第25話:強がり
その日の夜の森は特に静かだった。
夕食後、レンは一人でテラスの椅子に座り、物思いにふけっていた。
夜風の冷たさとは裏腹に、右手の紋章が熱を帯びている。
あの時もこんな感じだったな……。
リィネが人間達に追われ、遠くから助けを求めていた時と同じような感覚であった。
数日前、近くの森をリィネと二人で散歩をしていた時に見た黒枯れ。
あれ以来、時折右手の紋章が疼くようになっていた。
その痛みは決して長く続くわけではないが、その度に焦燥感のような感覚にも襲われる。
「ぐっ……」
レンは嫌な汗を感じながら、左手で右手の甲をギュッと押さえ込んだ。
これはあの黒枯れと何か関係があるのだろうか。
「レン様……?」
後ろを振り返ると、そこにリィネがハーブティーを持って立っていた。
夜風にあたって体を冷やさないようにと、気を遣ってくれていたのである。
しかし、右手を抑える姿を見て、余計に気を遣わせることになってしまった。
「あ、いや……別に何でもないよ……うん、ちょっと魔力の調整をしていただけなんだ...ははは」
レンは営業スマイルを作ろうとしたが、中途半端になっていた。
リィネは、ああそうですか、と頷き、ハーブティーを置いて室内に戻っていった。
ふう、もう少しでバレるところだった。
リィネさんに心配かけないようにしないと……。
夜が更け、リィネはレンが寝息を立てているのを確認する。
リビングの隅、光るキノコに照らされるテーブルで、眠気と戦っていた。
彼女の手元には魔法の糸、かぎ針、ナイフが用意されていた。
糸はドレスの補修用にと、レンにお願いして用意してもらっていたのだ。
「……レン様は嘘が下手ですね」
リィネは思い出すように目を細めた。
「私を気遣い、心配かけまいと無理に笑顔まで作って。なんて不器用な人……」
彼女は、この数日間で、何度もレンが右手を抑え、何かを我慢している様子に気づいていた。
しかも、レンが本当のことを話さない理由まで見抜き、それもまた愛おしいと感じていた。
一体自分に何がしてあげられるだろうかと、悩んだ末、出た答えがこれだった。
「レン様の身に何が起きているかはわからない。だけど……その痛みを少しでも紛らわせる事ができれば……」
リィネは祈るように呟いた。
そして、用意したナイフを、自分の月光銀の長い髪にあてる。
―――ザクザク……ザクッ。
一つかみの髪の束をテーブルに置いた。
それは、幼少の頃から伸ばし続けた、自慢の髪であった。
しかし、レンを想う気持ちに比べれば、そこに価値は存在しなかった。
糸巻から魔法の糸を引っ張り出す。
そして、切り取った自身の銀髪をそこに束ね、指にかけていく。
かぎ針を使い、ゆっくりと、祈りを込めるように編み始めた。
ハイエルフの髪には深い魔力が宿るとされている。
自身の魔力を編み込んだ「スカーフ」を作り、レンにプレゼントをしようと考えていた。
「どうか、レン様の痛みが少しでも軽くなりますように……」
リィネは小さく呟きながら、一編みずつ丁寧に編んでいく。
スルスル、キュッ。
リィネは、レンの事を思い出していた。
人間達に追いかけられ気絶した後、気が付けばベッドの上で目が覚めた。
自分を介抱してくれたのがレンだった。
警戒する自分にどこまでもやさしく、敵意がないことを丁寧に話してくれた。
そして……白い花を……。
その時だった。
彼女の指先から、ほんのりと白銀の光が漏れ出し、編み物の中に流れ込んでいった。
「……ん?今、糸が光ったような……。気のせいですかね」
リィネはレンの事を想い、手を動かし続ける。
それから、夜な夜な作業を続ける事になるのであった。
翌朝。
レンは朝食後、家のすぐそばにある巨木の足元にいた。
「こないだは本当にびっくりした。突発的なクレームにならないよう、事前の情報収集がもっと必要だな」
カイル達との突然の邂逅を思い出していた。
事前にわかっていれば、もう少しスマートに対応もできたはずだ。
レンは腰のホルスターから開拓者の万能剪定鋏を抜き、パチンッ、と刃を鳴らした。
すると、レンの背と同じくらいにある巨木の枝から、一輪の巨大な朝顔のような花が、斜め下を向いて咲いた。さながら、大きなラッパのようである。
「よし、立派なスピーカーができたぞ」
レンはその花を見上げ、満足げに頷いた。
彼はその花を植物の伝言で森の地下に張り巡らされた根のネットワークと接続する。
これで遠くで拾った小さい音も、大きく聞こえるはずだ……。
レンは早速巨木に手をつき、魔力を流し込んでチューニングを試みた。
距離、方角を調整し、植物の聞いた音をそのまま増幅する。
「まずは、こないだ冒険者たちと出会った南側の茨の境界付近……」
動物の鳴き声、鳥のさえずりが聞こえてくる。
「うん、成功だ」
これなら今までより遠くの状況も、詳細に把握ができる。
レンは面白くなり、さらにネットワークの索敵範囲を広げてみることにした。
「一番遠く……樹海の端、人間との国境付近はどうだろう?」
魔力を調整し、ここから最も南に向けてみる。
巨大な花から人間の話し声が聞こえてきた。
『……何度も注意しただろう!』
『は、はい!申し訳ありません!』
「お、すごい。ちゃんと人間の声が拾えるぞ」
レンは魔力を調整し、チューニングを少しずつ合わせる。
きれいに聞こえてきたと思ったらほとんど聞こえなくなる。
遠い場所ほど合わせるのが難しい作業であった。
だんだんとチューニングが合っていき、その声が大きく鮮明になっていく。
ん?どこかの軍隊かな?
