれる指揮者の声色に部下への配慮を感じ、まるで自分の事のようにホッと安堵するレン。
前世では、納期に間に合わないと上司に報告したところで、それを何とかするのが営業マンの仕事だろ、と一蹴されるだけであった。
「いい上司だな……」
レンは思わず呟いた。
「シャノアが上から見ていた時は何体くらいの魔物達と戦っていたの?」
「アタシが見ていた時で五体くらいはやっつけていたのニャ」
大きな声が巨大な花から聞こえてきた。
『次が来るぞ!一時の方向!構えろ!』
再び緊張感に包まれる。
レンもゴクリと唾を吞み込んだ。
『ギリギリまで我慢だ……よし!放てぇっ!』
ヒュンッ!ヒュンッ!ヒュンッ!
『ガアアアァッ!』
―――ドサ。
『はぁっ……次で最後だぞ!十二時の方向だ!最後まで気を抜くなよ!……やっかいな黒枯れめ……』
「黒枯れ……っ!」
レンは聞こえてきた黒枯れという言葉に強く反応した。
黒枯れに汚染された魔物が群れとなって森に存在している。
その事実がレンの脳裏に戦慄を覚えさせた。
「嘘だろ……」
その時、魔物の咆哮がテラスにも響き渡った。
『グガァッッ!』
『ゼノン戦士長!矢が通りません!』
『くっ!俺に任せろ!―――風魔の矢!!』
ビュウゥゥゥンッ!
『ギギャァアアアアアアッッ!』
―――ズゥン!
『はぁっ……はぁっ……今回はこれで終わりだな。みんな大丈夫か?村へ帰るぞ』
そして、音は聞こえなくなった。
「なんてことだ……」
レンは巨大な花を閉じた。
花がシュルシュルとしぼみ、庭には再び穏やかな静寂が戻る。
黒枯れに汚染された魔物とエルフ達。
おそらく、この広大な樹海の中で同じように魔物が暴れ、戦っている種族が他にもいるのだろう。
果たしてこの家は、自分達は無事でいられるのだろうか。
そう考えるとレンの頭に不安がよぎる。
「レン様、元気を出すニャ!」
レンの浮かない顔をみてその心境を察知したのか、シャノアが声をかける。
「ああ、ごめん、心配させちゃったね。いや、もし、ここにも魔物達の群れが来たらと思って……」
「レン様なら問題ないのニャ!いつもの魔法でズバババっとやっつけられるニャ!」
それでもレンの胸の内は複雑であった。
確かに魔法を使えば魔物達を絶命させることはできるだろう。
しかし、黒枯れの汚染はそこに残ってしまうのだ。
魔物一頭分の黒枯れを浄化するだけでも相当な痛みと時間が引き換えになることは経験済みだ。
「ニャ!いつまでも暗い顔をしているなんてレン様らしくないニャ!これで元気を出すのニャ!」
シャノアはレンに正面から飛びつき、その首に腕をまわす。
レンは思わずよろけ、そのまま尻もちをつくようにシャノアに押し倒される形となった。
「しゃ、シャノア!?」
「ニャァァ……レン様、いい匂いなのニャ……」
シャノアはゴロゴロと喉をならし、レンの鼻に自分の鼻をチョンチョンとくっつける。
その時。
ズゴゴゴゴゴゴッ!!
シャノアの背後には、どす黒いオーラと強烈な殺気を放つリィネが立っていた。その目からは完全に光が消え、周囲には凍り付くような冷気が漂っている。
「この……泥棒猫!私の目の届かないところでレン様に何をしているのですか!万死に値します!」
リィネは疾風の茨弓をシャノアに向かって構え、魔力を一気に込めた。
「ニャニャッ!?ま、待つニャ!これは、レン様を元気づけるためなのニャ!」
「そんな戯言を私が信じるとでも?」
いつものやり取りが始まり、レンは落ち着きを取り戻す。
森には相変わらず強風が吹き、木々がざわめいていた。
レンとリィネはリビングのテーブルにつき、シャノアは部屋の隅で丸くなって昼寝をはじめる。
「……リィネさん。ゼノン戦士長って知ってる?」
「えっ!……ゼノン様をご存じなのですか?」
レンは先ほど北の森で起きていた出来事をリィネに説明する。
「そんな事があったなんて……。はい、ゼノン様は私の住んでいた村の戦士長様です。弓の達人で、ゼノン様に射貫けないものはないと、村でも評判でした」
ハーブティーを飲みながら話を聞くレン。
「やっぱり腕は確かなんだね。人柄はどうだったの?」
「そうですね……村で嫌われていた私に対しても、いつも優しく接してくださいました。村の中でも面倒見がよくて、皆から慕われていたと思います」
巨大な花から聞こえてきたわずかな声だけでも、その人のよさは伝わってきていた。
次に生まれ変わるならゼノンさんの部下がいいなあ、とありもしないことを考えるレン。
それにしても、黒枯れに汚染された魔物の群れは脅威だな。
エルフ達の会話からは、今までも何度か群れを退治しているようだった。
何か対策を考えないと。
レンはハーブティーをグイっと飲み干した。
「レン様、よければハーブティーのおかわりをお持ちしましょうか?」
「もう大丈夫。ありがとう、リィネさん」
北の森で戦うハイエルフの戦士達の弓音。
そして、南からは迫り来る人間の魔導重機の土煙。
樹海を取り巻く状況は、着実に、そして急速に悪化しているのであった。




