第32話:黒枯れの黒狼
星々が瞬く夜の森。
森の家の庭先。
光る水族館の池では、発光する浮草と魚たち、そして中央の噴水と池の周囲の発光する花が、幻想的な光景を作り出していた。
「……んニャ?」
大樹の上で丸くなっていたシャノアの猫耳がピンと立った。
そして、彼女のしっぽが、大きく膨らむ。
夜風に乗って、鼻を突くような悪臭が漂ってきたのだ。
ピョンピョンと枝から枝へと飛び移り、家のリビングでくつろいでいるレンの元へと降りていく。
「レン様!大変ニャ!」
勢いよく扉を開け、部屋に入ってくるシャノア。
「どうしたの?そんなに慌てて」
「森の奥から、嫌な匂いが近づいてくるニャ!昼間に拾ってきたあの『機械の部品』と同じ匂いだニャ!」
急いで植物の伝言の感度を上げる。
「……っ!まずいっ!アポ無しのお客様だ!真っ直ぐこっちに向かってきている。一、二、三……五名様だ!」
レンは営業モードのスイッチを入れた。
「リィネさん!急いでゴブリンの子供達を家の中に避難させて!」
「はい!わかりました!」
キッチンで洗い物をしていたリィネは外に出てゴブリンの子供たちのところへ向かった。
「シャノア!僕たちも外へ出るよ!お出迎えの準備だ!」
「はいニャ!」
リィネに続いてテラスに出るレンとシャノア。
二人そろって南の方に顔を向けた。
「……っ!境界の茨を飛び越えてきてる!」
ドドッ!ドドッ!ドドッ!ドドッ!
遠くの方から足音が少しずつ近づいてくる。
怯えるゴブリンの子供たちを家の中に避難させ、リィネはレンの元へと駆け寄った。
「レン様、どうですか?」
「うん、すぐそこまで来ているよ、リィネさんはお茶出しをお願い」
レンは緊張でハアハアと息が荒くなっていた。
開拓者の万能剪定鋏を抜き、ガシャン!と片手剣モードに切り替える。
そして、緊張を紛らわすかのように、鋏を打ち鳴らした。
パチン……パチン……。
テラスに風が吹き込む。その風には嫌な匂いが混ざっていた。
「グルルルルル……ッ」
木々の奥からギラっと光る瞳が怪しく光った。
そして、『それ』は木々の隙間からゆっくりと現れた。
体長三メートルを超える巨大な狼――『黒枯れの黒狼』であった。
「うっ……」
レンの足が恐怖でガクガクと震える。
大きく深呼吸し、両手で太ももをバンバンと叩いた。
そして、ふっ!と一つ息を吐き、目を細めて狼を見る。
「いらっしゃいませ、お客様。ようこそ我が森の家へ」
彼らの全身は泥のような『黒枯れ』の液に覆われ、立ち上る蒸気のような瘴気をまとっていた。
時折体から滴り落ちる毒液が、足元の草花をジュウッと音を立てて腐らせていく。
「……この前の大蛇と同じ……汚染されている」
狼はゆっくりと獲物を狙うようにヒタリヒタリとこちらに近づいてくる。
奥から一頭、また一頭と続いて現れた。
彼らは周囲をゆっくりと観察しながら歩を進めている。
「レン様……どうしますか?」
「こっちに向かって突っ込んできたら、僕が足止めするから、その弓で仕留めて」
「シャノアは後ろの三頭の気を引いて、ギリギリまで引き付けて」
三人は狼に向けて身構える。
すると先頭の一頭が向きを変え、左に向かって走り出した。
残りの四頭もその後ろに続いて一列に走り出す。
「……ん?どういうことだ?」
五頭の狼はレンの左側をぐるっと周るように走り、後ろからまた右へと、レンたちを中心に左回りに走っていた。
レンはいつ自分達に向かってくるのかとタイミングを計っていた。
しかし……、
「……!そういう事か!」
気が付いた時には手遅れであった。
狩に慣れている狼たちは、まっすぐに突っ込んで来るのではなく、まずは数を武器に包囲網を展開したのであった。
固まって走っていたはずの狼達は、いつの間にか等間隔になり、こちらの隙を伺いながらレンたちの周囲をぐるぐると走っている。
よく見ると、個体の大きさにバラツキがあった。
前の二頭は三メートルを超える大型だが、その後ろの二頭は二メートルもない、最後尾の一頭は一メートルにも満たないサイズであった。
「リィネさん、シャノア、僕がやつらの足を止める。そしたら半分は僕が足止めしてリィネさんが攻撃、残りはシャノアが攪乱で時間を稼いでくれ」
「はい!」「はいニャ!」
レンはふぅと息を吐き、狙いを定めて片手剣を振り下ろした。
ヒュッ!