レンには上官とその部下の会話のように聞こえた。
そして、突如として巨大な花から空気を震わせるような音量で怒声が放たれた。
『――貴様らあァッ!!』
「ヒイッ!?」
レンは思わず怯んだ。
まるでその場にいるかのような臨場感であった。
それは、鉄血帝国アイゼンベルクのトップ、グスタフ皇帝の声である。
部下達の働きに満足できず、怒りに任せて叱り飛ばしていた。
皇帝としての圧倒的な威圧感、目の前にいるもの全てをひれ伏せさせるような存在感であった。
『それでも我が帝国、アイゼンベルクの兵士かァ!!』
その声を聞けば聞くほどレンの顔から血の気が引いていく。
否が応でも前世を思い出した。
感情的に怒鳴る理不尽なクレーマー、何故できないんだと怒る上司、レンが過労死をした原因の一端を担うストレスの根源である。
『指定した期日までに仕上げるのは当然だろうがあァッ!!できないなら貴様らは我が帝国の一員ではもうない!!今ここで死ぬか、死ぬ気でやり遂げるかどちらかだろうッ!!』
その瞬間、レンは条件反射ともいうべきスイッチが入る。
「し、失礼いたしました!今すぐに取り掛からせて頂きます!明日までには必ず間に合わせます!」
レンは社畜モードになっていた。
誰もいない空間に向かって、九十度のきれいなお辞儀をする。
「な、何やってんだ僕は……」
ふと我に返り、自分にあきれる。
しかし、巨大な花からはまだ声が響いていた。
『ザンッ!!……ぎゃああああ!!へ、陛下、おやめください……。ええい、うるさい!こいつらはこれくらいしないとわからんのだッ!!』
これ以上聞くのは心臓に悪い。
レンは魔力を流し込み、巨大な花を消失させた。
その瞬間、森に再び平和な静寂が戻ってきた。
「ふうぅー……」
レンは、肺の空気が全て入れ替わるかと思うような深呼吸をした。
「レン様!今の大きな音は!?」
大音量を聞いたリィネが慌てて家から出て、レンの元へと駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫ですか?顔色がすぐれないようですが……」
「うん、まあ、ちょっとね……」
レンはまだ動悸がおさまらず、手が震えていた。
「何者かの襲撃ですか!?」
ただ事ではないレンの姿を見て、リィネは周囲を警戒する。
「そ、そうじゃないんだ。もう、大丈夫。できれば、ハーブティーをもらえるかな」
「……わかりました」
リィネは疑問を残しつつも、そそくさと家に戻っていった。
―――「レン様、どうぞ」
テラスのテーブルに腰かけ、喉を潤してようやく落ち着きを取り戻す。
視線はどこか遠くの方を見つめている。
「リィネさん……人間って怖いね」
「え……ええ、はい、私もそう思います」
そしてレンはリィネの方に向き直り、子供のような決意をした。
「もう人間達とは関わらない!一生ここで生活するから!」
「……レン様、ご安心ください。私がレン様の盾となり、悪しき人間どもから守ってみせます」
リィネは、何かを怖がるレンを安心させるように、レンの手をとった。
自分の痛みを隠して強がる不器用な青年と、その痛みを和らげようと寄り添うエルフの少女。
そして、彼らの平穏を脅かす、外の世界の圧倒的な暴力の気配。
静かな森の隠居生活は、見えない場所で確実に、大きな運命の渦へと巻き込まれようとしていた。




