第20話:不器用な宣誓
静寂が、池のほとりの隅々までを支配していた。
そこに、並んで座っているレンとリィネ。
レンが両手で包み込んでいる彼女の手は、絶望を押し殺すように震えていた。
レンの頭には様々な言葉が思い浮かんだ。
「そんなことはないよ」、「分かるよ」、「君は何も悪くない」、「村の考えが間違っている」、「僕がなんとかする」、どれも薄っぺらい表面だけの言葉であった。
今、目の前で告白した彼女に対し、そんな「偽物の言葉」を言ったところで彼女の心には響かないであろう。
彼女をより一層傷つけるだけだ。
こういう時は、「自分の言葉」をまっすぐに言うべきだ。
レンは一度、目を閉じ、森の冷気を肺まで満たすような深呼吸をした。
「…………リィネさん」
長い沈黙を破ったその言葉は、あまりにも弱々しく震えていた。
しかし、血の通った温かみのある呼びかけであった。
リィネは顔を伏せたまま、胸に緊張が走り、その細い肩を強張らせる。
彼女にとって、この沈黙は、あまりにも長い時間だったのだ。
「僕は……不器用で……気の利いたことなんか、言えないんだ」
それは本心であった。
前世においても気持ちを上手く伝えることができず、誤解され、喧嘩になることは何度もあった。
業務上の伝達事項は上手く伝えることができても、自分の考えを伝える術は持っていなかった。
「君がどれほどつらい経験をしてきたのか、今聞いた以上のことは……僕には分からない」
リィネの肩に更に力が入る。
(やっぱり、私の事なんて、誰もわかってくれないんだ)
そう思った時だった。
「……でも」
「……で……も……?」
泣きそうな声で聞き返すリィネ。
レンは、彼女の震える手を包んでいるその両手に、やさしく力を込めた。
「僕は……君がいてくれて、本当に嬉しいんだ」
「.....?」
リィネの呼吸が、一瞬、止まった。
向けられたのは、軽蔑や哀れみではなかった。
ただ純粋に「いてくれて嬉しい」という、飾り気のない本音だった。
月の明かりが二人をゆっくりと照らしている。
「この森に来てから、僕はずっと独りだった」
レンは眉を下げ、物悲しそうな表情で語りだした。
「この大樹にたどり着いて、魔法を使って、家を整えた。最初は楽しかった。ようやく手に入れたんだ。自分の為の自分だけの時間……」
事実そうだった。
仕事生活から解放され、誰に気を遣うでもない、自由な瞬間がそこにはあった。
しかし、それは偽物の自由であった。
「……でも、何を作っても、どんなに美味しい野菜や果実を育てても、余計に寂しくなったんだ。本当にバカだよね」
レンは自嘲気味に笑ったが、目は笑っていなかった。
「そんな……」
リィネはそんなレンの気持ちを想像したこともなかった。
そして、何か言おうとしたが、続けることができなかった。
「一生懸命、何かをすればするほど、自分が何をやっているのか、分からなくなっていたよ。そんな時、君からの『助けて』っていう声が聞こえてきて、それで君を発見したんだ」
そこまで話すと、言葉は止まらなかった。
レンは一瞬どうするか悩んだが、全てを打ち明けることにした。
そうでなければフェアでないし、彼女には自分の事をしっかりと知ってもらいたかった。
「がっかりしないでほしいんだけど、僕は弱い人間だよ。君を助けにいくかどうかも、実は迷ったんだ。何もしなければ、誰にも邪魔されず、独りの生活をもっと満喫できるんじゃないかってね」
「……!!」
リィネは目を見開いた。
彼女の中では完全無欠の英雄、森の守護者だと思っていたレンが、そうではなかった。
自分と同じ、弱い一面を持ち合わせていたのだ。
それと同時に、安堵する気持ちが胸の中に広がっていた。
「……けれど今日、君が僕の作った服を着て、僕の育てた野菜を食べ、嬉しそうに笑ってくれた」
彼女がいることで、自分のやることに意味を持たすことができるようになった。
あまつさえ、喜んで笑ってくれたのだ。
「……その時、初めて僕は孤独から救われた。君から笑顔を同時に『温もり』をもらったんだ。……本当に……嬉しかった」
レンの言葉はたどたどしかった。
しかし、不器用でもその一言一言には、嘘偽りのない、正直な気持ちがこもっていた。
「あ……」
リィネは「そんなことはない、温もりをもらったのは自分の方です」と言いたかった。
