第27話:黒枯れの大蛇
朝の樹海。
昇ってきたばかりの太陽が、樹海に温もりをもたらしていた。
テラスにある池、光る水族館では、水面が陽の光を反射してキラキラと輝いている。
しかし、その美しい光景は突然の轟音で別物へと変わり始めた。
――ズズズズンッ!!
地響きのような重低音が森の中に響き渡る。
「なっ……!?」
その音にレンとリィネは飛び起きた。
レンはすぐに植物の伝言で状況を確認する。
「どうですか!レン様!」
「まずい!境界の茨の南側が破られた!こっちに向かってきている!」
二人は慌てて外へ飛び出した。
テラスの先にある森。
奥の木々がザワザワと揺れ始める。
何か大きなものが次第に近づいて来ている。
そして、その光景に思わず息を呑んだ。
森の中から現れたのは、全長十メートルを超える、規格外に巨大な蛇だった。
だが、それだけではなかった。
大蛇の全身は泥のような『黒い液体』で覆われ、そこからは、立ち上る湯気のように瘴気を放っている。
しかも、その液体が地面に滴り落ちると、そこにある草花が黒く変色していった。
黒枯れの大蛇である。
―――シャアアアアアァァッ!!
「うおっ!」
レンは思わずびっくりして後ずさった。
あまりの迫力に足がブルブルと震える。
黒枯れに侵された大蛇は、痛みを和らげてくれる「清らかな魔力」を求めていた。
まっすぐにレンが作った池を目指して突き進むと、その巨体をダイブさせたのだ。
ザバーーーーーンッ!!
「あああっ……そんなっ!」
レンが悲痛な声を上げる。
池の水が真っ黒になっていく。
そこにあった発光浮遊草も光源の花も黒くなり、見るからに元気がなくなってしまった。
「レン様の美しい池を、よくも……ッ!」
激昂したリィネが、レンを庇うように前へと飛び出した。
リィネは魔法の杖を黒枯れの大蛇に向け、魔力を込める。
「これでもくらいなさい!!」
リィネは風の魔力を限界までその杖に込め、大蛇に向けて全力で射出した。
ビュワアァッ!
杖によって一つの大きな玉のように凝縮された衝撃波が、一直線に大蛇に飛んでいく。
ズバアァァァン!
リィネの放った風魔法は確かに大蛇に直撃した。
しかし、大蛇の様子は予想とはまったく違ったものだった。
「えっ……!?」
リィネは驚愕した。
大蛇には傷一つ付いていなかったのだ。
(そんな!全力で放った必殺の一撃だったのに!)
リィネの衝撃波は、大蛇の纏う黒い液体の前に全て無効化されていた。
触れるものは生き物だろうと魔力だろうと、全てを腐食させる猛毒だったのだ。
「嘘……私の魔力が、全く通じない……?」
己の無力さを冷酷なまでに突きつけられ、彼女の足が恐怖でガクンとすくんだ。
その致命的な隙を、黒枯れの大蛇は見逃さなかった。
その鎌首を高くもたげ、リィネに向けてその巨大な顎をカパァッと開いた。
喉の奥で、『強酸の液』が圧縮され、禍々しい光を放ち始める。
「……っ!!」
リィネは死を覚悟し、ギュッと目を閉じた。
その瞬間。
「大樹の盾!!」
リィネの足元から、巨大な樹木の壁が一気に立ち上がった。
レンが地面に手をついていた。
ズバシャァァァァァァッ!!
大蛇が吐き出した強酸の液が壁にぶつかる。
シュゥゥゥ……。
大樹の壁はその表面を溶かしながらも、リィネを守り切った。
「下がって、リィネさん!」
「は、はい!」
リィネは言われるがままに後方へと避難する。
レンは先ほどまでは足を震わせて怯えていたが、完全に冷徹な営業モードへと切り替わっていた。
レンは相棒である開拓者の万能剪定鋏を腰のホルスターから引き抜いた。
パチン、パチン。
自らを落ち着かせるように鋏を鳴らす。
そして、上から下に勢いよく振り下ろした。
ガシャン!
鋏の刃の部分が伸長し、片手剣モードへと変形させる。
「お客様……それ以上はカスハラですよ……」
レンは冷静に大蛇を見つめる。そこには絶対零度の瞳があった。
シャアァァァァァァッ!!
