第26話:瞳の異変
その日は珍しく森に雨が降っていた。
雨が木々の葉に打ち付け、地面に落ちていく、賑やかな夜であった。
森の家、リビングでは光るキノコが隅にあるテーブルをやわらかく照らしていた。
寝室でレンがぐっすりと眠っていることを確認すると、リィネは眠気覚ましにハーブティーを飲み、作業を開始する。
手元には、先日から編み進めているスカーフ。
スルスル、キュッ。
少しずつ、少しずつ編んでいく。
しかし、彼女の手はふと止まった。
(そういえば、村の方は今ごろどうなっているのかな)
「……お父様、お母様」
ぼそりと呟く。
しかし、その音は降りしきる雨音にかき消された。
思い出されるのは、思い出したくもないような事ばかりであった。
『あっちへ行け、穢れ者が!』
『その不吉な瞳で私を見るな。災いが降りかかる!』
『かわいそうに、あの瞳のせいでねえ』
幼少期は、そういった言葉をかけられるのが当たり前だと思っていた。
だが、少し大きくなると、他人と自分とは違うのだと気づかされた。
自分だけが周りと違う瞳の色だったのである。
ハイエルフの村には古くから「特異な瞳を持つ者は、森の理を変えてしまう、不吉の象徴である」という、言い伝えがあった。
リィネはいつも独りであった。
瞳の色のためか、友達もできなかった。
まともに話をできたのは、両親だけであった。
幼いリィネを両親は励まし、何とか力強く生きてほしいと願っていた。
『リィネ、大好きだよ。リィネはお父さんとお母さんの誇りなんだ』
『確かにその瞳の色は誰とも違う。でも、ただそれだけじゃないか。気にする必要はないよ』
リィネもまた、両親の事が好きであった。
唯一の理解者であり、心の拠り所でもあった。
あの頃は、周囲の森の木々も生き生きとしており、動物たちも穏やかだった。
瞳の事で蔑まれたり、いじめられたりすることはあっても、それ以上の事はなかった。
しかし、いつの頃からか村の周辺の木が黒く枯れるようになった。
村の人たちが、その原因はリィネの瞳にあると、そう思うのは自然の成り行きであった。
ついには、村の神木まで黒く枯れてしまった。
そこまでくると、もう村の中に居場所はなかった。
村から追放される、そう決まった時には、両親はもう抵抗はできなくなっていた。
ザアザアと降りしきる雨音が室内に響き渡っている。
すっかり過去の思い出に時間を忘れ、手が止まっていたことに気が付いた。
スルスル、キュッ。
再び、スカーフの製作を再開する。
スルスル、キュッ。
村から追い出された後は悲惨だった。
たった一人で森に放り出され、途方に暮れた。
行く当てもなく、持たされたのは簡素な弓矢と数日分の干し肉だけ。
とりあえず村の近くに拠点を構え、ほとぼりがさめた頃にまた受け入れてもらう、そんな望みに賭けようかと思っていた。
しかし、村から遥か遠いこの地に、レンの放つ膨大な魔力に不思議な温かさを感じ取り、この森の家に向かうことにしたのだ。
だが災難はすぐに訪れた。
帝国のヴォルフ調査隊の先遣隊が襲いかかってきたのだ。
死に物狂いで夜通し走った。翌日の昼は木の洞に隠れ、夕方からまた逃走を開始したが、あまりにもすぐに見つかった。
矢毒を受け、もう少しで温かいその魔力に辿り着くと思ったら、茨の壁に阻まれた。
最後の希望に全てを賭け、茨の中に頭から突っ込み、無理やり通り抜けたのだ。
その後は意識が切れ、記憶にない。
気が付けば、そこの寝室のベッドの上で目を覚ましたのだ。
それが、――レンとの出会いだった。
スルスル……シュルルル……。
「あっ……」
手が震え、編みかけの糸が指から外れてしまった。
(やり直さなきゃ……)
あの逃走中の事を思い出すと、今でも背中がゾクリとする。
いつ、どこで捕まっていてもおかしくなかったし、死んでいた可能性だって十分にあった。
頭に残っていた恐怖にまだ手が震えている。
リィネは一度手をとめ、キッチンに向かい、ハーブティーを入れなおした。
そのついでに寝室に立ち寄り、レンの寝顔を見つめる。