その直後、狼達の走るそのコースに、茨の茂みが地中から出現する。
狼達は驚き、茨の外側に逃げ、足を止めた。
「今だ!僕とリィネさんで正面のでかい二頭をやる!シャノアは後ろの三頭を引き付けて!」
レンの指示を聞き、すぐに小さ目の三頭に向かって走っていくシャノア。
「いくよ!―――暴れる蔓!」
ヒュッ!
レンは片手剣を前方の二頭の足元に向けて振り下ろす。
すると、巨大な蔓が地中から一気に噴出し、二頭の狼のそれぞれの胴にぐるぐると巻き付き、空中に持ち上げた。
「ガァァウッ!ガァ……ッ!」
狼は拘束されたまま空中でもがき、暴れている。。
彼らの体から放たれる黒枯れの瘴気がシュウシュウと蔓を腐食させていく。
「ぐっ!リィネさんお願い!」
「はいっ」
右手の紋章が急速に熱を持ち、レンを苦しめる。
リィネは番えた矢を引き絞り、弓を通して魔力を流し込む。
「レン様は私が守ります!!」
リィネの魔力が完全にレンの魔力と同調したその瞬間。
「はぁ!!」
ビュウゥンッ!!
目にもとまらない速さで突風と共に矢が放たれた。
ギャインッ!
矢は正確に黒枯れの黒狼の頭部を捉え、貫通した。
リィネは即座にもう一矢放ち、同じように空中でもがいていたもう一頭をも射貫いた。
「よし!リィネさん、次は残りの三頭だ!」
「はいっ!」
初めての実践で不安もあったが、予想以上の手ごたえにリィネはホッと安心する。
後ろを振り返ると、黒枯れの黒狼三頭を相手にシャノアが走っては枝に飛びあがり、狼の攻撃をぎりぎりでかわしてはまた走り、を繰り返していた。
「レン様!もういいニャ!?限界だニャ!!」
「ありがとうシャノア!あとは任せて!」
シャノアはもうこれ以上は動けないと言わんばかりにピョンピョンと大樹の上まで避難する。
「お客様!こちらへどうぞ!」
大きな声で残りの三頭の注意を引くレン。
中型の二頭がレンとリィネに向かって走り出した。
「よし!リィネさん、やるよっ!」
ヒュッ!
レンは二頭の足元に向かって勢いよく片手剣を振り下ろした。
二頭の内の一頭が地中から出た蔓に捕まり、空中に持ち上げられる。
残りの一頭はギリギリで蔓をかわし、そのままレンに向かって突っ込んできた。
「リィネさんは空中のやつを!僕はこっちをやる!」
「はいっ!」
ビュウゥンッ!!
ギャンッ!
リィネが蔓の中でもがく狼を射ると同時に、もう一頭がレンに向かって飛びかかる。
グアアァァッ!!
「残念ですが、これ以上不当な要求には応じられません!―――空間剪定!」
ヒュン!
ギャアァ!
境界の茨を飛び越え、そのままレンに向かっていた黒枯れの黒狼の胴と首が分かれ、それぞれがドサッ!と地面に落ちる。
「ふぅ。残るは一頭。この商談、クロージングさせてもらいます」
最後の一頭は遠くでこちらを睨み、様子を伺っている。
ん?この個体だけ小さいぞ。
もしかして、子供なのか?。
さっきの四頭とは家族だったのか。
僕はなんてことを……。
急激に罪悪感に襲われるレン。
しかし、
グルルアアアッ!
最後の一頭もレンに向かって突進を始める。
その時、森に一筋の風がビュウと吹いた。
レンは風に抗うように剣を振り下ろす。
「……暴れる蔓」
レンは慣れた手つきで地中から蔓を出し、黒枯れの黒狼を拘束する。
グアアウ……ッ!
