第21話:顧客満足度
鬱蒼と茂る森の巨大な木々の隙間から、穏やかな朝の光が幾筋も差し込んでくる。
リィネを保護し、共にヴォルフ隊の残党の襲撃を退け、「ここを二人の家にしよう」と約束を交わした日から数日が経過していた。
レンが自らの魔法で大樹の内部を利用して作り上げた森の家。
レンが魔法で成長させた光るキノコの明かりもまだ残る中、障子から柔らかい光が入り、広めのベッドを照らし出す。
「……ん」
鳥のさえずりと共に、レンはゆっくりと重い瞼を開けた。
起き上がろうとしたレンだったが、右腕に重さを感じた。
それは、とても柔らかいプニプニとした感触のものが絡みついているようであった。
「……?」
そっと視線を横に向けたレンは、一瞬で心臓が跳ね上がり、思わず腕に力が入る。
そこには銀髪の美しいエルフの少女がいた。
しかも、レンの右腕を両手でしっかりと抱え込み、ぐっすりと眠っている。
無防備で幸せそうな寝息を立てていた。
そして、彼女からは花のようなやさしい香りが漂ってくる。
「……っ」
前世を含めても、このような経験は初めてで、朝から早々に緊張に襲われるレン。
彼女は極度の安心感からか、夜中に無意識のうちにレンにくっついてくることはあった。
しかし、ここまで密着されたのは初めてのことであった。
ここでレンは少しだけ迷った。
このまま起こさないように動かずじっと耐えるか……。
いや、起こしてしまうのを覚悟で右腕を引き抜いてしまうか……。
悩んだ末、彼女の安らかな寝顔を見た瞬間に結論が自然に導かれた。
レンは、彼女を起こさないように右腕の力を抜き、その穏やかな寝顔を静かに見つめた。
朝起きると、自分を心から信頼し、慕ってくれる存在がすぐ隣にいる。
前世では、家族の為にとモチベーションを上げて仕事に打ち込んだが、仕事に時間を使えば使うほど家族との距離は離れていった。
そんな皮肉な現実とは裏腹に、今は絶対的な安心感と平穏を、レンは体の底から噛み締めていた。
その時、レンの腕の中で、リィネの長いまつ毛が微かに震えた。
「んん……」
寝返りを打とうとしたリィネは、自分の腕の中に違和感を感じ、目を開いた。
目の前の「それ」を確かめるように、視線を上へと辿っていく。
そして、至近距離で自分を見つめるレンと、バッチリ目が合った。
「……」
「……」
数秒の静止。
「は、はわわわわっ!」
リィネの顔は真っ赤になり、ベッドから飛び退いた。
そのまま床に座り込み、両手で顔を覆ってパニックになった。
「も、ももも、申し訳ありませんレン様っ!」
「いやいや、いいって別に気にしてないから」
レンはパニックになっているリィネを見下ろし、落ち着かせるように言った。
「しかしっ、私のような穢れ者が、あろうことかレン様の御腕を抱きしめて眠るなど……っ!ば、万死に値しますぅぅ!」
それでも尚、自らの行為を恥じ、平常心でいられなくなっている。
「だ、大丈夫だって。こういっちゃなんだけど、頼りにされているようで嬉しかったし、そんなんで死なないでおくれよ」
「そ、そんな……私のようなものに過分なお言葉!その懐の深さに改めて感激しました。このリィネ、レン様に一生ついてまいります」
そのまま平伏しようとしている彼女を見て、レンは苦笑しながらベッドの上に身を起こした。
「そんなに慌てないでよ、リィネさん。どう?よく眠れた?」
レンは安心させるように、おっとりと優しい笑顔で挨拶をした。
それを聞いてリィネは指の隙間からレンを見上げ、ふぅっと安堵した。
「……お、おはようございます、レン様。はい、とても……深く眠れました。あの、本当にご迷惑じゃなかったでしょうか……?」
「何度も言うけど気にしてないよ。リィネさんがそこまで言うなら、今日の朝食の用意をお願いしてもいいかな?」
「はいっ!喜んで!」
少し照れくさそうに、しかし幸せそうに彼女は頷いた。
気持ちを整理するため、朝食の準備を任されたことに嬉しそうに返事をし、それを聞いたレンもまた胸が温かくなるのを感じた。
森の家の広々としたリビングルーム。
その中央に鎮座しているのは、レンが魔法を用いて生み出したテーブルだ。
そのテーブルの上に、今日の朝食が並べられていた。
レンの知識と魔法によって浄化され、魔力に満ち溢れた水と、菜園から採取してきたエナジー・ベリーとスープ・メロンだ。
サバイバル生活であれば、安全に腹を満たせるだけで御の字だ。
しかし、平穏を取り戻すと、生活の質を求めてしまうのが人間というものである。
「あの……レン様。一つ、お願いがあるのですが……」
エナジー・ベリーを口に放りながら、リィネが少し申し訳なさそうに切り出した。
「ん……なに?」
「あの、その……」
リィネは言い淀んでいた。
何か言いづらいことでもあるのか、目線は泳ぎ、両手を合わせてもじもじしている。
「遠慮しなくていいよ。そんなに言いづらいことなの?」
レンは焦った。
脇から汗が流れ落ちていくのを感じる。
あれ?なんだろう?なんかマズイことでも言ったかな?