「レン様……」
(私の、命の恩人。この人がいなければ、私は……)
リィネは再びリビングのテーブルに戻り、作業を再開した。
スルスル、キュッ。
彼は気を失っている私を抱え、この家まで連れてきてくれた。
そして、矢を抜き、全ての傷を治療してくれた。
服が破れているのに気づくと、可愛いドレスを仕立ててくれた。
違うものが食べたいと言えば、魔法で新たな果実を育ててくれるし、料理をしたいと言えば、キッチンを作ってくれた。
何より――彼は、私の存在そのものを受け入れ、二人の家にしようと言ってくれた。
『僕が君を守る。この蔓に誓って』
あの夜、自分の銀髪に緑の蔓を編み込みながら、震える声で誓ってくれた彼の言葉。
自分を「宝物」のように見つめる、あの絶対的な優しさ。
「……レン様……」
スルスル、キュッ。
彼の事を考えながら、編み物を進めていると、また、糸が光ったような気がした。
(よく光を反射しやすい糸なのかしら、それとも私の髪かな。まあいいや……)
スルスル、キュッ。
やはり、もう彼の存在なしで生きていける気がしない。
もし、彼がいなくなったらと思うと、想像しただけで胸が締め付けられる。
(―――私の全ては、レン様に捧げても構わない……)
彼から与えられたものも、不器用だけど誠実な言葉も、全てが愛おしかった。
「……ん?」
気が付くと顔が熱くなっていた。
何かがいつもとは違う。
体全体も温かく、まるで内側から力が溢れ出すようであった。
病気で熱が出ている時とも、温かいスープを飲んだ時とも違う。
魔力が踊るように循環し、何でもできそうな感覚すらあった。
彼女は手を止め、立ち上がった。
顔の状態を確認したかった。
キッチンにある、手洗い用の水鉢へと向かい、そっと覗き込んでみる。
「あれ……?」
リィネは、小さく息を呑んだ。
始めは気が付かなかったが、よく見ると彼女のエメラルドの瞳の奥に「年輪のような模様」が浮かび上がっていたのだ。
幾重にも重なる円が輝いているように見える。
「……っ!」
リィネは絶句した。
不吉と言われていた瞳に模様が加わったのだ。
(そんな……!)
一体自分の身に何が起きているのか、リィネ自身にはまったくわからなかった。
もしかしたら、森の黒枯れの原因は自分のこの瞳かもしれない。
レン様は違うと言ってくれたが、まだわからないのではないか。
何度も水鏡を見つめたが、何度見ても瞳の奥の年輪模様は変わらなかった。
足の力が抜け、その場でへたり込んだ。
「なんで……私だけ……」
これ以上、レン様に迷惑をかけたくなかった。
だが、この瞳だけは自分の力ではどうしようもなかった。
絶望に打ちひしがれるリィネであった。
さらに悪いことは続く。
リィネが森の家の中で一人で動揺しているその瞬間にも、外の世界では、確実に破滅の足音が迫っていた。
レンたちの暮らす家から遠く離れた、遥か南の森。
かつては豊かな自然に覆われ、大小さまざまな生き物たちが暮らしていた。
しかし、今や見る影もなく枯れ果てていた。
地面の底から湧き出す、泥のような『黒い液体』。
その黒い泥に触れた木々は、生命力を吸い尽くされ、真っ黒な炭のように立ち枯れていく。
そして、運悪く、黒い泥を浴びてしまった魔物もいた。
彼らはその猛毒に脳と肉体を侵され、正気を失ったバケモノへと変貌してしまうのであった。
狂気を帯びた赤い目を光らせる巨大な狼や、黒い霧を纏った大蛇たちが、無秩序に森を駆け回る。
彼らは痛みを和らげてくれる「清らかな魔力」を本能的に求め、レンたちのいる方向へと少しずつ、だが確実にその牙を向け始めていた。
今夜の樹海は、いつもとは明らかに違う。
降りしきる雨のなか、ざわめきと、狂気と、死の匂いが、立ち込めていた。
森の家には、逃れようのない『黒枯れ』の脅威と、狂乱の波がヒタヒタと忍び寄っていた。
スヤスヤと眠るレンの脇で絶望に頭を抱えるリィネ。
レンが望んだ静かな隠居生活は、知らず知らずのうちに、大きな影に飲み込まれようとしていたのである。