しかし、言葉にすることができなかった。
「君の瞳が、過去に何を枯らしてきたのか、僕にはよく分からない。でも、僕の目に見える君の瞳は……僕を助けてくれた、世界で一番綺麗なエメラルドの光なんだ」
「え……?」
「……だから、君は僕にとって穢れ者なんかではないんだ。たとえ、君自身がそう言ったとしても……僕はそれを、全力で否定するよ」
リィネが、ゆっくりと顔を上げた。
潤んだ瞳が激しく揺れている。
彼女が求めていたのは免罪符ではなかった。
ただ、その存在を、その瞳を、ありのままに認めてくれる。
その確かな体温だったのだ。
「……レン様。……私を……追い出さなくて……よいのですか?」
震えるような声で恐る恐るレンに尋ねる。
「そんなこと、しないよ」
レンは当然のように、やさしく返事をした。
「でも、私がいると、この美しい庭を壊してしまうかもしれません……」
「壊れたら、また作り直せばいいよ」
レンは、自らも驚くほど穏やかな声で言った。
「リィネさん」
レンは意を決し、彼女の両肩を正面からしっかりと掴んだ。
心臓が激しく鼓動を繰り返しているが、意識はそこにはなかった。
今、この言葉を伝えなければいけないと、魂が叫んでいた。
「僕は……君を守りたい。どうか、僕に、君を守らせてほしい。君のその笑顔を、二度と枯らさないと……今、ここで誓う。……世界中の誰が君を否定しても、僕だけは、絶対に君の味方だ」
レンの手は震え、顔は真っ赤で、声も裏返りそうだった。
無様で、けれどこれ以上なく純粋な宣誓。
「あ……ありがとうございます……」
リィネの顔も赤く染まり、細い声がさらに細くなっていた。
彼女の胸の奥にこびりついて離れなかった「絶望」が、もうそこには無くなっていた。
代わりにそこにあったのは「希望」であった。
(……ああ。私は、この人のために、生きよう……)
彼女は、心の中で静かに決意した。
この不器用で、誰よりも優しい青年は私を守ると誓ってくれた。
今度は自分が、たとえこの命を賭けることになっても守り抜こうと。
「……リィネさん。最後に、ひとつだけ、僕のわがままを聞いてもらえるかな?」
「はい……」
レンは照れ隠しに一度視線を空へ逃がした。
星がきれいだった。
そして、気持ちを整え、もう一度、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ここを……。……この森の、この家を。……僕と君の、二人の『家』にしたいんだ」
その瞬間、まるで呼応するように森の木々の葉が大きくざわめいた。
「家」、それは、物理的な意味合いだけではなかった。
不吉と言われた瞳も、リィネの存在も全て受け入れてくれるという事であった。
「……っ!……ぁ……あ……あ……あああ……あああああ!」
その瞬間、リィネの目から今まで必死にせき止めていた涙がこぼれ出した。
もう我慢することは不可能であった。
生まれてからずっと、誰にも認められることがなかった。
それが今、目の前の青年に、住む場所をもらうだけでなく、生活を共にするということまでお願いされたのだ。
レンは、涙を流すリィネに肩を貸した。
夜の森に、まるで赤子のように泣くリィネの声が響き渡る。
月明かりがまるで二人を見守るように降り注いでいた。
ひとしきり泣いたあと、ようやくリィネは少し落ち着きを取り戻した。
「……グスッ……失礼しました、レン様!……エグッ…… 私でよければ……どこまでも、どこまでもご一緒させてください……!」
リィネは、今度は自分から、レンの胸へと飛び込んだ。
レンは一瞬とまどったが、すぐに覚悟を決め、彼女の小さな体を強く、優しく抱きしめた。
リィネの髪から、微かに花の香りが立ち上がる。
レンは、自分の胸が温かく、満たされていくのを感じた。
この異世界での孤独を、この泣きじゃくる少女が救ってくれたのだ。
「泣かないで、リィネさん。……これからは、笑う練習をしていこう。僕も苦手だから、二人でね」
「はい」
そう返事してまた泣くリィネであった。
レンが彼女の頭を撫でると、リィネは彼の胸の中で小さく、けれど何度も頷いた。
アクアリウムを照らす月光は、もはや冷たい断罪の光ではなかった。
静かな夜の森に、新しい「家族」の始まりを告げる鼓動が、トク、トクと、力強く、そして穏やかに響き渡っていた。