でも、昔から女心はよくわからないんだよな……。
前世での事を思い出す。
女性から悩みを聞いてほしいと言われたので、解決策を提案したら何故か不機嫌になってしまった事もあった。女心は難しいのだ。
しかし、そんな焦りは杞憂に終わった。
「贅沢を言うようで申し訳ないのですが、もっと色々な種類の、お野菜や果実を食べてみたいです……」
レンは拍子抜けしたと同時に驚いた。
リィネが自ら明確な『要望』を口にしたのは、これが初めてだったからだ。
そして何より、レン自身も、全く同じことを考えていた。
自らの手で開発した愛着のある自動菜園の野菜と果実ではあったが、毎日では飽きるのだ。
前世の記憶にあるフルーツや野菜が恋しくなっていた。
顧客からの、新規案件だ……!
元営業マンとしての血が騒ぎ出す。
顧客満足度を極限まで高めるための「プロの営業マン」としてのスイッチが入った。
「ありがとう。そういってもらえると、僕も嬉しいよ」
リィネはホッとした。
こんな我儘を申し出たら、怒られるのではないかと思っていたのだ。
「実は、僕もそろそろ別のものが食べたいなと思っていたところだったんだ」
「レン様もですか?同じことを考えていたのですね」
そう言って表情がゆるむ。
穏やかな時間が過ぎていく。
「リィネさんのリクエストなら、全力で応えるよ。よし、自動菜園の拡張と、新しい野菜、果物の栽培を始めようか」
二人は外に出て、菜園の前で用地を確認した。
そして、レンは開拓者の万能剪定鋏をゆっくりと引き抜いた。
「まずは土作りから始めよう」
パチン。
静かに刃を打ち鳴らすと、レンの魔力が土壌へと流れ込んでいく。
土が大きくうねり、ふわふわとした、畑の土へと変化していく。
「次は、種を準備しよう」
「そうだね、リィネさんはどんなお野菜や果物が好きなの?」
リィネは顎に手をあて、空を見つめて考える。
「あの……甘い果実や、みずみずしいお野菜が好きです」
レンは頷き、次に顎に手をあて、空を見つめて考えた。
そして、うん、と頷き右手を構える。
そこに魔力を込めると、手のひらから無数の種子が生成された。
糖度が極限まで高い『イチゴ』、瑞々しい『レタス』、完熟の『トマト』、さらに高級フルーツの象徴である『マスクメロン』。
明確な味のイメージを種子に焼き付け、レンは土の上へと丁寧に蒔いた。
「レン様?今蒔いたのは、何の種なのですか?」
「僕の故郷にあった、野菜と果物の種だよ。それじゃあ、いくよ―――急速成長!」
レンはわざと大きな声で詠唱し、カッコいいところを見せた。
別に無詠唱でも魔法は行使できるのに、である。
リィネはそんなレンをうっとりとした眼差しで見つめていた。
パチン。
その瞬間、蒔かれた種から一瞬にして緑の芽が吹き出し、みるみるうちに茎が伸び、葉が広がり、瞬きをする間に花が咲いた。
次から次へと色鮮やかで大きな野菜や果実がポンポンと実を結び、たった数秒で「完熟」の状態へと成長したのだ。
「こ、これは……」
リィネは言葉を失った。
全てが初めてみるものであった。
「さあ、リィネさん、これを食べてみて」
レンは、大きく実った真っ赤なイチゴを一つ摘み、彼女の口元へと差し出した。
「こ、これは本当に食べれるのですか……?真っ赤な色と、芳醇な甘い香りがとても美味しそうですが……その、ブツブツとしていて気味が……」
「ああ、そっかごめんね。初めてだもんね。じゃあ、僕が初めに食べるよ」
そう言ってレンは真っ赤なイチゴをポンと口に入れた。
口に入れた瞬間、濃厚な甘みが舌をとろけさせ、後から程よい酸味が刺激する。
―――うまっ!!
レンは自分で驚いていた。
こんなことならもっと早く作るべきであったと後悔すらした。
そんなレンを見て、リィネもイチゴを一粒摘み、恐る恐るかじってみる。
シャクッ。
「……っ!!?」
極限の糖度と程よい酸味。
噛んだそばから溢れ出す果汁。
鼻から抜ける華やかな香り。
これまで彼女が食べていた渋い草の実とは、根本的に次元が違うものであった。
「あ、甘い……!……え?酸っぱい?な、何ですかこれはっ!?」
リィネは驚き、もう一つ口に入れる。
「これはね、イチゴっていう名前の果物なんだ。とちおとめ、とか、あまおう、とか色々あって……酸味と甘味のバランスが……」
レンの話をよそに、彼女はイチゴに夢中になっていた。
「不思議です。……こんなに美味しい食べ物が、この世にあるなんて……!」
彼女は感動し、お腹がいっぱいになるまでイチゴ狩りを楽しんだ。
時間無制限の贅沢であった。
「……やはりレン様は神のごときお方……!私、一生レン様にお仕えいたしますぅぅ!」
「いや、神とかじゃないから!」
レンはタジタジになりながらも、内心では静かにガッツポーズを決めていた。
よしっ、顧客満足度百二十パーセント達成……!
続いて、レンはトマトやレタスを次々と振る舞った。
リィネはその度に驚愕し、幸せそうに頬を抑えながら、何度も何度も深く頷いた。
どれもこれも美味しそうに頬張るリィネの姿を見て、レンは心からホッと息を吐き、穏やかに微笑んだ。
こうして、二人のテーブルには、豊かな日常の象徴である野菜とフルーツが並ぶようになったのである。
美味しい食事を囲むことで、二人の絆は、誰にも引き裂けないほど強固なものへと育っていくのだった。




