第33話:初めての会議
樹海の奥にひっそりとたたずむ森の家。
普段は静寂に包まれているが、その日は風が強く、木々がザワザワと音を響かせていた。
「よし、後はシャノアだけかな」
レンはテラスのテーブルの上にハーブティーを並べた後、出席者の確認をする。
そのテーブルにはリィネ、ゴブリンの子供たちの代表が二名、緊張した面持ちで座っていた。
これから一体何が始まるのだろうと、リィネは指をいじり、落ち着かない様子である。
ゴブリンの子供たちはまだ事態がよく飲み込めていないのか、口を半開きにしてボーっとしていた。
「リィネさん、シャノアを呼んできてもらっていいかな」
その直後、遠くからその声が聞こえてくる。
「ニャアァァ!こっちに来るなニャ!」
シャノアが木々のすき間からレンに向かって全力で走り込み、そのままレンの背中に飛びついた。
「レン様!助けてほしいニャ!」
「大丈夫だって、シャノア。この子はもう浄化されてるんだから」
シャノアは、先日レンが黒枯れの汚染から救い出した狼に追いかけられていたのである。
狼はレンたちを見つけると、足を止め、ハッハッハッと息をしながら尻尾を振っていた。
「嘘ニャ!さっき目が合ったとき、『美味しそうな猫だ』って顔してたにゃ!」
シャノアはここぞとばかりにレンのうなじに首をスリスリと擦りつける。
その瞬間、リィネの瞳から光が消え、背後にズゴゴゴゴゴッ!と黒いオーラが立ち上がり、殺気がシャノアに向かって放たれた。
「……この毛玉。いい加減にレン様から離れなさい!万死に値します!」
リィネは、疾風の茨弓に矢を番え、ゼロ距離でシャノアの顔面に狙いを定める。
「ニャ!?リィネ、ちょっと待つニャ!目が笑ってないのニャ!」
「おだまりなさい!この泥棒猫!」
「ニャニャアッ!?」
ギャーギャーといつもの言い合いが始まり、テラスには平和な時間が流れていた。
光る水族館の魚たちがゆっくりと泳いでいる。
「じゃあ全員揃ったところで、会議を始めます」
レンとシャノアもテーブルにつき、レンは営業モードのスイッチを入れた。
場の空気が張り詰め、緊張感が漂う。
「それでは本日の議題ですが、事前にお知らせしている通り、ここにいる狼くんの名前を決めたいと思います」
レンは鋭い目つきで皆の表情を見渡す。
リィネたち一同はゴクリと唾を飲み込んだ。
「尚、飲み物は自由に飲んでも構いません。質問はいつでも構いませんが、否定的な意見は慎むようお願いします」
レンは皆が真剣に話を聞いていることを確認し、続ける。
「それじゃあ、考えてきた名前の候補を発表してください。まずは、そっちのゴブリンくんたちから」
勇んで手を挙げたのは、棒キレを剣のように腰に差したゴブリンの子供たちだ。
「はい!いいのを考えてきたぜ!こいつの名は……『絶望を切り裂く黒き刃』だ!」
「かっこいい!俺のも聞いてくれ!……『獄炎の粉砕者』だ!強そうだろ!」
彼らは目をギラギラさせながら、胸を張って自信たっぷりに答えた。
……あぁ、なるほど。
彼らはそういう感じか。
うん、わかるよ。
僕にもそういう時はあった。
今はもう卒業したけどね……。
黒狼は自分の名前にそんな物騒な言葉が並んでいるとも知らず、あくびをして地面に寝ている。
「う、うん。かっこいいけど、ちょっと呼ぶのが大変かな……。リィネさんはどうかな?」
レンは額から流れる汗を拭く。
リィネは姿勢を正し、レンの方を向いた。
「はい。響きの中に力強さは感じますが、レン様の隣を守る狼には、より神聖な名前が相応しいかと。全知全能の神『ゼウス』、あるいは春の植物を象徴する『アドニス』……。レン様の眷属として、守護神の名を冠するのが妥当かと思われます」
……重い。
あまりにも名前が重すぎる。
近所の散歩で「おーい、ゼウス!」と呼ぶ勇気は僕にはない。
ペットの狼の名前につけるにはちょっと合わないな……。