もがく狼に矢を向けるリィネ。
「レン様!いきます!」
「待って!リィネさん!」
「えっ!?」
突然の静止にリィネは驚いた顔でレンを見る。
「ちょっと待ってくれ、リィネさん。……この子は、子供なんだ」
「ですがレン様!やらないとやられます!」
困惑しつつも、矢を向けながら答えるリィネ。
「その前に、試したいんだ。僕の力で浄化して、救ってあげられるかもしれない」
「……っ!……わ、わかりました」
そうしている間にもジュウジュウと蔓は黒枯れで腐食されていく。
レンは右手の痛みを堪えながら、拘束している黒枯れの黒狼をそのまま池の水の中に浸けた。
レンは魔力を池の中に一気に流し込み、バクテリアや水生植物を活性化させ、黒枯れの浄化を試みる。
「グルアッ!……ガァ!」
狼は抵抗するようにもがき、池の水がバシャバシャと跳ねる。
しかし、もがいているのは狼だけではなかった。
「うっ!うあああああっ!」
レンの右手の紋章が熱したフライパンでも当てたように熱くなったのだ。
額から大量の脂汗が流れ出ていた。
持っていた剣も落とし、左手で右手の甲を抑え、痛みに堪える。
それでもレンは魔法を解除せず、狼の浄化を続けた。
「レン様!大丈夫ですか!」
「はあっ!はあっ!……ああ!だ、大丈夫……っ!」
レンの脇に駆け寄り、心配そうに声をかけるリィネ。
そんなリィネを心配させまいとするレンだが、苦しそうなのは誰が見ても明らかであった。
リィネは両膝を地面につき、胸の前で手を組んだ。
彼女にできることはただひたすらに祈ることしかなかった。
(ああレン様!何か私にできることはないのでしょうか!レン様が助かるのなら、私の全てを差し出しても構いません!私にできることなら!私がレン様を救ってあげたい!どうか……)
リィネが強くそう祈ったその時、光り輝くような白銀の魔力がリィネの全身から溢れ出し、レンへと吸い込まれるように流れていった。
彼女の頭に編み込んだ蔓から、小さな白い花がポンポンと咲き出す。
その瞬間、パアァッ!とテラス一帯がまばゆい光に包まれた。
ほんの一瞬、森に完全な静寂が訪れる。
―――シュウウウウウウ!
気が付くと、先ほどまで黒枯れの泥に体を覆われていた狼は、ただの黒狼となっていた。
しかも、テラス全体に残っていた元黒枯れの黒狼であったものも全て浄化され、無くなっている。
「え?」
突然の出来事にレンは呆気にとられた。
右手の痛みもまったく感じなくなっていた。
「さすがはレン様ですね!あの黒枯れを一瞬で消し去るなんて!」
「う、うん……」
今日は魔法の調子が良かったのかな……。
不思議そうに右手の紋章を見つめるレン。
彼は黒狼がすっかり落ち着いているのを確認し、そっと解放してあげた。
「さあ、もう自由にしていいよ。どこにでもいきな」
「クゥーン……」
しかし、その黒狼はレンに向かって尻尾を振っている。
どうやらレンを新たな群れのリーダーと認識しているようだった。
「……なんか懐かれたみたいだな。まあいっか。果実類なら食料もあるし」
「レン様のご慈悲がこの狼にも通じたのですね!黒枯れに汚染された魔物まで浄化し、手下にするとは!さすがはレン様、神のごときお方!」
リィネは両手を胸の前で組み、エメラルドの瞳を輝かせてレンを見つめる。
レンは彼の家族を殺してしまった罪悪感もあり、受け入れることに抵抗はなかった。
「……終わったのニャ?」
シャノアが木の上からピョンピョンと枝をつたって戻ってくる。
レンに駆け寄ってスリスリしようとしたその瞬間、すぐそこにいた黒狼と目が合った。
「ニャ?この犬はなんニャ?まさか飼うのニャ?」
「グルルルッ!」
「ニャッ!?い、いったい何ニャ……ちょ、ちょっと、こっちに来るなニャ!」
シャノアは身の危険を感じ、狼から距離をとると、狼は歯をむき出しにしてシャノアを追いかけた。
「ニャアアアッ!」
「ガアァ!」
必死に逃げ回るシャノア。
狼に追いかけまわされる猫であった。
「レン様!助けてニャ!こいつは何なのニャ!」
こうして森の家に家族がまた一人、増えることになったのである。
「ふう……。リィネさん、見事な腕前だったね。びっくりしたよ」
レンは営業モードを解除し、深く安堵の息をついた。
片手剣はレンが指先でくるくると回転させると、元の小型サイズの剪定鋏へとスルスル縮小していく。
そのままホルスターにカチャッ、と心地よい音を立てて収められた瞬間、周囲に一斉に美しい草花が咲き乱れた 。
「もったいないお言葉です、レン様!全てはレン様に作っていただいたこの弓のおかげです」
「そんなことないよ。正確な射撃は誰にでもできるもんじゃない。リィネさんの力だよ」
そう言ってポンポンとリィネの頭を撫でる。
リィネは頬を少し赤らめ、うれしそうにレンの袖をそっと摘んだ
猫とじゃれあう狼、存在を認められて喜ぶエルフを見守りながら、レンは一人、森の奥深く――黒狼たちが現れた漆黒の闇へと視線を向ける。
しかし、静かな森の家に、人間諸国の欲望とさらなる『黒枯れ』の脅威が、ヒタヒタと足音を立てて迫りつつあった。