激怒した黒枯れの大蛇が、再びその顎をカパァッと開いた。
先ほどと同様に、強酸の液が圧縮され、不気味な光を放ち始める。
「レン様!」
「大丈夫だ!」
レンには明確なビジョンがあった。
先ほどの攻撃を見て、事前のシミュレーションと準備は済ませていた。
「……商談は、事前準備で全てが決まるんだよ」
―――レンは片手剣を自らの足元へと振りおろした。
「暴れる蔓!」
ヒュン!
レンが流れるように片手剣を操る。
するとレンと大蛇を結ぶ直線上に、地面からいくつもの巨大な蔓が、次から次へと天を目指して噴出した。
レンは階段状に生えたその蔓を足場にして駆け上がっていった。
大蛇の口の中の強酸の液体はみるみるうちに大きくなり、魔力の波動がビリビリと空気を震わせている。
どんな攻撃にも、必ずそれを構成する『魔力の核』がある。
レンは全力で魔力を研ぎ澄ませ、それを正確に可視化して捉えた。
「見えた。――そこだ」
その時、レンを目掛けて大蛇が猛毒の液を一直線に吐き出した。
「待ってたよ。剪定、開始」
レンは眼前の毒液に向けて、一気に片手剣を振り下ろした。
パァァァァァァァンッ!!!
鼓膜を震わせる凄まじい裁断音。
片手剣が毒液の中の『魔力の核』をスッパリと両断したのだ。
猛毒の液は「シュゥゥ」とただの無害な水蒸気となって消えていった。
レンは足場にしている蔓の最上段から、片手剣の切っ先を大蛇に向けてスッと下ろす。
「……僕は狙った商談は絶対に外さないんだ」
シャアァァァァァァッ!!
黒枯れの大蛇は思い切り威嚇し、再び顎を開ける。
「この商談、クロージングさせてもらう。―――暴れる蔓!」
ヒュン!
その瞬間、大蛇の足元から巨大な蔓が出現する。
その蔓は巨体に幾重にも巻き付き、レンの待つ空中の高さまで強引に吊り上げた。
「ギシャァッ!?」
目の前で宙吊りにされた大蛇の首元へ向け、レンは足場の蔓を力強く蹴り込む。
片手剣を大きく振りかぶり、渾身の力で振り下ろした。
「空間剪定!!」
凝縮された緑色の魔力のエネルギーが、大蛇の太い首に向かって剣から勢いよく扇状に放たれる。
———ズバァァァンッ!!
レンが蔓をクッションにフワリと着地する。
それと同時に、大蛇の首が空からドォンッと落ちた。
大蛇の体からは、黒い液体が大量に吹き出し、ドスンッと重い音を立てて崩れ落ちた。
「リィネさん、お怪我はありませんか!?」
激しい戦闘の後にもかかわらず、レンは真っ先にリィネの心配をし、駆け寄った。
「は、はい、大丈夫です……」
レンは彼女の無事を確認すると、心から安心し、肩の力を抜いた。
片手剣を元のサイズに戻し、ホルスターに収めたレンはホッと息を吐いた。
しかし、その表情はすぐれなかった。
「……ゴブリンの子供たちが言っていたのはこういう事か。この大蛇、全身がこの『黒枯れ』の液体に汚染されていた……」
レンは右手の『接ぎ木の紋章』をグッと握りしめた。
そこには、戦闘中にも感じていた焼け焦げるような鈍い痛みが、確実に残っている。
彼らが望む平穏な隠居生活の足元が、確実に崩れ始めていることを、レンは肌で感じ取っていた。
一方、その背後で。
リィネは、レンの背中を見つめながら、かすかに肩を震わせていた。
レンはピンチに陥った自分を間一髪で救い出し、大蛇を一撃で沈めた。
それに比べて、自分はどうだろうか。
全力の攻撃は、大蛇に傷一つ負わせることもできなかった。
ただ恐怖に足がすくんで、庇われるだけの存在。
リィネは、自分の両手をギュッと強く握りしめた。
レンの役に立てず、あまつさえ危機に陥って足を引っ張ってしまった己の不甲斐なさが、彼女の心を鋭く抉っていた。
『黒枯れ』という正体不明の脅威が迫る。
圧倒的な無力感に打ちひしがれるリィネの瞳には、かつてないほどの深い焦燥感と、強い後悔の色が滲んでいた。