「そんなの全然ダメだにゃ!センスがないニャ!」
「なっ!?シャノア、そう言うからには良いアイデアがあるのですか?レン様をお守りする存在として相応しい名前が!」
リィネのこめかみがピクピクと脈打っている。
シャノアが、勝ち誇ったようにふんと鼻を鳴らした。
「この狼は、そもそも見た目に怖いのニャ。だから、ちょっと情けないくらいが丁度いいんだニャ。例えば……『プニマル』とか、『ポンスケ』なんてどうだニャ?ぷぷっ、ポンスケ、似合ってるニャ!」
シャノアは寝ている黒狼を指差してケラケラと笑った。
その瞬間、黒狼の目がパッと開き、耳がピクリと動く。
「……グルルッ」
「ニャニャッ!?」
狼が低い唸り声を上げ、ゆっくりと立ち上がる。言葉が通じているとは思えないが、声のトーンから馬鹿にされたことはわかったらしい。
「ま、待つニャ!冗談なのニャ!」
脱兎のごとく逃げ出したシャノアを、黒狼が追いかけ回し始める。
「レン様!助けてニャアァァァ!」
遠くの方からシャノアの声が聞こえてくる。
「うーん……。中々これといった名前が出てこないね」
「レン様!『ゼウス』が良いと思います。レン様を守る絶対的な守護神としてこれ以上はありません!」
「あっ!リィネ姉ちゃんズルイぞ!レン様、『絶望を切り裂く黒き刃がいいですよね!」
「ちょ、ちょっとみんな落ち着いて!」
両手を使って皆を制止するレン。
場が静まり返り、息を切らしたシャノアも席に戻ってくる。
困ったな。
とりあえず僕も何か提案した方がいいだろう。
こういう時はブレインストーミングの要領だ。
まずは色んな名前を出す事が大事だな……。
よし。
「……ポチ、とか。あるいは毛並みが黒くて綺麗だから……『クロ』、なんてどうかな?」
その瞬間、場が静まり返った。
しまった。
いくらなんでもありきたり過ぎたのだろうか。
今時小さい子供でもポチなんて安直な名前はつけないのかもしれない。
クロにしてもちょっとそのまんまだったか。
こんなことなら、もう少しひねってラッキーとかにした方が良かったかも。
沈黙を否定と捉え、焦燥感に襲われるレン。
脇から大量の汗が流れてくるのを感じ、目が泳ぎ始めた。
「…………クロ」
リィネがぼそりとその言葉を繰り返す。
「……すごいです。全てを塗りつぶし、何物にも染まらないというレン様の意思を、名前の中に体現されているのですね!」
「え?」
レンは思わず拍子抜けした。
いや、ただ単に黒いからクロなんだけど……。
「さすがだニャ……。一見シンプルだけど、無限の深さ、レン様の底なしの優しさを感じさせるニャ。クロ……、いい名前ニャ」
ゴブリンたちも「クロ……。なんか伝説の武器の名前っぽくて渋いぜ!」と盛り上がっている。
「あ……」
何かめちゃくちゃ好評だぞ。
本当にクロでいいのか。
今咄嗟に思いついただけの名前なんだけど。
「ワフンッ!」
当の狼も、僕の足元に戻ってくると、満足げに尻尾をブンブンと振り回した。
どうやら本人も気に入ったらしい。
皆からクロでいいんじゃないかという雰囲気が伝わってくる。
単なる思い付きでも、これだけ賛成意見が集まればそれを否定する理由もない。
「……うん。わかった。名前は……『クロ』に決まりでいいかな?」
全員が賛成の意思を示すように返事をし、頷いた。
「よし、満場一致で決まりだ。今日から君の名前は『クロ』だ。よろしくね」
僕がその頭を撫でると、クロは嬉しそうに勢いよく尻尾を振った。
かくして、黒枯れの黒狼であったクロは、レンにその命を救われただけでなく、レンたちの正式な家族の一員となった。
リィネは頭を撫でられるクロに謎の嫉妬を燃やし、シャノアはクロに追いかけまわされ騒いでいる。
静かな隠居生活への道は、まだまだ遠いようだ。
僕は、ますます賑やかになるその声を聴きながら、苦笑いと共に空を見上げた。




